第3話 千々に乱れし月下の剣舞

 ……空気を軽くするべく砕けた表現は使ったが、あいつの苛烈さと逞しさ、そして武才に対する評価に一切の誇張はない。


 俺の表情からそんな意思を察した兄貴は、眼鏡をずらして眉間を強く揉んだ。


「……マジで、それほどだったのかよ」


 常々言い聞かせてきたつもりだったが、文官肌の兄貴にはどうにも信じ難かったか。

 ……あるいは、ノラの猫っ被りの上手さを褒めるべきか。


 一方、親父はというと……


「…………そうか、それほどか」


 台詞のうえでは兄貴と変わらない反応のようだが、吐き出された溜息は異様なほどに長く重い。

 表情のうえでは平時とすら変わりがないように見えるが、それゆえに異様なまでの違和感を覚えてしまう。


 俺と兄貴は顔を見合わせ、親父に無言の圧力をかけ始める。

 ……文官肌の兄貴であっても、攻め込むべき機は見逃さない。


 そんな息子二人の連携にも、親父が異様はほどに粘りを見せたが……やがて、それにも限界が訪れた。


「……いずれ話さねばならんとは思っていたし、近く話すつもりではあった。ただ、もしも知らずに済むのなら、知るべきではない事であるのも確かなんだがな……」


 全くもって親父らしからぬ、迂遠極まりない言い回しの前置き。

 ……ただ、それは誤魔化す意図ではなく、覚悟を固めるまでの時間稼ぎのようだ。


 俺と兄貴は顔を見合わせ、下らない言葉遊びが終わるのを大人しく待つことにする。


 そして……


「まぁ、端的に言うとだな……」


     ◇


 端的に煮え滾る鉛を飲まされた俺は、晩飯を食う気にもなれず屋敷の外に出る。


 月明かりに照らされる前庭には、敢えて一区画ほど刈り残された雑草の茂みがあった。


「ジジイめ……」


 さすがに全ての事情は聞かされていないだろうが、やつは俺が剣を振り回したくなるくらいのことは察していたらしい。


 思惑に乗るのは少々癪だが、それでも俺は白刃を抜いた。


「はぁっ!」


 夜風に草切れが舞い散る中、思い浮かべるのはレヴィンの気の抜けた面構え。


 親父の衝撃的な独白のあと、一応あいつの追放についても二人に相談はしてみた。

 が、当然のことながら、返ってきた答えは『可哀想だが、今は動けない』というもの。


 ただ……それでも二人は、俺にはなかった一つの視点を齎してくれた。


「……ウチの家族が、迷惑かけてすまんな」


 それは、あいつの追放が『あいつ自身に直接的な原因はなく、ただ運悪く何かに巻き込まれただけ』というもの。

 あいつを事態の中心に据えて考えていた俺としては、却って盲点となっていた。


 そして……その何かというのも、タイミング的に我が家の事情である公算は高い。


 間接的にとは言え、俺の義理の母や不肖の妹が、あいつに想い人との別離を強いてしまったかと思うと……柄を握る手にも自然と力が篭る。


「うらぁっ!」


 薄ぼんやりと光る月に思い映すのは、運命に翻弄されるマグノリアさんの儚さ。


 俺はノラに会うため別邸にもしばしば足を運んでいたので、当然あの人と対面した回数も多い。


 あの人が、今は亡き神聖クリスタリア王国の王女様である事は知っていた。

 あの人が我が家に来る前、あの『鳥籠』に囚われていた事も知っていた。

 そして、我が家に来たときには、すでに身籠っていた事も知っていた。


「…………」


 だが……それが親父との間の子ではなかったとは、さすがに想像だにしていなかった。


 通常、鳥籠の中で身籠もれば、種を蒔いた男が大事に育てるか……あるいは、無残に刈り取るかするはずなのだ。


「……ノラ」


 刀身に映る自分の顔と見比べるのは、猫っ被りが上手くて愉快な妹の笑顔の記憶。


 ……お淑やかさとは程遠い豪快な気性に、花や宝石よりも汗と剣を好む嗜好。


 親父や兄貴に似ず、俺に似てくれた事を内心嬉しく思って可愛がっていたが……どうやら、そうではなかったらしい。


「……まさか、お前も王女様だったとはな」


 ……当時、マグノリアさんを『味見』した男は、ただ一人だけ。


 今の地位につく前は自ら剣を取り、血みどろの戦場にて数多の武勇伝を打ち立てた……当時は王子の一人であり、現在の国王陛下、その人。


     ◇


 明けて翌日。


 見覚えのない故郷を馬で駆け回りながら、俺は過去最長の家族会議を思い返していた。


「……さて、どっちだ?」


 家族には一切の隠し事をしないはずの親父が頑なに秘していた、ノラの出生の秘密。


 もし、その秘密が漏れていたのならば……存在を抹消したい奴も、祭り上げて利用したい奴も、群れを成して襲ってきて当然の話。

 あいつへの襲撃の理由を考えるうえで最有力のものであり、他の可能性を考えるなんて全くもって時間の無駄だった。


 ……当然、必死に知恵を絞っていた兄貴はブチ切れていたし、今現在も親父を尋問あるいは拷問中だ。


「…………」


 ……しかしながら、親父の気持ちも分からんでもない。


 その秘密を握っていたのは、当事者と言える三人だけらしい。

 ……つまり、親父とマグノリアさん。そして、国王陛下。


 さすがに、あの様子の親父を疑う必要はないだろうから……残る候補は二人。


「…………」


 次に思い浮かぶのは、拷問を受けたマグノリアさんがノラの秘密を漏らした……という可能性だが、それはないはず。

 ……ノラの秘密を知らない者が、マグノリアさんに目をつけて拷問する理由がない。


 別の理由で捕らえたマグノリアさんが、たまたまノラの秘密を漏らした……というのも考えにくいだろう。

 ……母子の情どうこう以前に、召還されたマグノリアさんが王都に着く前にノラが襲われたわけだから、時間的に少々無理がある。


 と、なると……もはや一人しか残らない。


「……けっ」


 王位継承の話が拗れないように、念のため消しておきたいのか。

 あいつを王女として迎え入れて、遅ればせながら父子の情を交わしたいのか。

 それとも、酔って漏らした秘密を聞いた誰かが、自分の思惑で動いただけなのか。


 何にせよ……親父としては単なる身代金狙いか何かであることを最後まで祈っており、王家に弓引くことになりそうな筋書きを必死に頭から追い出していたのだろう。


 ……この一件は、家族の情が篤い親父に、娘一人と領民全員の命を天秤の皿に載せさせていたわけだ。


「……やっと見つけたぞ」


 とはいえ、これ以上考えるのは、考えるのが得意な二人に任せればいい話だ。


 ……ならば、俺がやるべき仕事など至ってシンプル。


     ◇


 領主の息子が領民に道を尋ねて、領都で領土の地図を求める……という、何とも間抜けな買い物を終えて。


 何とも気不味い顔で店を出てみれば、眩しい真夏の空には一羽の小鳥が翔んでいた。


「さて、何処にいやがるのやら……」


 仕事の前の一仕事は、この上ないほどの大仕事。


 王都より次なる命令書が届く前に、今も領内を逃げ惑う襲撃者どもを追い詰める。

 たとえそれが王家の手先だろうが、一人残らずキッチリ埋めてしまえばいいだけだ。


 ……兄貴にとって、『妹を虐めた奴をブン殴る』以上の一大事などあり得てたまるか。

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