第7話 不穏な風を運んだ便り

 あの『鳥籠』の森より逃げ帰ってから、数日後のこと。

 私は緊急女子会と称して、初めて自室にメリンダを招いた。


「何と、まぁ……お利口な小鳥ちゃんだね」


 彼女が格子越しに戯れているのは、新たに飼い始めた小鳥ではない。


 ……私が身体を乗り捨てたはずの小鳥は、気づけば持ち帰ってきた鳥籠の中に自ら収まっていたのだ。


 せっかく森で自由を得たのに、何とも健気で哀れな……と思うけれど、そんな事より問題なのは、この子が携えてきたお土産。


「ねぇ、メリンダ。これを見て……」


 テーブルのワイングラスをずらして彼女の前に差し出したのは、白絹のハンカチ……を細く引き裂いたもの。


 つまり、帰って来た小鳥の足には、一通の手紙らしきものが括り付けられていたのだ。


     ◇


 当然ながら、それを手紙と呼ぶからには、書かれた文章が存在している。


 さほど長くもないのに何度も繰り返して目を通したメリンダは……しばらく首を傾げていたのち、至って当たり前の見解を示した。


「……う〜ん。ともかく、文面のほうは書いてあるとおりの意味だよね?」


 彼女の言うとおり、文言のうえでも状況のうえでも、言葉どおりに解釈するしかない内容だ。


『驚かせちゃってごめんなさいね。本当に話し相手が欲しかっただけなの。もしよかったら、また遊びに来てくださいな。もちろん、誰にも秘密にしておくわ』


 差出人は考えるまでもないし、内容を信じるならば敵意があったわけではないらしい。

 ……というより、小鳥越しに存在を看破されてしまった私としては、もはや敵意を持たれていないと祈るしかないのだけれど。


「うん、そこは私も疑問に思っていないわ。それより、この差出人をどう思う?」


 あの囚われの差出人は、手紙の末尾にきちんと記名しておいてくれた。


 子供同士のやり取りのような文言に続き、流麗な筆致で記されていたのは……ただの『マグノリア』。


 ……姓は伏せられているものの、その正体として思い当たるの一人しかいない。


「同じ名前の姫君や御婦人はそれなりに沢山いるけれど、すっごい美人で王族並みの雰囲気だったって言うと……やっぱり、間違いないんじゃないかな?」


 なお、あの日の出来事については、すでにメリンダにも報告済み。

 無茶をするなとこっ酷く叱られたけど……それはまぁ、さておき。


 私としても半ば確信を持っていたので、彼女の意見を聞いたのは念のために過ぎない。


 かつて、大陸中に名が知れ渡ったという絶世の美姫。


 亡国の末に、雛鳥のまま『鳥籠』へと囚われた悲劇の犠牲者。


 そして、何より……


「……ノーリッシュ家の奥方様が、どうして今さら『鳥籠』に囚われているのよ?」


     ◇


 哀れなるマグノリア姫は、かつて『鳥籠』から解放されると同時に、私とは縁深いルロイの実家に輿入れされた。


 ……とはいえ、私は会ったこともないし、詳しい事情も知らない。


 あの現ノーリッシュ伯が自らの嗜好で幼き後妻を迎えたとは思えず……何か複雑な事情があるのだろうと子供心にも感じた私は、特に尋ねたり調べたりはしなかった。


 ……伯にとって不本意な陞爵とほぼ同時期の話だったし、きっとそれに関係していたのだと思う。


「本当に非道い話だよね……。でも、こんな事例って過去にもあったっけ?」


 珍しく不味そうにワインを煽ったメリンダが尋ねるのは、一度『鳥籠』から出た姫君が再び囚われる事があったか……ということ。


 そして、彼女の問いに対する答えは、否。

 極めて不快な表現だけど、いわば『お古』となるわけだし、マグノリア様に至ってはすでに子供もお産みになっている。


 いや、一部の男性の嗜好的には、むしろそういう……


 ……などと思考が迷走しかけていると、メリンダが私の袖を引いて、意識を現実に引き戻してくれた。


「レヴィン君の件とは関係ないかもしれないけどさ……リンジーとしては、すぐに動かなきゃいけない事態だね」


 それはもちろん、そのとおり。


 此度の帰省で束の間の団欒を楽しむはずだったルロイは、帰るなり知ることになったマグノリア様の件で頭が一杯だろう。

 すでに『鳥籠』にいらっしゃると突き止めているにせよ、いないにせよ……とにかく、早く連絡をしてあげなければならない。


 レヴィン君とルロイ。どちらも等しく私にとって大事な人なので、すぐさまノーリッシュ領へ送る知らせを書き綴り始める。


 ……が、その途中。私はふとペンを止め、何とも益体もない事を考えてしまった。


「…………」


 もしも、二人を天秤の皿に載せなくてはならなくなったとき、私は……


     ◇


 結局、ルロイへの便りは『一日でも早く、王都に帰って来てほしい』というラブレターのような内容になってしまった。

 ……迂闊に文字に出来るような話ではないので、どうにも止むを得ないのだ。


 今日はさすがに朝まで飲む気分にもならないので、悪いけれどメリンダにはお引き取りいただこうとしたところ……


「……もうちょっと裏をとってから知らせるつもりだったんだけどさ。でも、事態が動いちゃったわけだしなぁ。いやいや、怪しい情報なら、やっぱり耳に入れないほうが……」


 全くもって彼女らしからぬ、何とも優柔不断な態度での前置き。

 ……あまり良い予感はしないものの、私としては聞かないという選択肢はあり得ない。


 眼鏡の位置を整え、レヴィン君をして震え上がった冷たい圧力をメリンダに放射する。

 すると……哀れなるメイドは、即座に両手を挙げて降参した。


「わかった、わかった! ……はい、コレ」


 エプロンのポケットから取り出された分厚い封筒には、またもウサギの封蝋。


 報告書の体裁としては指導が必要だけど、彼女は後輩ではなく友人。なので、私は特に何も言わずに封を切った。


     ◇


「…………」


「いや、私がその手の話を大好きなのは有名だからさ。いろんな街の友達から勝手に情報が送られてくるんだよね」


 報告書の内容は、いわゆる恋バナ絡みの情報を纏めたという資料。

 しかも、遥か遠く王国南方で最近広がっている噂だというのだから、彼女の『恋の諜報網』の凄まじさには恐れ入る。


「…………」


「いやいや、その広がり方を見れば分かるでしょ? どう考えても意図的に拡散されているんだから、内容についても恣意的に作られたと見るべきでしょ?」


 彼女らしからぬ硬い言葉で分析するのは、その噂の不自然さについて。

 なるほど、この速度と分布を見るかぎり、何かの欺瞞工作と判断するのが妥当だろう。


「…………」


「いやいやいや、魔術師ギルドに年齢制限なんかないんだからさ? その少年魔術師っていうのが、彼だなんて限らないよね?」


 街によって多少の差異は見受けられたが、急速に広められている『欺瞞情報』とは……概ねこんな内容だった。


『凄腕の少年魔術師が、とある商家の令嬢に求婚。そして、駆け落ち。屈強な従者たちを引き連れて、海の向こうの別大陸で大冒険』


 …………だ、そうだ。


「…………」


「ちょっと、リンジー? 顔、コワいよ!」


 そんな指摘を受けた私がニコリと微笑んでみると……深夜の女子宿舎には、まさに絹を裂いたような悲鳴が響き渡った。

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