(注)この異世界小説家たちはフィクションです。

@rie_greenberet

プロローグ「お前には国営出版所に転向してもらう」

 少し突飛な話をしよう。


 あなたは今、東京の中心街にいる。

 具体的に何をしているかは問わない。

 とにかく、おびただしい建物の間を縫って歩いている。


 そして目の前に、高層ビルが天高くそびえているのが見えた。

 見上げると首が痛くなる。青い空を一本の柱が支えているようだ。


 どれぐらいのビルか想像がついただろうか?



 ――それと同じ大きさのドラゴンに、

   アリョーナ・クローバーは立ち向かっていた。



 灰色の岩の柱が連なる山脈の頂上。

 天蓋は淀んだ雲に覆われ、ときおり雷鳴がとどろく。


 それと同時にドラゴンが咆哮した。


「ギャオオオオオオオン!!!」


 火山の噴火にも、氷山の崩落にも劣らないボリューム。衝撃まで感じる。

 兵士たちは一吠えで、恐怖し、戦意を喪失した。

 分隊長のアリョーナでさえ、たじろいだ。


 しかし負けて逃げかえるわけにはいかない。

 彼女たちに伝えられた指令はこうだ。


「何百年ものあいだ眠っていた白きドラゴンが、目を覚ました。

 ただちに現地へ赴き、これを討伐せよ」


 伝説によれば、そのドラゴンは災厄の邪竜である。

 人の生き血と絶望を求めてやってくる。

 村を焼き、家を壊し、目についた者はすべて殺しつくす――。


 そんなことを聞かされて、城下町の人間たちは恐れおののいた。

 だれもが救世主の到来を夢見た。


 そしてついに、最強の刺客が王国から送られた。

 それこそが、アリョーナ・クローバー分隊長。

 赤い髪をストレートに伸ばした、19歳の少女である。

 

「分隊長、ご指示を!!」


 兵士にあおられ、アリョーナは微笑した。

 未成年でありながら、人を落ち着かせてくれる風格のあるほほえみだ。


「全軍、下がってください。あれは私が何とかします」

「どうやって!?」

「秘術を使います。そのために私が呼ばれたのでしょう」


 そう言って、アリョーナは自らの鉄剣を地面に置く。

 同時に目をつぶって、「秘術」の準備を始めた。

 両手から緑のオーラが現れ、腕まで包み込んでいく。


「秘術って……無茶ですよ!一人であれと戦うおつもりですか!?」

「ええ、かなり無茶なことをします。一生に一度しか使えない秘術です。全軍はすみやかに退却を。でないと巻き添えになります」

「しかし!」


 兵士は必死に止めようとした。

 しかしアリョーナの凄絶な気迫がそれを許さなかった。


「引いてください」

「…………」


 兵士は不承不承ながら、ついに首を縦に振った。


「分かりました。分隊長、あなたに賭けましょう」

「ええ、任せて」


 兵士は高々と旗を掲げ、


「全軍、退却!!」


 ドドドドド……。


 分隊が次々と退却する。 

 ドラゴンは鋭い目線でそれをとらえ、丸太ほどの火炎を吐いた。轟音があたりに響く。

 しかし届かなかった。アリョーナが受け止めたのだ。身を焼かれる熱さと、はるかかなたまで吹き飛びそうな風圧。二つを同時に受けながら、アリョーナは無傷でぴんぴんしていた。


 そして、詠唱を開始する。


「英霊セナ・クローバーよ。

 生を愛し、邪悪を絶ち、破壊を食い止めた英霊たちよ。

 予言の刻、来たれり。黒き絶望、ここに来たれり。

 今こそ一つとなりて、新たなる希望の光を与えたまえ……!」


 両手を覆っていたオーラが全身を包み込んだ。周りの砂や石が、アリョーナを囲むように舞う。

 豪炎も暴風も爆音も、すべてがかき消されていく。

 やがてあたり一帯が緑一色となり、完全な静寂に包まれた。


 ドラゴンは異様さを感じとって、アリョーナの首めがけて爪を振り下ろした。


 しかし、もう遅かった。


「秘術――ライオット!!」


 緑の光がドラゴンの体に吸収されていく。白い表皮が若葉の色に染まっていく。


 同時にすさまじい地響きが起きて、ドラゴンが悶絶しだした。

 無理もない。全身を中から焼かれるような激痛だと言われるのだから。

 さらに、痛い場所が風船のように膨れ上がっていく。

 ダイヤモンド以上と評されるほど硬い表皮も、ゴム同然だ。 


 そして、地響きが最高潮に達したとき、風船たちは一斉に限界を迎えた。


 パァァン!!


