第35話 真実
今度は見つからないように樹木の影や建物の柱に身を隠しながら進んだ。
「ここです」
旧棟に到着すると渉は一葉に目配せをした。
二人が視線を合わせるとこくりと頷き、建物の入り口に入った。照明は最低限しかついていなかった。
薄暗い中、渉は入ってすぐ右の廊下を歩きだす。一葉もそれに倣った。
少し歩くと二階へ上がる階段があり、二人はなるべく音を立てないように階段を上った。
一段一段を上がる度に心拍数が一段階ずつ上がっていく気がする。緊張感が増すがここで止まるわけには行かなかった。またあの二人組に出会うとも限らない。渉は息を押し殺しながら移動した。
二人が二階に上がりきった時、こつんと靴音が響いた。
渉ははっと息を飲んだ。
耳を澄ますとこつんこつんと靴音がこちらへまっすぐ向かってくる。
これが学園七不思議的なことだったら逆に良かったが、どう考えても生身の人間の足音だ。
見つかったらヤバイと、渉と一葉は壁に背を付けて少しでも身を隠そうとした。
こつんと足音が止まった。
「何をやっているの?」
「詩織先生!」
見知った顔を見つけて渉はほっと胸をなでおろした。
こちらに向かってきたのは英語教師の小宮詩織だった。
「何だ、先生だったかぁ」
「し、詩織さん……」
一葉が呆然と呟いた。
「え、知ってるんですか?」
「……はい。お世話になっている先生のご友人です」
「そうなんですか!?」
渉は目を丸くして一葉を見た。
「何やっているの? こんな時間に学校に来ていい時間ではないでしょう」
詩織が珍しく硬い表情で問うた。
「先生、見逃してほしいんだ。今大変なことが起きていて……」
「もう遅いわ。帰りなさい」
「どうして……?」
渉は詩織のいつもと違う態度に戸惑いを覚えた。
「ここから先へ行くことは許さないわ」
かつんと靴音を響かせ詩織が手を広げた。
渉がぐっと奥歯を噛み締め、どうしようかと考え始めた時、すっと影が動いた。
「行ってください!」
「一葉ちゃん!?」
気が付くと一葉が詩織の肩をがっちりと掴み、その場に縫いとめた。
「放して! 放しなさい!!」
詩織が一葉の拘束から逃れようともがくが、一葉が力強く詩織の腕ぐっと握った。
「だ、だめです。詩織さん! ごめんなさい!」
大人の二人が揉み合っていることに驚いてしまい渉は動けないでいた。
「行ってください! 真実を知って……!」
「渉くん、行ってはダメ!!」
必死な詩織の様子に戸惑ってしまうが、渉は一葉と視線を合わせて頷いた。
「僕、行きます!」
宣言すると渉は目的の部屋へ駆け出していった。
「どうしてあの子を行かせたの!? どうなるのか分からないのに!!」
詩織の悲鳴のような叫びが聞こえたが、渉は構わず走って行った。
廊下を駆け抜けると目的としていた昔の保健室は少しばかり走ったとこにあった。
「あった!」
渉は自らの足に急ブレーキをかけると、力任せにスライド式の扉を開いた。
「あれ……?」
そろりと入った部屋はただ静かだった。渉の声が室内に響いた。
「……誰も、居ない」
部屋を見回すとこの部屋はひどく清潔で、医療用の簡易ベッドと一対の机と椅子があるだけの白い壁に囲まれた殺風景な空間だった。
カーテンの隙間から月明かりが漏れ、薄暗い部屋だがよく見えていた。
「おかしいな。何で居ないんだろう……」
渉は部屋に備え付けられた机の上にあるノートパソコンに触れてみた。起動している気配がない。
閉じ込められている生徒はどこにいるんだろうか。
けれども、ノートパソコンがあるということはここに誰かがいたことは間違いなく、渉を困惑させた。
渉が眉根を寄せてじっとノートパソコンを見ていると、バタバタと走ってくる足音が聞こえてきた。
「渉くん!」
息を切らせて部屋へ駆け込んできたのは詩織だった。その後ろから一葉も駆け込んできた。
「あの……この部屋、誰もいないんです」
戸惑いながら眉根を下げて渉が言った。
詩織が息を詰め、固まったように動かなくなった。
一葉が窓辺に近づき、カーテンを開けた。
「……本当に、この部屋なんですか……?」
一葉が窓の外のある一点から視線を外さず、静かに渉に問うた。
「間違いないはずなんだけど……」
「あの、もしそれが本当なら……」
一葉がとても堅い声で渉に告げた。
「この部屋にはあなたの言う女子生徒なんていないですよ」
渉は瞠目し、ひゅっと息を飲んだ。
「ど、どうして分かるんですか……?」
「私……見てたんです。あのマンションからこの部屋を」
「え……」
一葉が指差した窓の外には、晧々と明かりがついたヨーロピアン調のデザイナーズマンションがあった。
渉の目にはそのマンションがとても迫ってくるように見えた。
「悪いとは思ってたんです。ごめんなさい。あの……でも、ここに居たのは……」
一葉は一旦言葉を切り、渉に視線を絡ませた。
「……あなただと、思います」
一葉が静かに告げた。
「は……? 何を言って……?」
「一葉ちゃん! これ以上は……」
「あなたをカフェで見た時は驚きました。あの部屋にいたあなたがいたから。遠くから見てただけだし、本当かどうか分からなくって……」
詩織の悲鳴に近い声を遮り、一葉がひと息に告げた。
「ここへ来て確信しました。ここにいたのはあなたです」
「わ、訳の分からないこと言わないでよ! どうして僕なんだ!?」
渉はわなわなと体が震え、悲痛な声を上げた。
渉は混乱した。
一葉の言っている意味が分からない。
何で自分がこんなところにいる必要があるんだ。
けれども……本当にわからない?
なぜだか、初めて疑問を持った。
考えれば考えるほど、頭の中が靄に包み込まれていくような感覚が現れ、不安感が募っていく。
ふいに静かな部屋にぶるりと機械音が響いた。
ぴくりと反応した渉が、身に着けていたダッフルコートのポケットからスマホを取り出した。ちかちかとライトが点滅している。
スマホの画面を確認すると藍子からの着信だった。
渉は通話ボタンを押し、耳に当てた。
『もしもし、渉くん!?』
「はい……そうです」
『今、大丈夫!? ライチさんのユーザー名が分かったの!』
「ユーザー名が……」
渉が呟いた言葉に一葉が固唾をのんだ。
『ただ……お、落ち着いて聞いてね……』
最初の慌ただしい声が鳴りを潜めて、藍子の声が硬い声に変った。
『ユーザー名がね……『赤坂渉』だったんだけど……』
「ユーザー名が、僕……?」
瞬間、渉の体がぐらりと傾きそのまま横向きに倒れた。
体中が痛いはずなのに、ただ頭を抱えて蹲った。
スマホがするりと手から滑り落ち、かたんと音を響かせた。
「渉くんしっかりして! 渉くん!」
詩織が駆け寄り、渉の背をさすってやりながら渉の名を呼びかける。
渉は腹の底から唸り声を上げ、そうかと思えば天に突き刺さるような悲痛な叫び声を上げた。
するとバタバタと駆け寄ってくる足音が聞こえ、この部屋の扉が勢いよく開いた。
「赤坂くん!」
「大丈夫ですか!?」
入ってきたのはカフェテリアで遭遇した月島と竹橋だった。そして、その後ろから純也も一緒に入ってきた。一葉の隣にやってきて気まずそうな表情をしていた。
月島と竹橋は蹲っている渉に近づき、まず脈を取った。それから、二人は渉の体を持ち上げるとこの部屋にある簡易ベッドの上に寝かせた。そのままてきぱきと渉の状態を診察していく。
程無くして、背中を幾分丸くした白髪が目立つ白衣を着た年配の男性も入ってきた。渉も知っている保健室にいる養護教諭の三宅だった。
「赤坂くんの状態は?」
「落ち着きを取り戻すために時間が掛かるでしょう」
三宅の質問に竹橋が答えた。
「みなさん、ここから出ていてもらえますか? 診察します。報告は追ってさせていただきます」
月島が硬い声を発した。
三宅と詩織が一つ頷くと、純也と一葉を促してこの部屋を出た。
ぱたりと軽い音を立ててスライド式の扉が閉まったが、その奥からは重く苦しい叫び声が響いていた。
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