第2話 ウサギで封した招待状
私の羽ばたきも随分と力強くなり、そろそろ次の段階に進もうと考えていたある日。
宿舎の廊下を歩いていた私は、一人のメイドに声をかけられた。
「リンジーちゃん、男にフラれて小鳥に乗り換えですか?」
王宮勤めとは思えない言葉遣いの彼女は、この宿舎のベッドメイキングなどを担当しているメリンダだ。
当然、その仕事の過程において、私の自室にある鳥籠も目にしているだろう。
「まぁ、そんなとこよ。ごめんなさいね、嵩張る物を置いちゃって」
強烈な皮肉のような彼女の言葉にも、私は軽く肩を竦めて返事をする。
このメリンダは、私に気安く話しかけてくれる数少ない人物のうちの一人。
……勢いというか、テンポが全然合わないので、とても仲が良いとは言い難いけれど。
ともかく、先の台詞は悪意によるものではなく、彼女なりのコミュニケーションだ。
「いやいや。あの子の可愛い仕草には、私も毎日癒されてますから。あ、そうそう……可愛いと言えば、レヴィン君! 彼がいなくなっちゃって残念ですね」
矢継ぎ早に飛び出た言葉の最後。片時も忘れ得ないその名前が、私の心臓を大きく跳ねさせる。
陰口ならともかく……その件について、私の前で話題に上げる者は一人もいなかった。
私は何とか動揺を抑え込み、程良く残念がっている仮面を被る。
「……そうね。でも、仕方ないわ。彼ならきっと、何処へ行ってもやっていけるわよ」
王宮勤めの人間はそれなりに入れ替わりが激しく、それは宮廷魔術師も例外ではない。
それに、元宮廷魔術師の肩書きは伊達ではなく、魔術師ギルドでも冒険者ギルドでも高く評価されるのだ。
もちろん、何者かが裏で手を回していなければ……だけれど。
「なるほど、あんまり気落ちしてないんですね……まぁいいや。はい、コレ!」
上手く誤魔化せたのか確かめる間も無く、メリンダから手渡されたのはピンク色の封筒だ。
ウサギ型の可愛らしい封蝋が、何とも彼女らしい。
……こんなの、何処で売ってるんだろう?
ともあれ、そんな事はさておき……
「……何なの、コレは?」
その手紙を一見して受ける印象は、まさしくラブレター。
よもや彼女は……という思いを抱いた私が思わず後退ると、彼女は慌てた様子でパタパタと手を振る。
「いやいやいや、女子会のお誘いですよ! 一度、リンジーちゃんと飲んでみたいと思って。色々と聞いてみたい事もあるし」
……なるほど、スタンレー特級魔術師との件についてか。
あの男との逢瀬はもはや無意味と判断した私は、最近はほとんど誘いを断っている。
どうやら、そのあたりがメイドたちの間で噂になっているらしい。
だけど……
「…………」
ニコニコ笑う彼女の顔と、ピンク色の封筒とを何度も見比べる。
メイドたちの情報収集能力は馬鹿にできないので、その手の集まりに参加させてもらえる事には大きな利がある。
……とはいえ、どうせ話題の中心となるのは、いわゆる恋バナばかりだろう。
さて、どうしたものか……
◇
とりあえず、都合がつけば参加すると答えた私は……自室で封筒を開けるなり、頭を抱え込んでしまった。
「…………」
『警告したき儀があるゆえ、明日夕刻、庭園を臨む屋上に一人で来られたし』
普段の彼女の様子とは全くそぐわない言葉遣いに、彼の追放を暗喩する時刻と場所の指定。
……警告の内容とは、間違いなく『レヴィン君に関する調査を断念せよ』だろう。
「…………」
例の邪法については書面に残しておらず、研究は全て私の頭の中だけで完結している。
なぜ気づかれてしまったのかは全く不明だけれど……その事は今は置いておく。
警告という文面から、彼女個人による強請り集りなどではないのは明らか。
……つまり、彼女は黒幕に繋がる何者かの指示を受けている。
「…………」
とはいえ、これは危機的な状況である一方で、黒幕が見せた初めての動きでもある。
彼女自身は大した情報を持っていないとしても、彼女に指示を出した人間を辿っていけば何らかの手掛かりが得られるはず。
……問題は、情報を辿るための手段だ。
「…………」
手紙から顔を上げた私は、大人しく止まり木に佇む小鳥と見つめ合う。
諜報の仕事から遠ざけられていた私には、尋問や拷問の技術などは教えられていない。
耳学問で多少ばかりの知識は有しているとはいえ、その程度で上手く口を割らせることが出来るとは思えない。
ただ、今の私の手の内には……それ以上の手段がある。
彼女に憑依してしまえば、口を割らせるまでもなく、指示した者に接触できるのだ。
「…………」
例の邪法を人間に適用するための改良というのは、そう難しいものではない。
決して実行するつもりはなかったけれど、その気になれば数時間で完了するだろう。
つまり、今の私に問われているのは……彼の笑顔を守るため、彼の笑顔が私に向けられなくなるのを受け入れるか否かの覚悟だ。
「…………ねぇ、君ならどう思う?」
私は答えが返ってこないとは知りつつも、鳥籠の中の無邪気な瞳に問いかけていた。
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