第17話 青山一葉の場合 <偽物>
一葉がモニター付きのドアホンで確認すると、マンションのエントランスホールに見知った顔がいた。
通話ボタンを押し、はい、と応える。
「こんばんは。一葉ちゃん」
「こんばんは。今開けますね」
強固になっているマンションのセキュリティを解除し、自宅へ来れるように手配すれば、あまり間を置かずにインターホンが鳴った。
一葉は客を迎え入れるために、廊下の奥にある大理石でデザインされた玄関の重厚なドアを開けた。
「こんばんは。一葉ちゃん」
「いらっしゃい、詩織さん。どうぞ」
にっこりと微笑んで玄関に入ってきたのは薫の友人・小宮詩織だった。
隣の五色学園高等部で英語教師をしているがさらにその知識を活かして動画チャンネルも運営してるため、薫に負けず劣らずパワフルな女性だと一葉は認識している。
薫からは高校からの腐れ縁と聞かされている。このマンションには何度も訪れていて薫の許可を取らずとも来てもらってもいいことになっている。今ではすっかり一葉とも顔見知りになった。
リビングでゆったりとソファに腰掛けてワインを嗜んでいた薫に、先生と声をかけると面倒くさそうにこちらを向いた。
「あ、ちょっと! その双眼鏡は何!?」
詩織は薫が手にしている双眼鏡を目にするやいなや、すぐさま薫のところへ飛んで行った。
「ほら、放しなさいっ」
「詩織、ちょっとやめてよっ」
詩織が双眼鏡に手を伸ばしたがすんでのところで薫が躱した。大の大人二人がリビングルームのソファセットの周りでもみくちゃになりながらそれを奪い合うが、結局薫が詩織に愛用品を奪われてしまっていた。
「またウチの学校を覗いていたでしょ。全く油断も隙もありゃしないわね。覗かないでって何度言ったら分かるのよ。プライバシーの侵害よ」
「いいじゃなーい。減るもんじゃないし。これでベストセラー小説が生まれるんだから安いもんよ。アンタの動画チャンネルで宣伝させてあげてもよくってよ。あ、それともあの部屋には世間に知られたくないことでもあるワケ~?」
「あるわけないじゃない」
眉根を寄せた詩織の表情に、何かピンときたらしい薫は意地の悪い笑顔で詩織に近づいた。
「え~あやしい~……って隙あり!」
薫は素早く双眼鏡を奪い返し、一葉を見るとさっと渡してきた。
「一葉、お願い! 詩織は足止めしておくから作業部屋へ戻って仕事してっ」
「は、はいっ」
「あ、きく! また一葉ちゃんに書かせてるの!?」
「ひいぃぃぃっ!」
目を三角にした詩織が言い放つと、突然薫が情けない叫び声を上げ耳を塞ぎ座り込んだ。
「き、きくって呼ばないで!」
「本名じゃない。山田きくって」
「アンタ、いっつも、ワザと!」
「カタコトじゃん、ウケる。親にもらった名前なんだから大事にしたらどうなのよ」
「私の名前は北千住薫ですぅ。稀代の小説家なんですぅ」
「稀代の小説家って笑わせないで。一葉ちゃんに書かせてニセモノじゃないの。大体……」
いじけている薫に追い打ちをかけるように、詩織はさらに言葉を畳みかけようとした。
「あの!」
一葉は思ったより大きな声が出てしまい驚いた。
二人の様子をおずおずと伺うと目を丸くしてこちらを凝視していた。
「わ、私はいいんです……詩織さん」
「一葉ちゃん……」
「小説を発表させてもらえる機会を与えてもらえて……先生に感謝しているんです」
一葉は喉につっかえたモノを吐き出すように言った。
高校生の時に小説家を目指し始めて小説投稿サイトを利用したことはあるが、まだ結果がでたことはない。けれども、ゴーストライターという立場になるだけで作品が世に出て、多くの人に読んでもらえる状況になり一葉は眩暈がした。
複雑な気持ちを抱きながらも、この立場を手放したくないと思うほどに一葉の心は育ってしまっていた。
「ほら、一葉もああ言ってるでしょ」
感謝という言葉に反応して薫はふんぞり返った。
「立ち直りが早いわね。我慢しないでいいのよ、一葉ちゃん」
「はい……あの、大丈夫です。ありがとうございます」
詩織はイイ人だ、と一葉は思う。
コミュニケーション能力が高く、他人に気兼ねなく声をかけられる。頭の回転が速く、優秀な頭脳を持っている。羨ましく、自分には出来ないことだ。
そして、憧れの先生と仲がいい。
「てか詩織、アンタ何しに来たわけ?」
完全復活を遂げた薫は不躾に詩織に言った。
「ちょっと寝かせて」
