ヒマラヤ聖人に逢いたくて

@kazu-sanga

ヒマラヤ聖人に逢いたくて

目の前に8000mのヒマラヤが、極寒の中に悠然と立っていた。

その雄姿に、凍える身体から熱い想いが溢れ出し、知らぬまに万歳をしていた。


早朝瞑想を始めて4年が過ぎていた。

その瞑想時に現れてくださるヒマラヤ聖人に逢いに行こう。と思い立ちすぐに計画を立て出発した。

到着した20年ぶりのカトマンドゥの街にも、驚いたが、

ヒマラヤトレッキングの入り口であるポカラはその類ではなかった。

以前は、本当の田舎町で、湖の周りにポツンと家があるだけだった。

それが、今では立派な街になっていた。

それも、世界のどこにでもある観光街になっていた。

特にツーリスト通りは、店が建ち並び、世界のどこにでもあるブランド品の店構えが並んでいた。

現地の人にとっては、より近代化を目指すのは当然なのだろうが、旅人にとっては、興ざめた気分だった。

カトマンズからポカラに向かうその途中の店で、ランチになり、同行者とシェアをして食べた。

この旅では、妹夫婦と友人が同行していた。

8時間のドライブ後の夕方にポカラに着くと、お腹が痛くなり始めた。 そして、とうとう下痢になってしまった。

ランチの店のコップが、原因ではないかと思われた。アジアに行くと、最近は、一度は下痢をする。生ものは食べないように気をつけても、やはりダメだった。 ここでも最新の注意をしたつもりだったが・・・

もしかすると、この下痢は神性で聖なる場所に行こうとすると、その前におこる下痢だったのかもしれない。

日本でも、聖なる神社・神性なパワースポットにいこうとすると、必ず下痢になり、すっかり身体中を清めさせられる。


夕食は、全く食べる気はしなく、りんごとバナナを買ってきてもらったが、それさえ口にしたくなかった。朝ご飯も、食べに行けなかった。

旅行社の人の迎えで、ヒマラヤ麓に専用車で向かった。その道筋は、日本の戦前の田舎の道路のようだった。舗装どころか、大きな穴があったり、凸凹道で、車内で大きく揺れるのは、当たり前だった。

