第2話 愛なき婚約と打算の逃避行

「……僕を、君の婚約者にしてほしいんだ」


 殴りかかられる事も想定した申し出だったけど、ノラは目を丸くするのみ。

 そして、しばらく固まったあと……口元に手を当ててクスクスと笑い声を上げる。


「あらあら、やっぱり貴方って……」


 ……この上なくウザいけど、これもまた想定していた反応の一つ。

 肘でグリグリとされるのを無視して、僕は話を続ける。


「……それで、適当な時期に破棄してほしいんだ。僕のゴタゴタさえ片付けば、いつでもいいからさ」


 僕には心に決めた相手がいるので、当然こんなのと添い遂げるつもりなんてない。

 僕が欲しいのは、貴族のご令嬢の婚約者であるという『一時的な書類上の肩書き』だけなのだ。


     ◇


 エステリア王国の貴族社会においては、平民との婚姻も絶対的な禁忌ではない。

 もちろん、個人の恋愛感情が許容されているのではなく、優れた血を市井から取り込むのが目的だ。

 ……自分で言うのも何だけど、僕ならば有資格者に該当する。


 そして、正式に婚姻が成立すれば、配偶者側の平民も貴族の一員として扱われる。

 婚約者の段階では些か曖昧な立ち位置であるものの、それでも相応の扱いを受けるのが通例。


 つまり、自由に王宮へと立ち入ることも可能となるわけだ。


     ◇


「なるほど……つまり、一時の夢を見たいというわけね」


 ……全然違うけれど、まぁいい。


 使用人にしてもらうという代替案でも、リンジーさんに再会することは可能ではある。

 しかし……それでは王宮内での行動範囲が限られるので、あの人が巻き込まれているだろう陰謀を解決に導くことは出来ない。


「困ったわね、どうしようかしら?私には、心に決めた相手がいるんだけど……」


 ……このブラコンめ。夢を見ているのは、一体どっちなのか。


     ◇


 そんな話をした翌日は、奇しくも定期船の到着予定日だった。


 ノラから『今後の働き次第では考えてあげる』という回答を引き出した僕は、彼女を連れて集落へと向かう。

 船に乗って島を出るだけなら、磯を抜けたあとに直接桟橋へ行けばいいんだけど……


「……さて、OKしてくれるかな?」


 僕が目論んでいるのは、族長に旅への同行を依頼すること。

 期待するのは、彼が有しているだろう戦力と……裏社会への人脈だ。


 それなりに実戦を経験してきたとはいえ、僕では本職の殺し屋なんかを相手取るには心許無い。

 それに、追っ手の目を逃れつつ長旅をするともなれば、経験豊富で旅慣れた仲間がいるのが望ましい。

 族長の素性や目的を確認してからにはなるけれど……もし付いて来てくれるのなら、きっと心強いだろう。


「とはいえ、まずは事情の説明からだな」


 ノラの療養中に何度か集落へは顔を出したものの、まだ族長には『倉庫が荒らされていました』の報告しかしていない。

 ……族長に申し付けられた『当分の間、住み込みで張り込み』の指示は、彼女の事を伝えるまでの良い時間稼ぎになった。


「とりあえず、いきなり集落に連れて行くのはナシだな……」


 明確なルールなどないこの島だけど、実態としては女人禁制。

 ……おっさんばかりの島に来たがる女人など、ノラ以外にはまずいないのだ。


 ここに流れ着くような人間は大抵その手の欲望も枯れ果てており、おそらく族長も同様だと思う。

 だけど、それもあくまで希望的観測。慎重に事を運ばないと、全部が台無しになってしまう。


 そんな具合に、僕が族長との交渉について考え込んでいると……先行していたはずのノラが、いつの間にか戻って来ていた。


「……ねぇ、ちょっと話をしたいんだけど」


 ここまでの道中、ずっとケラケラ笑っていたはずの彼女は、今は随分としょんぼりした様子。

 やたらと深刻そうな顔をしており、カニの相手に飽きたというわけでもなさそうだ。


 何か話があるなのなら昨日のうちにしておけよと思うも……冷たくあしらって機嫌を損ねるのも面倒臭い。


 僕は焼け石の魔術を展開して、少し早めの休憩を取ることにした。


     ◇


 ゴツゴツした岩場に腰を落ち着けて、魔術の真水で喉を潤して一息。

 ノラはずっとモジモジしたままなので、僕から話を切り出すことにする。


「で、一体どうしたの? ……もしかして、まだ例の件を疑っているの?」


 例の件とは、意識のない彼女に神酒を飲ませた折の話だ。

 咄嗟の閃きで『銀の漏斗』を使ったので、互いの純潔はしっかり守られているのに、彼女は一向に信じてくれない。


 溜息と一緒にその実物を創造し、再度説明しようとしてみたけれど……僕の推測は全くの的外れだった。


「……実際のところ、どう思う?」


 潮騒の中に消え入りそうな声色に、僕は自身の浅はかさを悟る。


 ……彼女は脳筋であっても馬鹿ではなく、委細はともかく状況自体は理解していた。

 ずっとハイテンションであったのも、半分程度は空元気だったのだ。


 となると、彼女の顔を曇らせている理由など一つしかない。


「それは……君の家族が良からぬ企みに関わっているかどうか、って事かな?」


 念のための確認に、ノラはこくりと頷く。


 ……もし正直に答えるのならば、返事はもちろん『分からない』だ。

 お父上は穏やかで優しそうな人だったけれど、貴族である以上は娘に見せていない顔もあるはず。

 僕が会った事のない一番上のお兄さんも、跡継ぎなのだからきっと同じだろう。


 だから、僕が彼女に言えるのは……


「……少なくとも、ルロイは関わっていないと思うよ」


 何の根拠はなくても、それだけは確信できる。


 ノラと同様の脳筋で、陰謀なんて回りくどいことはしない……というのもあるけれど、あいつは暑苦しいほどに家族思いで正義感が強い。

 もし父親や兄が関与しているのを知ったならば、とっくに大暴れして計画をぶち壊しにしているだろう。


「ええ、そうよね……」


 僕の答えに納得したのか、納得していないのか。

 ノラは水平線に目を向けたまま、そっと僕の手を握った。


 ……その白い手の内側は思いのほか硬く、折り重なるマメとカサブタで酷くガサついていた。


「……うんうん、そうそう」


 僕はワガママ姫に適当な相槌を返しつつ、彼女に倣って水平線を眺めてみた。

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