第7話 不協和音が織りなすメロディ
僕とノラが睨み合いで火花を散らしているうちに、順次送り出した蜂たちは全て族長の拳で撃ち落とされてしまった。
この初手には防御の隙を探る意図もあったのだけど、族長の身体には焼け跡一つ付いていない。
……もちろん、裸の拳も言わずもがなだ。
しかし、そんな有様でも、僕の魔術は族長の想定を上回っていたようで……
「パピヨン……どうだ、いっそ俺と組まねぇか? その嬢ちゃんを売り飛ばした報酬も、べつに山分けで構わねぇぜ?」
目の色から察するに、その下衆な誘いは皮肉や挑発の類ではなく、半ば本気の賛辞のようだ。
実際のところ、僕の目標達成のみを考えるなら、その申し出を受けるのもアリだ。
……とはいえ、さすがの僕もそこまで根腐れはしていない。
「嫌だね。彼女は、僕が独り占めにする」
ヒューと口笛を吹く族長に、頬を紅潮させて俯くノラ。
二人とも、しょうもない勘違いをしているようだけど……まぁいい。
石突きで地面に文字を書き出したノラに向かって、僕はここから先の動きについて指示を出す。
「よし、ひとまず……」
◇
そんな僕を無視して、ノラはずいっと一歩前に出た。
「私の腕じゃ、まだアイツと至近距離で打ち合うのは無理ね。ひとまず一撃離脱に徹してみるから、貴方はさっきの魔術で隙を埋めてくれるかしら? 何か仕掛けるときにはアイコンタクトで知らせて。タイミングは貴方に任せるから」
背を向けたまま早口で唱えられた作戦は、ムカつくことに僕の考えとほぼ一致。
……やっぱり、戦いに関する事であればキチンと頭が回るわけか。
「了解、じゃあ気をつけて……むぐっ!」
ふいに振り返ったノラは、僕の顔下半分を鷲掴みにして激励の言葉を遮った。
ジタバタと暴れてみても締め付けは一向に緩まず、むしろ力を込めた指先が次第に皮膚へと食い込み始める。
……こいつは、一体何がしたいんだ?!
「……気をつけるのは貴方のほうよ。ヤバいと感じたら、遠慮せずに一人で逃げなさい」
偉そうな口ぶりは相変わらずだけど、視線に込められているのは本気の心配。
たしかに、僕に関しては族長が手加減する理由はないわけだけど……
「…………」
口を塞がれているので返事は出来ない。
ただ、それを差し置いたとしても……コレはアレだ。
『はい』と答えても『いいえ』と答えても面倒臭いやつだ。
……実際のところ、逃走用の魔術についてはリンジーさんが太鼓判を押すほどの腕前なので、僕自身はさほど心配していない。
とはいえ、そんな主張をしてもノラはどうせ信じないだろう。
ならば……
「……分かった。一旦逃げてから、必ず君を助けに行くよ」
タップにより解放された僕が捻り出したのは、何とも優柔不断で場当たり的な答え。
それでも彼女は納得してくれたようで、眩しい笑顔で大きく頷いた。
◇
彼女の『一撃離脱』とは、前後のステップで間合いを出入りするのではなく、もっと極端で豪快なものだった。
弧を描く長い助走で限界まで加速。自身を槍と成した一撃をすれ違い様に叩き込むという、捨て身に近い戦法だ。
「はあぁっ!」
柄を長く持つことで体格差を補い、穂先の幅広さで精度を補う、強烈極まりない刺突。
族長の指摘どおり、十字槍は彼女にピッタリの得物だったけど……
「いいぞ、その調子だ!」
上段への攻撃は身体を揺らすだけで的を外され、下段への攻撃は足捌きだけで躱されてしまう。
そのうえ揶揄う余裕もあるのだから、全く手がつけられない。
ノラはそのまま駆け抜けて再び助走をとろうとするも、それは万全の体勢の族長に背中を晒すことになる。
もちろん、その隙を埋めるのは僕の役目。
だけど、こちらも……
「パピヨン……狙いは悪くないが、それだけに読み易いぞ!」
蜂で視線を誘導すると同時に足場を窪ませてみたけれど、それも難なく避けられてしまった。
速度重視の魔術も駄目、手数や高誘導でも駄目。今みたいな搦め手だって、容易く対処されてしまう。
手を替え品を替え状況の打開を試みてきたけれど、ノラへの反撃を防ぐのが精一杯の状況だ。
そして……実際には、それすらも族長の手加減のおかげ。
もしダメージ覚悟で突っ込んで来られていたら、ノラはとっくに落ちているだろう。
「くそっ……」
本気を出せば、僕はもっとデキると思っていた。
だけど、それは何の根拠もない只の自惚れだった。
柄にもなく張り切ってみたところで、良い結果など出るはずがなかったのだ。
僕一人なら、今からでも逃走は可能。
おそらく、ノラも手荒な事はされない。
一旦引いて、島の奥の魔物でも引き連れてくれば……
思考がそんな方向に傾つつあった僕を、ノラは豪快に笑った。
◇
「何をショボくれてるのよ、面白くなってきたところなのに!」
その想像を絶する能天気さに、僕は俯き加減になっていた顔を上げて彼女を睨み返す。
「……っ?!」
汗で髪が張り付くその笑顔は、一点の曇りもなく澄み渡っていた。
自棄になっているわけでもなく、現実逃避しているわけでもなく、ましてや思考停止しているわけでもない。
そこにあったのは、何処までも純粋な闘志だけ。
……自分の命運がかかったこの場面で、どうしてそんな顔で笑えるんだ?
「だから、頭でっかちは嫌いなのよ!こいつは私が独り占めするから、貴方はさっさと逃げなさい!」
僕の魔術による支援がなくなれば、即座に決着がついてしまうのは明らか。
あいつの価値観も思考回路も、さっぱり理解できない。
だけど……それこそが、僕が学ぶべきものなんじゃなかったのか?
「……逃げるもんか! 僕はまだ、本気を出していない!」
正確には、僕は『自分の本気の在り処を知らない』だ。
本気の戦いなど初めてなのだから、本気を出すのも初めて。
だから、今出している力が本気の本気かどうかなんて、僕にだって分からないのだ。
……ヤバい。脳筋な儀式に付き合っている影響か、僕の思考も大分おかしくなっている気がするぞ。
「そう! なら、もっと集中しなさい!」
あいつの指示に従うのは癪だけど、たしかにそのとおり。
自省も気負いも、決して譲れぬ目標さえも……今は忘れて、この一戦に全ての意識を注ぎ込む。
「…………」
クリアでシンプルになった頭で、目の前の戦況を分析する。
族長……体力気力ともに未だ充実。
手加減はしていても油断はなく、危機が迫れば一段ギアを上げて対処するだろう。
ノラ……尻上がりに調子を上げている。
ただ、それは旺盛な気力で疲労を誤魔化しているだけで、そう遠くないうちに限界が訪れるだろう。
僕……体力の消耗なし、気力も回復。
魔力だってまだまだ残っているけど、どれも有限。いずれ底をついてしまう。
つまり、一言でまとめれば……完全にジリ貧の状況だ。
ならば……
「……!」
……仕掛けるべきは、今この時。
交錯する視線を介し、その意志はノラにも確かに伝わった。
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