途中で、ランチとなったが、車酔いと重なり、食事どころではなかった。

全く胃が動いていなかった。

こののトレッキングには、ガイド1名&ポーター2名がついた。

とうとう、登山口に到着した。3食抜きの、登山スタートとなってしまった。


目の前に、延々と続く石の階段があった。そこを昇っていくようだ。

なだらかな階段に見えるが、上に行くほど急になっていく。それが延々と続いていた。

最初はそれでも楽々と言えないまでも、調子よく上がって行けた。

だが、やっと頂上かと思えば、さらに上があった。頂上と思われた場所には、民家があり、生活があった。

子供の頃に、田舎の山の中にある父の実家にいったが、そこと同じようにヤギ小屋があり、鶏がいて、段々畑があり・・・

胃が止まっているせいか、空腹感はなかった。だが、エネルギーの消耗は烈しかった。

足が重くなると、飴を口にした。

スタートから5時間が経過したところで、山小屋に入った。

その小屋の周辺には、多くの小屋が乱立していた。それも以前にはなかった事だ。

以前は、ポツンポツンと建っていただけが、もう建てる場所がないというほどに、建っていた。

ずっと登ってきたお陰で、身体は温まっていたが、一桁の温度は、やはり寒かった。

部屋にも、当然、暖房はなし。食事の部屋にも、暖房はなし。

持ってきた衣類を重ね着るのみで、ホッカイロも貼った。

旅行社の案内では、ホットシャワー付きとあったが、温かいお湯が出るとは考えらず、シャワーもなし。

食事の時間になり、食堂に行ったが、寒くてたまらない。

メニューから各自が注文をする。

トレッキング費用に食事込みなので、最初は多めに注文していたが・・・

身体を温めるためにスープを注文したものの、食欲はゼロ。

味はまずくはないが、4,5口飲むと、まだ胃が受けつけなかった。

一人だけ早々に、部屋に戻り、寝袋に潜りこんだ。

食後の飲み物を聞かれたので、ショウガティを頼んだが、それも数口飲むだけだった。

食事が終わり、皆が戻ってきたが、外が騒がしかった。

イタリア人グループが、0時になっても、騒いでいた。その騒音で、中々眠れなかった。

夜の0時になっても、彼等の騒音は続いていた。

翌朝のガイドの話では、彼らは、当日が最終日で、打ち上げ会だったようだ。

ヒマラヤトレッキングの最後の日であれば、大目に見ても良いかなぁ~と思ったものの、

怒鳴り声や何かを叩く大きな音には、やはり常識を逸していると感じた。

山の朝は早い。早い人はAM4:00には出て行く。この旅行中も毎早朝には、ヨガと瞑想をした。

瞑想は30代から始めていたが、4年前に突然毎日早朝瞑想をしょう!