詩織はぱんと柏手を打つように両手を合わせた。
「何で?」
「今日も忙しかったのよ。休憩する暇もなかったし」
「学校の先生は大変ね~」
「他人事だと思って」
「他人事よー」
「家に帰るのも面倒くさいし、明日も早いからここで一泊していくわ」
「ちょっと勝手に決めないで!」
「きく、いつもの客間借りるわねー」
「だから、きくって呼ばないで!」
「一葉ちゃん、今晩お邪魔するわね」
「は、はい」
勝手知ったる友人の家と言わんばかりの詩織は、事実この家の客間の使用頻度が一番高い。特段案内をする必要もなく、すたすたと部屋へ向かっていった。
「ったく、どんだけ自由なのよ」
薫は詩織の行動に憤慨しているが、一葉にとっては見慣れた光景だった。
「そうだわ、本名で呼ばれた腹いせに詩織の邪魔してやろうっと。ワザと詩織の好きなワインの飲み比べをしようって誘惑してやるの。一葉、面白いと思わない?」
にんまりと悪い笑みを浮かべた薫はさっさとキッチンへ行ってワインを漁り始めた。
「一葉、私は詩織のところに行っているから、原稿の続きをお願いね」
「……はい」
パタパタと駆け出した薫の背中をぼんやりと見送った。
「いいなぁ」
自然と口からぽろりと出てハッとなった。口にしたらなぜだか恥ずかしくなった。自分が何かを欲しがっているみたいで。これ以上何かを求めたら何かを無くしてしまいそうなのに。
一葉は楽しそうな声がする部屋の反対側にある作業部屋へと戻った。
広めの作業用デスクと使用してるノートパソコンがぽつんとあり、孤独の自分と重なった。
椅子に腰かけてスリープ状態になっていたノートパソコンを起動する。立ち上がってきた画面には北千住薫として書いている原稿のファイルが映し出されていた。
「ニセモノ……」
詩織が放った言葉がどこか引っかかっていた。
ホンモノである先生、ニセモノの私。
確かに詩織の言う通り、この原稿は自分が書いているのだからニセモノだ。
本物の自分が書いているものは別のファイルにある。でも、これを書ききってしまったら……一葉は足元から寂しさに襲われてしまう感覚がしてしまい、今まで作業していたファイルを一旦閉じた。
そして、パソコンにインストールしているオンラインゲーム『ニューワールド』を起動させた。
執筆作業をしながらプレイしているゲームだ。コミュニケーションが苦手で知り合いのいない一葉にもこの仮想空間の世界には仲間たちがいた。
五人でシェアハウスに住み、バトルゲームではパーティーを組んで力を合わせている。現実の世界でしようと思っても気後れしてしまうが、この世界では遠慮はいらない。
自分のようで、自分ではないからだ。
その証拠に『ニューワールド』の世界では全く違う性格を演じていた。
少しでも憧れの先生に近づけるように。
一葉が操作しているアバターは性格は元より、長い黒髪に青を基調としたコスチュームも先生に寄せているのだ。
パソコンの画面には仮想空間のオンラインゲーム『ニューワールド』の画面が表示されていた。
そこに一人の女性キャラクターが現れた。名前はブルーベリー。青を基調としたノースリーブにロングスカート風ボトムスのコスチュームを身に着けた、クール系美人の一葉のアバターだ。
そして、白を基調とした二階建てのモダンハウスが表示され、さらに四人のアバターの名前が表示されていた。
カカオ、レモン、アセロラ、ライチだ。そしてシェアハウス&バトルパーティーのメンバーと属性があった。
チャットの画面を呼び出すと、早速会話が始まっていた。
@カカオ
レディースエーンドジェントルマーン! お待たせ致しました! 只今より団体戦バトル・バーベキューバトルを開催したいと思います!!
@レモン
カカオ、テンション高いじゃん。どったの?
@カカオ
バトルを盛り上げようと思ったら、普通に出た声ですよ
@レモン
何、カカオ……機嫌良すぎてめっちゃコワイんだけど
レモンの反応が想像通りで、ふふふ、と一葉は自然と笑っていた。慣れた手つきでキーボードを叩き、文字を打ち込んだ。
@ブルーベリー
自分が用意したバーベキュープランに酔ってんじゃないの?
カカオが張り切っているのだとしたら、きっと素敵なバーベキュー対決になるんじゃないかと一葉は心を躍らせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます