第14話 獅子頭の魔族
レッサーデーモンの群れを殲滅したせいか、それともシェンフゥの妖術の効果か、地下水路の奥に進むにつれて、異様な臭いを感じることは少なくなっていった。
「これだけ歩いたら、そろそろ街の外なんじゃないかしら」
シェンフゥの狐火を借り、鞄から取り出した地図を確かめる。
道に沿って張り巡らされている水路の形を追うと、地上でのおよその位置を計り知ることができた。
「そのようじゃな」
リサと共に地図を確かめていたシェンフゥが、頷いて前方を見据える。
「あの辺りが出口かも知れぬ」
シェンフゥが示す水路の奥が仄かに明るいように見える。
狐火がなくても明るさを感じるということは、シェンフゥの言うように出口が近いと考えた方が順当だろう。
「行けるところまで行きましょ。なにもなければ引き返せばいいのよ」
「なにもないことは、ないようじゃぞ」
先に歩き始めたシェンフゥが、水路を狐火で照らす。
「……なにこれ……」
水路を中心にびっしりと積まれた人骨が、通路を塞いでいる。
半円状の地下水路に突如として現れた人骨のダムにリサは口許を覆って半歩下がった。
「この体毛……
人骨の山を平然と崩したシェンフゥが、金色に煌めく毛を狐火に
毛の端がちりちりと焼ける嫌な臭いに顔を歪めながら、リサはシェンフゥの傍に寄った。
「ねえ、ウガルって、あの――」
「左様、金と朱の鬣を持つ獅子頭の魔族じゃ」
本能的に何者かの気配を感じ取ったのか、シェンフゥがリサを遮るように腕で押し、じり、と数歩後ろに下がる。
次の瞬間。
「―――!!」
獰猛な咆吼と共に、鋭い爪が先程までシェンフゥが居た場所を薙いだ。
「シェンフゥ!」
魔導散弾砲の残弾を連続で浴びせ、ウガルを後退させる。無数の火花が散り、ウガルは防御態勢を取りはしたが、ダメージを受けている様子は感じられなかった。
「装填の暇はないわね」
魔導散弾砲を腰のベルトに戻し、背負っていた長刀を引き抜く。
「油断するな、ご主人」
「わかってる。で、あれが犯人?」
「そうじゃ。真実はいつもひとつ!」
シェンフゥが人差し指を立ててウガルを指す。
その指に狐火が集約したかと思うと、円を描くように広がり、盾の形を成した。
「……っぐ!」
ウガルの咆吼が無数の火の玉と化し、シェンフゥの狐火の盾を襲う。間一髪のところで炎を防ぎきったシェンフゥだったが、ウガルの攻撃の勢いを消失させるには至らず、踏みとどまろうとする片膝をつけた二本の脚は、じりじりと後退させられていく。
「シェンフゥ!」
リサが加勢してシェンフゥと共に狐火の盾を押さえるが、後退の勢いは止まらない。
「死ネ!」
「舐めるな!」
呪うような声と共に一際大きい火球が放たれたかと思うと、狐火の盾が大きくしなり、炎の球を弾き返した。
弾かれた火球は堆く積まれた人骨の山を直撃し、一瞬にして辺りを灰で覆い尽くす。
「!!」
咄嗟に顔面を覆ったが、地下水路を巡る爆風は防ぎきれない。
「……っ、げほっ」
煙を吸い込んだリサは激しく咳き込んだ。
「我ガ火球ヲ退ケルカ……小癪ナ……」
猛々しい咆吼を交えたウガルが忌々しげに人骨の残骸を踏み荒らす。
体勢を立て直したリサは素早く魔導散弾砲に残りの弾を装填し、ウガルに向けて構えた。
挿絵 https://www.pixiv.net/artworks/83528264
「このぐらいで、私たちに勝てると思ってるの?」
「――!!」
ウガルが応える前に魔法弾を撃ち込んでその動きを牽制する。
レッサーデーモンとは異なり、魔族としてある程度の知能を有するウガルは、リサの魔法弾を前脚で防いで、雄叫びを上げた。
「……タダノ人間デハナイ……。オマエ、何者ダ」
「リサ・エーデルワイス、殺し屋よ。魔族専門のね」
リサの答えを聞き、ウガルが遠吠えのような咆吼を上げる。
それが笑い声であると気づいたシェンフゥは、リサの腕を引いて後ろに下がらせた。
「愚カナ。我ニ勝テルト思ウカ……!」
咆吼と同時に無数の火炎弾が飛ばされ、リサとシェンフゥを追い詰める。
横穴に逃れて火炎弾をやり過ごしたリサは、その場に無造作に転がる血塗れの聖騎士団の鎧に気づいて目を瞠った。
「……これは……」
シェンフゥがリサが見たものを察して苦く唇を噛む。
その様子を嘲笑うかのようにウガルの顔が通路の向こうから覗いた。
「聖騎士団の調査隊はどこ!?」
「人間、食ッタ」
さも当然のことのように、ウガルが答える。
「え……?」
「邪魔スル、皆食ッタ」
「…………」
淡々と紡がれる言葉にリサは思わず後方のシェンフゥを振り返って一瞥する。
シェンフゥはリサと目を合わせて、苦しげに顔を歪めた。