と決めたときから、何故か一日も休まずにやれてこれた。自分でも不思議でしょうがない。

このトレッキング開始初回の早朝瞑想では、いつものヒマラヤ聖人が現れて下さった。

山頂の崖から降りてくださり、自分との一体化が出来たようだったが、この日は山頂高くにおられて、イマイチリァリティな一体化ではなかった。

聖者は山頂に、自分はベッドの上とハッキリとした別離感があった。

まるで、聖者が『高見の見物』を決め込んでいるような感じだった。


ベッドを出て外を見ると、一帯が銀世界だった。

この小屋は、標高1700㎞の場所だが、何と、雪が積もっていた。

旅行社の案内では、雪が残っているかもしれません。とあったが、ガイドブックでは3月は初夏とあった。


寒い食堂での食事。まだ食べれる状態でもなく、スープを5口飲むのみだった。

雪の中のトレッキング開始となった。

景色が素晴らしく、それが励みになり一歩づつ進んでいったが、当然、皆から遅れる事になった。

それでも、進むしかなかった。

途中にエネルギー減となり、足が動かなくなると、ガイドが買ったきたバナナを、食べた。

それでエネルギーの補給をし、黙々と進んだ。足が重くなると、飴をなめた。

これも重要なエネルギー補給だ。

そんな状態でも、まだ景色の素晴らしい場所では、写真をとる余裕があった。


2日目は、4時間のみのショートトレッキングだった。

今夜の小屋は、タダパニという場所で標高2721㎞。ショートと言っても、雪の中を1000mも登ったことになった。

小屋に到着すると、戸口で待っていたガイドが、部屋で着替えをして、居間に行くように言われた。

着替えてヨロヨロの足取りで居間に行くと、そこには大きなドラム缶薪ストーブがあった。

ストーブの周りや上には、衣類・靴を並べて干してあり、皆がその廻りに座っていた。

火の温もりは、やはり心も温めてくれた。冷え切った体も温まり、遅めの昼ごはんとなった。

相変わらず食欲なしで、バナナとオレンジのみだった。

夕食もこの場所だったが、温かい薪ストーブのお蔭か、少し食欲が出て来た。

メニューには、茹でジャガイモと卵があったのでそれを注文し、ジャガイモ3個とゆで卵1個を食べる事ができた。

朝ご飯もジャガイモ3個とゆで卵1個。

空はグレーで、雲が重くのしかかっていた。

玄関先で先発のグループが、大きなゴミ袋の片端をカットして、頭から被っていた。

今日は、雨と雪の予報だった。

日本から、雨具は持参してこなかった。山行は楽しみで行くのだから、雨の日は行かず、

ましては雪の日などもってのほかの思いだった。

ゴアテックスの完全防備の雨具は持っていたが、大変重い為に、100円ショップで買ったビニールのレインコートのみ持参した。


日本出発の前日まで、天気予報を見てたが、トレッキング期間中に小雨があるだけの予報だった。

トレッキング翌日の雪は、青天の霹靂で、想定外だった。

山を甘くみていたと言うか、ガイドブックの初夏に、すっかりその気でいたのだ。


ビニールレインコートの上から、更にゴミ袋の簡易雨具を着けての、出発となった。

歩き始めてしばらくすると、雨が雪に変わった。雪が降り続く中を、ただ歩くのみだった。

そして、本日も私だけとなった。

ポーターの若い1人が、しんがりだったので、彼といつも2人で歩く形となった。

彼は、まだ経験が浅いようで、ほとんど話しかけることもなく、私が止まるとじっと後ろで待っていてくれた。

急がせることもなく、私のペースを我慢強く守ってくれていた。


一面が白一色で、木々の幹が黒く、幽玄の世界を作り出していた。

山水画の中に迷い込んだような感覚の中で、ただ上(3210㎞)を目指していた。

平坦な道はなく、上り坂や階段を一歩一歩進むだけだった。

その階段の一歩がつらい。

エネルギーの乏しい中で、全身を持ち上げるのは容易ではなかった。

両手のストックを足下に置き、ストックに支えながら両手で体を持ち上げる。

そして一息。その繰り返しだった。


テレビでエレベスト山頂近くの登山家が、

