幕間

過保護に包まれた煌めきの価値

 週に一度の逢瀬から帰り、私は閉じたばかりの扉に背を預けて溜息をつく。


「……疲れた」


 さして長い時間ではなかったので、もちろん肉体的な疲労などではない。

 気のない相手に甘い言葉を囁くという、不慣れで不快な行為による気疲れのせいだ。


「……本当に、最低」


 そして、同じく甘い言葉を返して来た相手が、実は私に気がないことも分かっている。

 あの男の視線が見ていたものは、地味な顔でも貧相な身体でもなく……その奥に流れる血だけ。


 着替える気力も失っていた私は、そのまま勢い良くベッドに身を投げ出す。

 そして、天井に向かって、もう一度盛大な溜息を吐いた。


「今日も収穫なし、かぁ……」


     ◇


 レヴィン君の動向について分かっているのは、王都最後の夜に泊まった宿まで。


 もちろん、各種ギルドに問い合わせるなどすれば、以降の足取りも追える可能性はあった。

 ……だけど、表立って動くのは却って彼を危険に晒してしまうと思い、泣く泣く断念したのだ。


「……何処で何をしているのかな?」


 そうなると、この一件に関する手掛かりとなるのは、彼の追放に関与したスタンレー特級魔術師が握る情報のみ。

 ……ただ、やはりあの男は背後の勢力に踊らされていただけのようで、現在に至るまで有益な情報は得られていない。


 何か追加の動きがあれば察知できると思い、念のため繋がりは保っているけれど……果たして意味があるのかは疑問だ。


「……元気にしてる、よね?」


 それと併せて、もし彼の身に何かあったなら嬉々として知らせてくれるだろう、という思惑もある。


 幸いにして、今のところそんな話は出ていないものの……単にあの男が把握していないだけという可能性もあり、話題に上らないことが彼の無事を保証するわけではない。


 彼は才能溢れる魔術師ではあっても実戦経験はなく、成人しているとは言っても社会経験は乏しい。


 ……心配は尽きない。


「そう言えば……すっかり感染っちゃった」


 考え事に没頭した際、ひたすら独り言を零し続けるのは彼の癖。

 下らなくも温かい繋がりに、私はひとり苦笑した。


     ◇


 そのまましばらくぼうっとしていると、ふいに扉がノックされる。


 ただでさえ友人が少ないうえに、最近では『上役に色目を使う性悪女』と陰口を叩かれている私には、こんな時間に宿舎を訪れるような人物に心当たりはない。


 ともあれ、あからさまな居留守を使うわけにもいかず、私は簡単に身繕いをして訪問者を出迎えた。


「…………」


 薄暗い廊下に立つのは、完全武装の一人の騎士。

 籠手に覆われた腕を組み、無言で周囲に怒気を迸らせている。


 端から見れば、不穏な事この上ない状況だけど……私は肩の力を抜いて微笑みかけた。


「お帰りなさい、ルロイ」


 任務で各地を転々とするこの幼馴染は、王宮に帰参した折には必ず挨拶に来てくれる。

 ……夜分に女性の部屋を訪れるのに、事前連絡の一つも寄越さないというのはどうかと思うけど。


「……何をしに来たかは、当然分かっているよな?」


 いつもなら満面の笑顔で土産と土産話を披露するはずが、今日は仏頂面のまま部屋に入ろうともしない。

 その刺々しい雰囲気が何とも嬉しく、私は思わず彼の手を握ってしまった。


「もちろん……全部分かっているわ。その件については、私からも相談したかったの」


 ……彼は私の数少ない友人の一人にして、レヴィン君の数少ない味方なのだ。


     ◇


 お茶を飲んで一息ついたところで、ようやくルロイは物々しい武装を解いた。


「もし血迷ってるようなら、たとえお前でも斬る……ところまではいかなくても、一発くらいはぶん殴るつもりだったんだがな」


 お茶を淹れている間に、大凡の事情は説明済み。

 盛大な肩透かしを食らった彼は、気不味そうに口元をもにょもにょさせている。

 ……どうやら、性悪女云々の噂まで耳に届いていたらしい。


「私としても、あれが最適解だったのかは分からないんだけどね。でも、正直に話してしまうと、きっと彼は王宮に残ると言うだろうから……」


 腕っ節には自信がないはずなのに、実は彼は負けず嫌い。

 そんな陰謀などには屈しない、と逆に奮起してしまっていたことだろう。


 彼が拳を振り回して抗議する姿を想像し、二人して笑う。


「結局、すぐにアイツもお前の意図に気付くだろうけどな。 ……それで、裏については何か分かったのか?」


 ひとしきり懐かしがったところで水を向けられたけど、私は黙って首を振るのみ。

 ルロイに相談したかったのは、まさにその事だ。


「私なりに調べてみたんだけど、さっぱり分からないの。今のところ、どちらの派閥にも目立った動きはないのよ」


 現在の王宮は、積極的に領土拡大を推し進める『主戦派』と、それよりも内政の充実を図りたい『反戦派』に二分されている。

 もちろん、政治的な対立軸はそれだけではないので、実際の権力闘争はもっと複雑。