「ああ、あの目は人の味を知っておる……。どうやら聖騎士団の調査隊はこいつに食われたようじゃな」
――食われた。
それも一人残さず。
その言葉が示す恐ろしい事実に、リサの肌の表面に鳥肌が立つ。
「貴様モ喰ラウ。人間ノ女、旨イ」
リサを標的と決めたウガルが、前肢を大きく振るう。
鋭利な刃物のような爪は間一髪のところで
「血ヲ捧ゲヨ」
軸足にされていた方の前肢が入れ替わりに伸び、リサの身体を捉える。
「……なっ」
「ええいっ!」
衝撃を覚悟し、咄嗟に防御の姿勢を取ったリサは、別の力によって吹き飛ばされ、壁面に激突した。
「……うぅ」
強かに顔面を打ち付け思わず呻く。呻きながら跳ね起き、ウガルの姿を確認した。
リサの代わりに攻撃を受けたのか、左腕を押さえてウガルと対峙するシェンフゥの姿が目に飛び込んだ。
「邪魔ヲスルカ!」
「リサはわしのものじゃ。貴様ごとき魔族に、血の一滴たりとも喰らわせてなるものか」
「ナラバ貴様カラ始末スルマデ!」
「出来るものか!」
鞭のように打ち付けるウガルの尾を躱したシェンフゥが、リサの元まで後退する。
「シェンフゥ!」
狐火が攻撃に回されているので、怪我を確認することは出来ない。
自分でも泣き出しそうな声が出たことに顔を歪めていると、シェンフゥがリサの頬をそっと舐めた。
「大事な顔に傷などつけおって」
「私よりシェンフゥが――」
言いかけて、顔面に感じていた痛みが消失していることに気づく。
シェンフゥは満足げににっと笑うと、すぐに表情を引き締め、低く唸るウガルを睨めつけた。
「……かすり傷じゃ。それより、油断するなと言っておろう」
「……ええ」
「来るぞ!!」
ウガルの身体がしなり、二人との距離が一気に縮まる。
限界まで引きつけて魔導散弾砲で目を狙った。
「舐メタ真似ヲ」
怒りを露わにした低い声が響き、ウガルが闇雲に前肢を振り回す。
機械兵器の装甲をも切り裂くウガルの鋭い爪は、地下水路の煉瓦造りの壁を削り取り、支えを失った天井が崩れ落ちる。
「少しは効くようね。暗闇に慣れている分、光には弱いのかしら?」
慎重に間合いを取りながら、リサは魔法弾を装填し、連続してウガルの顔面に叩き込む。
「ガァアアアッ!」
眼前で火花を散らされたウガルは後肢で立ち上がり、崩れ落ちた瓦礫を怒りのままに薙ぎ倒した。
傾きかけた橙色の陽の光の下、夥しい量の人骨の存在が露わになり、リサはシェンフゥと共に後退しながら顔を歪めた。
「どうする? このまま一気に片を付けるかの?」
「そうしたいところだけど、あれ、一発でもまともに食らったら致命傷よね」
「一時的に目を眩ませたとはいえ、無闇に近づくのは得策ではないのぅ」
シェンフゥが頷き、狐火を翳してウガルの様子を注意深く観察する。
「私の魔導散弾砲の威力じゃ、止めを刺すのは無理。長刀で、五分と言ったところ――」
相手の実力を察するに、今の自分一人では勝てるとは思えない。
だが、シェンフゥと二人で力を合わせたならば――
「無駄口ヲ叩ク暇ガ、アルト思ウカ!」
「シェンフゥ!」
声で居場所を判別したのか、両目を瞑ったままのウガルが火炎弾を放つ。
咄嗟にシェンフゥを庇ったリサは、火炎弾こそ回避したものの、受け身を取る間もなく、瓦礫の山へと落ちた。
「……かはっ……」
激しく背中から落ち、乾いた息が漏れる。どこを損傷したのかわからなかったが、吐き出した息は血生臭かった。
(動けない……)
どこをどう傷めたのか、すぐには把握出来そうになかった。
今ウガルに攻撃を仕掛けられたら、避ける術がない。
「
ウガルが鼻を鳴らす音が響き、間近にあった瓦礫が音を立てて崩れる。
こんな時でも魔導散弾砲と長刀を手放していない自分を奮い立たせながら、全神経を集中させ、どうにか上体を起き上がらせた。
「シェン――」
「どうしたどうした、かわいそうに。手負いの美少女としか戦えぬとは、所詮低脳よのぅ」
リサの声を掻き消すように、シェンフゥが声を張り、ウガルを挑発する。
「今ナント言ッタ……?」
至近距離にまで迫っていたウガルは、シェンフゥの挑発を受け素早く方向を転換した。
「低脳でかわいそうだと言ったのじゃよ。さては図星かの?」
涼しい声で言って退け、シェンフゥが狐火を放つ。
「ガアアッ!」
ウガルはそれを火炎弾で相殺すると、シェンフゥを追ってか、リサから離れ始めた。
「しばし戦線離脱じゃ、ご主人!」
シェンフゥの声が遠ざかり、ウガルの気配も遠ざかっていく。
荒く息を吐きながら、ようやく立ち上がったリサは、目を閉じて呼吸を整えることに集中した。
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