一歩をゆっくりゆっくりと進んでいたが、まるでその通りだった。

体を前に進めるには、それほどのエネルギーは必要としない。

だが、30㎝以上の段差の上に持ち上げようとすると、もう足の力だけではできなかった。

そのような作業が、数時間も続いた。フッと周りを見ると、素晴らしい白の世界があった。

空からは雪が降りそそぎ、真っ白な浄化の世界のように思われた。

意識は朦朧としていた。

すると、

その白の世界に、吸い込まれたいと感じた。

もうこの肉体から離れたいと思った。


その瞬間に、自分の口からハミングが溢れた。散歩や自然の中に行くと自然に出てくるハミング。

本日の歩き早々から、ヒマラヤ山頂に鎮座していた聖人が、わたしがしんどくなるたびに一段ずつ下へ降りて来られていた。

弱音が出そうになると、更に一段降りて来られ、

ハミング出るころは、すぐ私の横におられ、その存在を感じる事が出来たので、歩き続けられたようにも思えた。


そしていつの間にか聖人が女性になっていた。

その女性がのりうつったような軽い感覚となり、足速くなり、すぐに皆に追いついた。

このトレッキング中で、皆に追いついたのは、後にも先にもこの一度だけだった。

そして、同行者の妹に

「神が降りてきた」と言った。


そのまま大きな声で、ハミングしていた。

楽しい気分で、まるで先程の体の重さは、噓のようだった。

だが、それは長くは続かなかった。数分もすると、元に戻ってしまった。

一度軽さを感じた分だけ、その重さが更につらかった。


遠くに小屋が見え、ガイドが戸口にいた。

その目の前の一つの階段を上るのにも、渾身の力を込めないと上がれなかった。

ようやく辿り着いた小屋での、休憩だった。

中には、大きなドラム缶薪ストーブが燃えていた。その赤い火を見ていると、今朝の瞑想を思い出した。


その日は、夜中にトイレに行くと、もう中々眠くならず、諦めて瞑想に入った。

同行者のY子が「早朝瞑想も一緒にやりたい」と言っていたので、毎朝一緒にしていた。


隣のベッドで横になっているが、一応声をかけると、起きていた。

「これから始めますが、どうしますか?」

すると

「今は、-2度ですが、するのですか?」との声。

私は、気温や周りの環境は関係なく、ただやりたいからやるのみだ。

「これからやります。」 と答えると、彼女も起きだし、

狭い寝袋に下半身を入れたままのヨガ・ストレッチから始めた。

寝起きは、身体が温まっている上、寝袋に下半身が入っているので、それ程の寒さは感じない。

だが当然、吐く息は白い。

いつものヨガ手順は速めて、早々に呼吸法に入った。

標高2721㎞では、いつものしっかりした呼吸ができない。

幾分か浅い呼吸になってしまう。だが、見えて来る光は、いつもより目前に見える。

下界の瞑想で見える光は、目の位置から30~40㎝前方なのだが、その光はすぐ目の前に見える。

余りに目の前で明るく見えるので、目を開けてみた。

大自然の中にある小屋の中は、真っ暗で漆黒の世界だった。トイレに行くときに、それを確認していた。

その漆黒の中に、目の前に、閉じると見えていた光が、あった。

これは、あの時と同じだった。


「吉野山・金峯山寺での2泊3日の断食会での座禅中。

1時間おきに、座禅をするのだが、2日目の時だった。半眼にしていても、目前に緑の光が見えていた。

その光が余りに大きいので、半眼を開眼にしてみた。

すると、目を開けていても、はっきりとその緑の光はあった。

今回の光は緑でなく、煌々とした光り輝く光そのものだった。」

そして、漆黒の中でイメージが見えて来た。いつものヒマラヤ聖人の外に誰かがいた。

女性の姿もあり、そして懐かしいシン・ジャ―の姿もあるようだった。

シン・ジャーは、遥か彼方におられ、時折サポートしてくださる存在だが、退行催眠中に突然現れた。

更にもう一人の姿があったが、誰かは不明だった。まるで四者会談をしている雰囲気だった。

今日の雪中が、更にツラくなる山行きと知っており、四者で見守ろうとの事だったのだろうか?