 しかし、王宮内での争い事の大半は、元を辿れば大体どちらかの派閥に関係しているはずなのだ。


 ルロイのお父上は『反戦派』に属し、彼自身は『主戦派』が多い騎士団に身を置いている。

 そんなルロイならば、何か知っているかもと期待していたのだけど……彼もまた、黙って首を横に振るのみだった。


「そもそも、何故あいつを狙うのかが分からん。手間をかけて潰すほどの価値はねえし、むしろ取り込んだほうが役に立つだろう?」


 ルロイの言うとおり、レヴィン君は派閥政治などに関わりはなく、現段階では政争に巻き込まれるような立ち位置にはなかった。


 どちらの派閥にとっても有益になり得る存在とはいえ、彼の研究が実を結ぶのは将来的な話だし、彼自身は魔術師として発展途上もいいところ。


 そんな風に同調すると、ルロイは怪訝な顔をして首を傾げる。


「……あの訳が分からん研究はともかく、魔術師としての価値っていうのは、一体どういう事だ? 俺が稽古をつけてやっていたとき、お前もあいつのドン臭さをボロクソに貶していたじゃねぇか」


 ……今となっては、それも大切な思い出。

 事あるごとに、ルロイは渋る彼を強引に練兵場へと連れ出し、体力錬成と称して散々に模擬戦に付き合わせていた。


 あの日の光景を瞼の裏に映しながら、私は彼に対する本当の評価を告げる。


「レヴィン君の真価は、独創性と即興性よ。戦いに臨む心構えを身につけ、戦う技術を学ぶ機会を得れば……こと対人戦においては、きっと何処にも敵はいないわ」


 潤沢な魔力も卓越した技量も、せいぜい数年に一人の天才といったレベル。

 各世代の才能が集結する王宮を見渡せば、同水準の魔術師はそれなりに存在する。


 しかし……あの自由に羽ばたく彼の発想だけは、他の誰にも真似が出来ない。


     ◇


 通常、魔術師は思い描くイメージを強固にし、明確に体系化することで自身の魔術を強化する。

 自然現象や実在の武器、あるいは神話や伝承などを模した魔術が多いのも、そのあたりに理由がある。


 つまり、彼が『術理』と称する概念的なものを扱う魔術なんて、世間一般の魔術師には想像も及ばない。

 彼が難なく披露する『放ったあとの魔術を変質させる』という離れ業だって、事実上は彼だけのオリジナルに近い。

 彼を間近で見てきた私でも、ごく一部しか再現できないのだ。


 ……繰り出す魔術は、悉くが未知。そのうえ、相手の出方に応じて自在に変化する。

 魔術師でも騎士でも、完成に至った彼と一対一の勝負が成立する者は……果たして、この世に存在するのだろうか?


 そんな彼の凄さを語っていると、ルロイはまたも怪訝な顔をした。


「あいつを高く買っているのは分かったが、それならそうと本人に……」


 しかし、ルロイは言葉の途中でその理由に気づき、咎めるような視線を私に向ける。

 己の浅はかさへの後悔に胸がキリキリと締め付けられるけど……私には力なく笑うことしか出来ない。


「……過保護だったのは分かっているわ」


 なるべくなら、荒事に関わって欲しくないという……私のエゴ。

 それが今、未熟なままの彼を大きな危険に晒してしまっているわけなのだ。


     ◇


 その後も長く話し込んではみたものの、状況を一気に好転させるようなアイデアなど出ずはずもなく。

 結局、当面は『それぞれの方法で情報を集める』という至って無難な話に落ち着いた。

 ルロイは次の任務までお父上の領地に滞在するらしく、そちらで色々と動いてみてくれるそうだ。


 明朝早くに出立するという彼を見送る私は、薄暗い廊下で最後の挨拶を交わす。


「それじゃあ、気をつけて。お父様とお兄様、それと妹さんにもよろしくね」


 私が家族のことを口に出すと、ルロイはぽんと手を叩いて思い出し笑い。


「そういや、ノラもレヴィンと縁があったんだったな。まぁ、あいつは事情を知ったところで、心配なんかしやしないだろうが……」


 ノラというのは、彼の腹違いの妹さんの愛称だ。

 そもそも家族思いのルロイだけど、年の離れた妹さんは殊更に可愛がっている。

 同じく可愛がっていたレヴィン君とくっつけようと画策して、かつてお見合いじみた場をセッティングしたほど。

 ……何故だか、決闘騒ぎになってしまったらしいけど。


 歳若い二人のじゃれ合いを想像した私が口元を緩ませていると、一転してルロイは真剣な表情を浮かべる。


「……気をつけるべきなのは、むしろお前のほうだぞ? 気持ちは分かるが、あまり無茶はするな」


 幼い頃からの付き合いのせいで、言わずとも彼は私の内心を悟ってしまったらしい。


 ……心に決めていた一線を踏み越えて、さらなる調査を行うという揺るぎない覚悟を。


「ええ……もちろん、分かっているわ」


 とはいえ、身を案じてくれている彼の前でそれを認めるわけにはいかず、私はただ曖昧に頷いた。

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