第3話 ナイフを忍ばす女子会

 夕焼け色に照らされた階段の踊り場で、私は周囲を舞う水蝶たちに命令を下す。


「……飛べ」


 オレンジ色に透ける彼らの視界は、すでに私の左目と同期済み。

 それぞれの曖昧な視界を統合して、私の瞼の裏に俯瞰図を送り届けてくれる。


 ……代々伝わる独自魔術は、レヴィン君との研究により正統な進化も遂げているのだ。


「…………!」


 ちょっとした公園ほどの広さを持つ屋上にいたのは、意外にも……メリンダただ一人。

 縁の柵に腰掛けて足をブラブラと揺らし、ワインボトルを片手に夕日を眺めている。


 護衛や監視などが潜んでいる様子はなし。

 ……つまり、情報を秘匿するためなら、彼処から飛び降りるのも辞さない覚悟らしい。


「……残念ね」


 彼女は手紙を届けるだけの、ただのメッセンジャー。

 そんな一縷の希望も、今潰えてしまった。


 ……この女子会とやらが終われば、彼女は指示をした者に顛末を報告しに行くか、指示した者が会いに来るのだろう。


「……私も、覚悟を決めないと」


 一応、昨夜のうちに例の邪法の改良は済ませて来た。

 性能自体は問題ないと思うけれど……人間に行使した場合の影響はもちろん未検証。


 私が彼女を介して情報を得たのち、彼女は日常に戻るのか。あるいは、指示をした者に消されるのか。

 それとも……邪法の影響で廃人となってしまうのか。


 ……それは私には分からないし、私には考える必要も資格ない。


「……よし!」


 私は自分の手のひらをじっと見つめ、そして爪が食い込むほどに強く握り締めた。


     ◇


「あ、遅かったですね! 先に始めちゃってますよ」


 肩越しに振り返ってワインボトルを掲げる姿は、素人目に見ても隙だらけだ。

 予期はしていたけれど、彼女自身は訓練された諜報員ではなく……完全なる捨て駒。


 しかし、その駒をこれから潰そうとする私が、彼女の身を慮るなんて滑稽な話だ。

 私は心を凍らせるように努めながら、一歩ずつ彼女に近づいていく。


「……随分と物騒な招待状だったけど、警告って一体何のことなのかしら?」


 悠長に話しかけたりせず、もっと言えば屋上に出るなり仕掛けるべきだったのかもしれない。

 それでも……私は彼女との対話を選んだ。


 ……彼女と言葉を交わせる、最後の機会かもしれないから。


「その辺は飲みながら……と思ってたんですが、先に済ませちゃいましょうか。まぁ簡単に言えば、リンジーちゃんは怪し過ぎたんですよ」


 何とも有り難いことに、彼女は私の行動が露見した理由を教えてくれるらしい。


 それならば……と私は足を止め、後学のために話の続きを聞くことにする。


「……レヴィン君にゾッコンだったリンジーちゃんが、何もせずに大人しくしてるなんて変ですもん。それに、よりにもよって次に狙うのがスタンレーだなんて……まぁ、絶対にあり得ないですね」


 ……聞くに耐えない表現だけれど、要旨は十分に理解できた。


 つまり、動きを察知されるのを恐れるがあまり、却って不自然になっていたわけだ。

 一方、スタンレーの件については……さすがに狙いが露骨過ぎたか。


「……なるほどね。わざわざ教えてくれて、どうもありがとう」


 私は自身の迂闊さに歯噛みしつつ、それでもこの場で学びを得たことに感謝し……魔術を行使した。


     ◇


 靴底に薄い水の層を創造し、高速流動。僅かな足音も立てず、一息で間合いを詰める。


 彼が「夏でもスケートしたい」と言って考え出した魔術だけど……今この時だけは、そんな事を考えない!


「むぐぅっ!」


 背後から左手で彼女の口を塞ぎ、右手でナイフを首筋に添える。

 その間、彼女が見せた抵抗は……ワインボトルを取り落して赤を撒き散らしただけ。


 ……このメッセンジャーには、最低限の護身の心得すら仕込まれていないのか。


「念のため言っておくけど……のんびり尋問するつもりはないから、聞かれた事には正直かつ即座に答えてね。でないと、酔っ払いメイドが足を滑らせて転落死するわ」


 自ら身を投げる覚悟で此処にいるだろう彼女に対して、何とも陳腐な脅し文句。


 実際のところ、ここまで接近すれば彼女に憑依するのも容易。

 だけど……彼女のあまりの無防備さを目の当たりにして、私は生まれて初めての尋問を試みずにはいられなかった。


 何とも虫のいい話だけれど……出来ることなら、例の邪法を使わずに済ませたい。


「……!……!」


 涙目で頷く彼女を見た私は、口を塞いでいた手を滑らせて襟の後ろを掴む。

 そして、彼女の身体を前に押し出し、屋上の縁から地上の様子を見せつけた。


 弱々しい嗚咽に胸を刺されつつも、私は最初の問いを投げかける。


「まず、誰の指示だったのかしら?」


 しかし、返ってきたのは……正直な答えでも回答の拒絶でもなく、涙の滲むキョトンとした表情。

 ……ここまで見事に仮面を被られては、私では内心を推し量るのは難しい。


 やむなく追及を保留することとし、私は次の問いに移る。


「指示した者の目的は何? ……そして、貴方が指示に従う理由は?」


 思わず付け足した三つ目の問いは、彼女が何か弱味を握られている可能性を期待してのもの。


 たとえ彼女が誰かに脅されていたのだとしても……決して譲れぬ目標がある私には、彼女を助ける余裕などない。

 だから、事情を聞いたところで何の意味もなく、ただ私の罪悪感が上乗せされるだけ。


 それでも……あるいは、だからこそ。

 罪深い私は、彼女の口から『これは自分の意思ではない』と聞きたかった。


 なのに……

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