休憩小屋のドラム缶薪ストーブの前には、苦しそうな表情の義弟がいた。

今までは元気で、食事時には女性陣の食べ残しもすべて平らげてくれていた。

義弟と言っても、同じ年。

隣に座り、問いかけると、昨晩は眠れなかったようだ。

夕食は、それなりに食べていたと思うが・・・ 胃が重苦しい為に眠れなかったという。

温かな薪ストーブと、自分なりのエネルギー補給をした後だったので、彼にレイキヒーリングをした。

幾分かよくなったようだ。

出発となった。彼は苦しい表情ながら、皆の後をついて歩いて行った。


出だしは、休憩中にビスケットと甘納豆を食べたお蔭で少しは楽だったが、10分もすれば、元の状態となった。 いつも通り皆に遅れながら若いポーターとの2人行脚となった。

暫らくすると、こんな高山に白馬がいた。

汚れが目立つ白馬だが、白は白だ。運搬用に使われているようだ。

そして、さらに登って行くと、仕事をしている人もいた。

もう標高3000㎞はあると思われる。黙々と竹を刈り、束ねていた。家畜の餌なのだろうか?

この日は、やたらと登山者が多かった。

(近くにトレッキングの基地となっているゴレパニがあり、今夜の宿)

前方上から下山してくるグループを待つのだが、その時間を休み時間とした。


韓国の国旗が書かれた帽子を被ったガイドが、私を見て、

自国人と思ったのか「アニハセヨ」と挨拶した。

私は、「ジャパニーズ・こんにちは!!」 と答えた。すると、

「何歳ですか?」と聞いた。

「およそ70歳」と答えると、 大きなジェスチャーで、驚き、

「ハイタッチ!!」 と言って、ハイタッチしながら祝福をしてくださった。

何だかこんな単純なお祝いでも、辛い体と心には響いた。

そして、更に上に登って行くと、

ネパール人のガイドらしき人が、私が通れるように待っていて下さり、何も言わないのに、

「ウエルカム!!」と言って微笑んで下さった。

私のヨロヨロとした足取りを見て、その場で待ち、そして

このヒマラヤに来たことを、こころから喜んで下っているのを感じる事ができた。


また一つ、温かな気持ちになれた。

一人での一歩一歩だが、行き交う人々の温かな声かけが、励みになった。

とうとう、3210㎞のプーンヒルの頂上に辿り着いた。

そこには遅れずに歩いていた苦しい表情のままの義弟もいた。

症状からみると高山病のようだった。

皆が出発すると、誰もいなくなった。思いっきり、新雪の上に寝そべった。

3200メートルの山頂の上で空を見ていた。灰色だったが無限の世界のように感じられた。

いつまでもそこにいたかったが、皆の後を追うために歩き始めた。

折角、山頂に到着したのに、ここから宿のあるゴレバニ(2853㎞)まで下って行った。

そして翌早朝には、

日の出を見るために、再度ここまで登って来なくてはならなかった。

降りの357mは、楽だった。

下に見える宿を目指しての歩きは、これまでのしんどさを緩めてくれた。

宿に入ると、義弟はもう部屋で休んでいた。

昼ご飯を食べずに歩いたために、空腹のはずだが、まだ空腹感はなかった。

昼食は、スープのみ注文し、残ったジャガイモを食べた。スープは、半分ほどで満腹となった。

義弟は、バナナとリンゴだった。今までの私の食事と、同じになってしまった。

私は、ようやくジャガイモとゆで卵に昇格したのだが・・・


食べ終わると、すぐに夕食のメニューを決めろと言われ、皆で笑ってしまった。

今、昼を食べ終えたのに、同じメニューから夕食を決めるのは無理があるし、

毎回、違うものをと思っても、もうそれもなかった。

私は食べれなかったが、一口づつ味見はしていた。


この小屋は、雪のために停電中だった。その停電が続くという。

「真夜中のトイレは、どうするのですか?」 とガイドに聞くと、肩をすくめただけだった。

宿には懐中電灯もロウソクもなかった。スマホの灯りを、利用するしかなかった。

だが、停電中なので、スマホの充電もできなかった。

明日は5時に窓を開けて山が見えたら、日の出を見るために5時半に出発。

山が見えなかったら日の出は無理なので、ヒマラヤが見えるビュー・スポットに行くために6:00出発となった。


薪ストーブのある部分だけには、電気が点いていた。

明るいのは、その一ヶ所のみで、その場を離れると真っ暗の中を歩くしかなかった。

早々に部屋に戻り、寝袋に潜り込んだ。寝袋に入ると、体温で暖かくなり眠りにつくことができた。

早くに眠ったので、3時には目が覚めて、寒い中の早朝瞑想。

ヒマラヤ山中のおかげか、ほとんど雑念がおこらなかった。

呼吸法の最中に、もう光は見えており、イメージもハッキリと見えて来た。


この日のイメージは、昨朝の四者会談のメンバーが、笑いながら手を振っていた。

その様子を見て、本日の日の出は、大丈夫だと感じた。

窓を開けると、うっすらとヒマラヤが見えていた。

早々に身支度をしたが真っ暗中なので、大変だった。

下に降りて行くと、もう妹夫婦は準備を終えていた。義弟に様子を聞くと、やはり眠れなかったと言う。

食べれず更に眠れないのは、ダブルのダメージになる。

一歩、外に出ると、物凄い寒さだった。マイナス何度あるのだろうか?

更に冷たい風も吹き込み、数メートルも行かないうちに、手の指がジンジンとして来た。

体感温度は、マイナス20°だ。

まだ真っ暗な中を、ガイドの照らす懐中電灯の光を頼りに、雪道を登って行った。

昨日の降りて来た道を、逆に登っていったのだが、遅々として進まなかった。

やはり、登りはきつかった。後ろから来るグループ達に、あっさり追い越されていった。

いつしか、義弟と私とガイドが残った。

今回は、義弟の様子からベテランガイドがしんがりを勤めた。

手の指先がジンジンとして痛く、片手の指を口に当てて、自分の吐く息で交互に温めながら進んだ。

手袋ははめていたが、冬山用のものでなく日常生活で使用している婦人手袋だった。

ないよりはましだが、寒さと風には耐用できていなかった。

義弟の速度は、遅くなる一方だった。周りが少しづつ明るくなっていった。

何としても日の出に間に合うように、山頂に到着したかった。生涯で二度とないチャンスだ。

後ろから、太陽の光が、押すように迫って来た。

何度も何度も振り返りながら、光に追い越されないように一歩を登って行った。

高度が上がるに従って、もちろん寒さも増し、風の強さも増した。

寒風の中、指先のジンジンに耐え、一歩さらに一歩と登るのみだった。


聖者たちが笑っていたので、もっと楽に、もっとスムーズに、日の出は拝めると高を括っていたのに、最後まで試練は続いた。

山頂が見え始めた。

もう少しもう一歩と自分で励ましながら、歩いた。とうとう、山頂(プーンヒル)に到着した。

そこには、大勢の人がいた。そして到着したグループごとに、雄たけびをあげていた。

私も思わず、万歳をしてしまった。

そして、

全てのものに対する感謝が、溢れた!!

