優しすぎるあなたへ
波樹 純
『彼』は誰なのか
目が覚めたら、病室で暴れていたらしい。
それまでの記憶がなく、何故病室にいるのか。入院しているのかなんてわからなかった。
そして1番の大きな問題は、記憶だけではなく、知識や知性までも欠如した状態で目が覚めたということだ。
本能的なものなのだろう。人間、知性がなくなると正しい行動などわからなくなる。
これは『テレビ』。これは『本』。これは『花』。そういったモノの名前や、火は触ると燃える、とかの常識的な知識がなく、考え、発言するという知性もない状態だった。
何もわからない。赤ちゃんと同じ。
とにもかくにも、暴力に身を任せた。
特に漢字が意味がわからず、目障りで見るたび苛ついてたら、病院側が気を使って、目の前から漢字の表記であったり、難しい文字が使われたものを全部俺の周りから無くしてくれた。
だが、日が経つごとに色々思い出し、精神的な面も身体に追いついてきた。
まだ記憶喪失であるにはあるが、『知識』や『常識』は戻ってきた。問題といえば、戻ってきてない『思い出』だけ。
ただ、
「全く思い出せないんだよなあ……」
思い出せたのは、自分が何もわからず暴れていた時まで。
その暴れてた事実も常識や理性を取り戻した記憶はほんとに嫌になる。
「おはよー!……っておやおや、まだ悩んでるの?仕方ないよー!言葉の通り赤ちゃんみたいな状態だったんだから!」
「…………てめぇ、あかね」
傷口に塩を塗るとはこのこと。
病室に入ってくるなり俺の顔を見て、目の前の女が笑いながら言う。
セミロングの黒髪が良く似合う女性だった。
名前は『あかね』。俺が暴れてるのを必死に押さえてくれたことが記憶にかすかに残ってる。
記憶がないから、どこの誰かとかは知らないが、毎日来るところを見ると、おそらく親しい仲だったのだろう。
「ゆうくん、未来を向いていこうよ!
あ、あとおはようって返事返ってきてないよ!おはよう!ゆうくん!」
「うるせー」
ゆうくんとは俺のことだ。
鏡をみて分かったが、俺の年齢はおそらく20代前半かそこらといったところだった。
子どもみたいな呼び方が少し嫌だったが、呼ばれていると気にもしなくなってくる。
記憶がないからこの女との関係はわからないが、けっこう馴れ馴れしい。たまに鬱陶しくもなる。
ただ、他に見舞いに来たやつらと違うのが、「早く記憶が戻るといいな」「前のように戻ればいいな」などと言わないことだ。
正直有難い。
目覚めてから記憶のないまま何日か過ごしたが、記憶が戻ってほしいなんて思ったことはない。
記憶なんて今から新しく作ればいい。
「ゆうくん?どしたの?」
「なんでもねえよ」
俺の人生だ。わけわかんねえ『前の俺』に、邪魔されてたまるかってんだ。
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