第30話 10月1日戦場にて

何度目とも数えきれぬ青白い閃光が『大見八重』の視界を焼いた。

次の瞬間には目の前に居た筈の隊員数名はおらず、吹き飛ばされて強かに地面に打ちつけた背中に走る激痛から、八重自身がまだかろうじて生きている事を実感する。

数メートル吹き飛ばされたのだろう。

八重の腕は折れ曲がり、服の内側の至る箇所から出血が不快感を伝え、酷い頭痛が波の様に思考を妨げる。

ただ、思考が思い通りに出来ずとも此処に居ては不味い事だけは分かっていた。

いや、何時かの記憶に焼き付いた習性として、何故か八重は知っていたのだ。

記憶に無い記憶の中で急いで移動をしなければと、歩き出そうとして足に力が入らない。

見れば右足太腿の付け根に深々と何かが刺さっていた。

失血による意識の喪失だけは避ける為に右足の付け根部分を硬く結び応急処置をするが、異様なまでに悪い。

どうにか自身に出来る限りの応急処置を終え、折れていない右腕と比較的傷の浅い左足で地面を這いずり、どうにか窪みまで辿り着いた。

這った後には赤黒い血線が敷かれ、敵に見つかれば直ぐさま場所が知れてしまうだろう。

だが今の八重にそんな事を気にしていられる余裕はない。

寒いのに、異様に汗が出るのは身体の異常をこれ以上なく知らせていた。

ヌルリとした液体を左の頬を拭い、その手の甲を見ればそれが自身の血液だという事がかろうじて確認出来た。

頭痛だと思っていたこの痛みは、どうやら眼球から直接響いてくる痛みらしい。

見えぬ視界で何かを探そうとする度に、八重の命だった物が根こそぎ流れ出すのを震える手で必死に押さえ付けては、焦燥が諦めに移り変わっていく。

痛みが痺れに変わるまで、もう間もなく――

呼吸が苦しいと感じるまでに、もう数秒――

爆音と怒号と連続する小刻みな発砲が、心地の良い子守唄の様に八重に眠気を誘って来る。

戦場で一人、微睡みの狭間に身を置いて最後の時を待っていると、一つの影が彼の前に立ちはだかった。

「やっとだ……やっと見つけたぞ!八重!」

何処かで知っている気のする懐かしい響きを伴った男の声は、大きく上擦った声に涙声が混じっていて、聞いた八重は理由も無く頬が緩んでしまった。

知らない筈にも関わらず、この涙声を知っている。

そうだ、この声は懐かしい……

八重がまだ少年だった頃に聞いた事のある声だったのだが、肝心の名前を思い出す事が出来ない。

何時か頼りにしてしまった名前がスッポリと抜け落ちている。

「だっ……だれ、だ……?」

視界に頼ろうにも、八重の左目は完全に見えておらず、かろうじて見える右目も、視界の殆どが霞んできている。

カラカラに乾涸びた喉から出た声は掠れていたが、八重と呼ばれた男の声は確かに目の前の彼に届いていた。

「信吾だ!太田信吾!お前の……友達だ……」

八重は友達という言葉を、打ち付けて熱を持った頭の中で反芻するが、思う様な思考は得られなかった。

「今助けてやるから!後少しだ!もうこの戦闘は終わる!だからさ……」

信吾と名乗った彼は有無を言わさず八重の身体を自分の身体に固定していく。

「おわ……る?」

爆風と破砕音の鳴り響く中でその単語だけだけが聞き取れた。

「お前さ!こんな所から来てたのかよ!道理で、白米だけの弁当持って来るわけだよな」

八重には彼が何の話をしているのか分からない。

八重は彼を知らない。

だからこそ何故彼が八重に対して命を掛けているのかも理解が出来なかった。

「おれは……もう……たすからない……置いて…………いけ……」

空気を吸う事もままならない八重は背中に背負われながらどうにか肺腑に残った最後の空気を振り絞りその言葉を吐き出した。

「ふざけんな!此処まで来て、後少しなんだ!俺達はお前をもう二度と一人で行かせらんねえだろうが!」

信吾と名乗った彼は勢い良く一つのテントの幕を上げ、八重をゆっくりとベットヘと寝かせると、一人の白衣を着た女性が寝台へ歩み寄って来た。

「やっと来た!八重くんは?見つけられたの!?」

歩み寄って来た彼女は、寝台に寝かされている八重を見て言葉を失っていた。

「そう……そういう事だったのね。八重くんがあの時左目が見えていなかった事って……ここで失って……」

「頼むよ硯!八重を!早くなんとかしてくれ!このままじゃ八重がまた!」

「分かってるわよ!でも輸血パックがないの!だから後少しだけ待って、もうじき来る筈だから!」

動かす手を休めず、寝台に寝かされた彼の止血されている箇所以外の服を手際良く切っていく。

時計の針は少しずつ進み、ベットの上の八重の意識も少しずつ失われていく。

「あぁもう!ここまで来て!京子のやつ何してんのよ!」

白衣を着た女性は誰かの名前を呼びながら、やきもきとテントの入り口を見つめているとエンジンの止まる音と共に、テントの暗幕が開いた。

「また……せた、ねえ……」

「京子!アンタなにしてたのよ!」

「珍しくカッとばして来たんだけれどねえ、それより、八重くんはどうなんだい!」

京子と呼ばれた女性は抱えていたクーラーボックスから薬剤と輸血パックを白い服を身にまとった女性に手渡した。

「正直酷い状態よ。よくもまぁここから過去に行って、私を助けてくれたものだわ」

新たに入ってきた、ウェーブの少し効いた短い髪の女性は横たわる八重を見て痛々しいと目を細める。

「じゃあやるわよ。これが私達の八重くんへの最後の仕事よ」

八重を施術台にセットし、全員がテキパキとした手順で準備を完了していく。

「八重くん、ようやく貴方に追いついた。だから約束するわ。今度はあなたが助けてくれた私達が、あなたを救ってみせる」

麻酔の効果が全身に回るにつれて、八重の視界がぼやけ始めると共に、僅かに残った意識の縁を頼りに白衣を纏う目の前の彼女に八重は確かな見覚えを感じていた。

彼女を何と言っただろうか……

知っている。

何を知っている?

アレはなんだったか?

何時か同じ場所で見たこの景色。

見えぬ左目で見た、黒い影が差した先にあったあの日々を確かに八重は知っている。

何時か何度も繰り返し、薄れてしまった彼らの事を八重は確かに覚えている。

そうだ、確か彼女は……

と、潰れた左目の痛みから、僅かに繋がっていた糸を頼りに、十七歳の彼が決して口にしなかった、その名前を口にする。

「……こと……の…は……」


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