両手のピースサインなんて・・と思っていたのに自然とやっていた。


日の出に間に合った。

かじかんだ手でスマホを出した。

だが、手袋をはめたままでは、カメラを押せなかった。

寒風の中に、素手を出すと、指先はカチカチでまるで氷のようだった。

触っても、感触はなかった。

凍傷の一歩手前の状態のようだ。それであっても、写真は撮りたい。

指にあたたかな息をかけながら、写真を撮った。

気づくと、義弟も到着し、どうにか日の出には間に合ったようだ。

山頂は、更に寒風が強かった。

震えながら、感動を味わっていた。

やはりヒマラヤは凄かった。

凛と天に聳えるその姿は、

やはり自然と両手が合わさり合掌をしていた。

中でも天にツンと聳えるアンナプルナの雄姿は、素晴らしかった。

その片縁に、ヒマラヤ聖人の姿があった。

やはり、笑顔であった。

そして、

ここまで来たことへの、祝福をしてくれていた。

ずっーと、ヒマラヤ連峰、アンナプルナを見ていたかった。


『アンナプルナとは』

ネパール・ヒマラヤの中央東西50㎞にわたって連なる山群の総称

サンスクリット語で『豊穣の女神』の意味。最高峰8091㎞。


ここ数日は、雨と雪だったので、久しぶりの日の出拝観だったに違いない。

これも試練の最後のご褒美なのだろう。

そう思うと、ヒマラヤ聖人がまた笑ったように感じた。

寒さと風は容赦なく、顔面をたたきつけていた。

写真を撮り終えると、下山の準備をした。ガイドが、各自の靴に簡易アイゼンをつけてくれた。

ガイドはうつ伏せになり、服がめくり上がって腰・背中を出しながらつけてくれた。

素肌が見えても、平気のようで、見ているこちらが震えた。

彼は、しっかりと脂肪を貯えた太鼓腹だった。

じっと立って待っているのは堪らず、足踏みしているしかなかった。

全員がアイゼンをつけ終えると、下山した。

合間に見えるヒマラヤを見ながらの下山も素晴らしかった。


宿に着くと、朝食だった。

日の出と天に聳えるアンナプルナのお蔭でハイになっているのか、気分は最高だった。

ただ食欲は、まだイマイチで、残っていた茹でじゃが芋とスープを飲んだ。

雲一つない快晴だった。これまでは雨と雪だったのに、帰り路は太陽と一緒だった。

本格的な下山開始を始めると、体が軽く、足がドンドンと前に進んで行った。

気づくと、一番手のポーターの後をしっかりとついて行く事ができ、2番手となった。

自分でも不思議なくらいに、飛ぶように足を運ぶことができ、ポーターが驚いていた。

昨日までの私とは別人だ。ここまで降りると雪もなかった

妹に、「日の出やアンナプルナも見たし、帰れるので元気になった?」とひやかされた。義弟は、相変わらず苦しそうな表情で、一番後ろをガイドに見守れながら歩いていた。

昼食の休憩時まで2番手をキープしていた。

順調に歩けたせいもあり、ようやく食欲が回復してきた。

陽だまりのような席で、久しぶりの食事をした。

やはり食べれることは、健康の一歩だ。

午後になると、義弟の表情がさらに険しくなり、私も少し疲れも出て来たので、義弟の後ろについた。

完全に2つのグループに分かれての歩行となった。

まだまだ続く階段を、義弟はもうヨロヨロの足取りで何とか、宿まで辿りついた。

倒れ込むようにベットに行った義弟だったが、この宿では熱いお湯が出た。

少しでも気分良くなるようにと、シャワーを一番に浴びて貰った。

私も5日ぶりのシャワーを浴び、疲れが爽快さに変わった。

だが、本日の4時起床から始まり、5:30からのアンナプルナの日の出トレッキング、

下山の5~6時間歩行には、疲れた。寝袋に入ると、眠ってしまった。

トイレに起きると、真っ暗な中に星が輝いていた。満天の低い星空が、広がっていた。

高所の星空は、低く感じるものだ。

寝袋に戻るとそのまま瞑想に。

最後のヒマラヤ瞑想に期待を込めて目を閉じると、

そこには不思議な世界があった。

不順な形のものだが、色彩がハッキリとしていた。

格子模様的だが、それが従来の三次元的な格子模様でなく、色彩も目が醒めるような、

ハッキリとした光沢がある色で、赤・オレンジ・黄色が各色が自己主張している感じだった。

そして流れの中で次々と動いていた。

何だか、そこに意味があるのだろうが、それがわかるような気もしたが・・・

意味がわかるようになれば、

抽象的世界である次の次元に達した、という事になるのだろう。

それは肉体である三次元より上の世界で、その世界での視覚も見えてくるらしい。

その日は、6時起床だった。

目を開くと、いつもの自分の布団の上にいた。

不思議な感覚で周りを改めて見渡した。

自宅でのいつもの早朝瞑想だった。


今までのすべてが、イメージだったのか?

あまりにも鮮明なイメージなので、今いる現実の方が嘘のような気がした。

まだ目の前にはアンナプルナの雄姿がくっきりと残っていた。

しかし後日、同行したY子がトレッキングのポーターと恋に落ちたと聞かされ、再度彼に逢いに行くと。

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