 ドラゴンの体が次々とはじけ飛んでいく。

 腕がちぎれ、脚はこっぱみじんになり、胴体は張り裂けてチリすら残らず。

 最後に頭部が残って、それも一瞬で爆散した。

 残ったのは右目だけだ。爆発からしばらくして、ぽとりと地面に落ちた。


 静寂が訪れた。風の音のみが聞こえてくる。

 やがて雲の合間から、日の光が差し込んでくるのが見えた。


「やっ、……た……」


 アリョーナは優しく微笑み、ぱたりと地面に倒れた。



 伝説の邪竜はこうして討伐された。

 恐るべき国難を一人の少女が救ったと聞くと、だれもが首をかしげるに違いない。

 しかし、事実、それが起きたのである。



―――――――――――――――――


 王都ニューザードは、円形の城壁に囲まれた都市である。

 中心にそびえたつ城を、木組みと石造りの城下町が取り囲んでいる。

 北西から流れる川が町を横切り、城の水堀を中心に三方へ分かれ、水路となって、町を四つのブロックに分ける。

 人々は、その水路に木橋を建てて往来する。

 商店街、学校、公園、ギルド。

 それぞれ異なる生活の中、みなが日々平和に暮らしていた。


 しかし、アリョーナ・クローバーの心境はとても平和とは呼べなかった。

 ドラゴン討伐戦で魔術を使い切り、分隊長として求められる力をほとんど失ってしまったからだ。

 今の彼女には全盛期の1%も力が残っていない。

 たった今、それを重く見た上層部に、後ろ向きな現実を突きつけられたのである。


「アリョーナ、お前には軍を退役してもらう」


 城の二階にある隊長室で、隊長にそう告げられた。


 アリョーナは特に反論しなかった。

 自分でもそれなりに覚悟していたからである。

 だから、温和な笑みを見せて、


「はい、分かりました」

「我々としても、心苦しいがね」

「ドラゴンを倒し、人々を救えた。それだけでも私は、十分幸せです」

「そうか……」


 隊長は椅子に腰かけたままうなだれる。

 アリョーナの方は、あいかわらず毅然としている。退役通告より、隊長のつらそうな顔が彼女の心を痛めていた。


 やがて隣の秘書が言った。


「アリョーナさん、あなたはこれまで、若いながら軍に尽力してくださった。

 そんな人をただ放っぽりだしてしまうのは、我々の心が許しません」


 そう言って、秘書は分厚い封筒を差し出した。

 隊長が話を代わる。


「ゆえに、お前の次の勤務先を我々があっせんしておいた」

「いわゆる天下りというやつですねぇ」

「秘書、言葉をつつしめ」


 隊長が秘書の頭を叩く。


 しかし、アリョーナはそんな無礼を気にせず、


「本当ですか!?」


 むしろ大いに喜んでいた。

 大きな緑色の目がきらきらと輝いて、笑顔に一層磨きがかかる。

 絵画と見まがうほど美しい少女だ。


 アリョーナの反応も無理はない。

 すでに彼女は、軍を退役した後の道を考えていた。


 我々の基準で考えれば、彼女の名声と容姿があれば引く手あまたに思える。

 商業、教育、国政、なんでもござれだ。


 しかしアリョーナにとってはどれも現実味がない。それは、彼女がずっと戦いの中で生きてきたからだろう。

 この先どうやって生きるかまったく分からなかった。

 だから、思いもよらぬ助け舟だったのだ。


 いったいどこに話を通してくれたのだろう?

 護衛任務か、冒険者ギルドか、それとも学校の指導官か?


 どれでもいい。人を救うことができるなら。

 アリョーナは喜びに震えた。


「それで、次のお勤め先はどこでしょう?」


 アリョーナが訊くと、秘書は嬉々として答えた。



「出版所です」



「……へ?しゅっぱん?」



 アリョーナが訊き返す。

 今度は隊長が、喜色満面に答えた。


「アリョーナ、お前には国営出版所に転向してもらう。

 そこで、とある小説家の編集者として働いてもらう」



「えぇ~~!?」



 甲高い叫喚が、城いっぱいに広がった。


 見習い編集者アリョーナの新たな人生は、かくして幕を開けたのである。

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