ホンモノ、ニセモノ。

結田 龍

プロローグ 居場所

第1話 白金なぎの場合 <日常>



 ぽつん、という言葉が似合うと思う。



 白い部屋にたった一人。何をするでもなく、ぼんやりと窓の外を眺めていた。

 季節は冬。今日はどんよりとした曇天。寒空という言葉がぴったりだ。

 きっと外に出れば空気はひんやりと冷たく、吐く息は白く染まってしまうのだろう。

 外の風景にはまだ表情が感じられるが、この部屋はひどく清潔で空調が整い、医療用の簡易ベッドと一対の机と椅子があるだけの白い壁に囲まれた殺風景な空間だった。


「……誰だ?」


 突然話しかけられて、ぴくりと肩を震わせた。

 ゆっくりと振り向くと、いつの間に部屋に入ってきていたのか白衣を着た年配の男がいた。

 背中を幾分丸くし髪には白いものが目立つ。首から下げた名札には「養護教諭・三宅」とあった。

 彼は見知った顔だった。


「私……なぎ」


 なぎは硬い声で短く答えた。


「……なぎか。何をしている?」


 優しく静かに問われた。

 しかし、なぎは答える義務感を感じず、窓の外へ視線を動かした。


「……窓の外か。雪でも降りそうな空だな。暖かい格好をしていなさい。風邪の患者が例年より多いと聞く」


 つまらない人。

 この空間で無意味な行動を提示するなんて。


 十代の自分に対して孫のような感覚なのだろうとなぎは推測する。

 しかし、なぎはすぐに興味を失い、この部屋に備え付けられている机に移動し、椅子に腰かけた。

 机の上には黒のノートパソコンがある。スリープ状態になっていたそれを呼び起こした。


「こちらにいらしたのですか」


 ノックもなしに部屋のスライド式の扉が開いた。

 この部屋に入ってきたのは、三宅よりは幾分若い白衣を着た二人の男性だった。


「どうも、三宅先生」

「あんたらか……」


 今日はどうやらお客が多いらしい。なぎは表情を変えなかったが、三宅が渋い表情を浮かべた。

 一人は端正な顔立ちで、物腰が柔らかそうだが食えない笑顔を浮かべている。首から下げた名札には「精神科医・月島」とあった。もう一人は体躯のがっちりとした大柄な男性で、名札には「精神科医・竹橋」とあった。竹橋は眼つきがキツいせいか、随分イライラしているように見える。


「何の用だ?」


 話なら別の部屋で聞く、と渋い表情のまま三宅が言ったが、なぎの机の上に一冊の白いファイルが差し出された。

 なぎがちらりと見ると差し出したのは月島だった。


「白金なぎの検査結果が出ました。……全て異常。これはどういうことでしょうか?」

「なぎならそういう答えを導き出すだろう」

「答えを全部見抜いているということですか。さすが、優秀な頭脳をお持ちでいらっしゃる」


 なぎに向けて竹橋は小さく舌打ちをし、傍らの月島は食えない笑顔を浮かべていた。


「何度検査をしても無駄だ。何の成果にもならない」


 三宅が大袈裟に溜息を吐いた。きっと牽制の意味を込めたのだろう。だが、彼らにとって何の意味も成していないようだ。

 しつこい人たち。

 それが彼らに対してのなぎの印象だった。


「三宅先生。先日、なぎのパソコンを拝見しましたら面白い物を発見しましてね」

「面白い物?」

「『ニューワールド』をご存知ですか? アバターを介して交流する仮想空間のオンラインゲームなのですが」


 なぎはぴくりと肩を震わせた。

 今まさにパソコンでアプリを立ち上げていたところだったからだ。

 『ニューワールド』はユーザーがアバターを介して、仮想空間にある街の中で様々な人たちと交流することができるオンラインゲームだ。『ニューワールド』には独自通貨や仕事、コミュニティサロンがあったり、自宅を持ちゆっくり過ごすこともできる。過ごし方は自由で人それぞれだ。

 このゲームには様々なイベントも開催されていて、中でもバトルゲームのイベントは人気がある。


「なぎは仮想空間のオンラインゲームに何度もログインし、プレイしています」

「何度も?」

「ええ。なぎは人を遮断する。なぎは仮想空間の世界で一体何をしているのでしょうか? 三宅先生も気になりませんか?」


 三宅が黙った。


「なぎがコミュニケーションを必要とするオンラインゲームに何かを見出し、その行為を繰り返す。それはなぎの何を動かしたんでしょうか?」


 その言葉につられるように、三対の双眸がなぎを凝視した。


「なぎに興味がありましてね。しばらく調査をさせていただきたいのです」

「……なぎである必要はない」

「いいや、なぎでなくては」


 押し殺した低い声で咎める三宅に対して、竹橋が断定的に言った。


「優秀な頭脳を持つが他人との接触を嫌い、独自の世界で生きている。なぎはどうなっていくのか?」

「……私はどうにもならないわ」


 パソコンの画面から視線を外さないままなぎは呟いた。

 ずっと沈黙を守っていたなぎが言ったとたん、殺風景な部屋の空気が張り詰める。

 なぎからコンタクトを取ることは珍しいことだった。


「……それは分からない。君に聞いてみるだけだ」


 なぎがパソコンからゆっくりと顔を上げると、竹橋がなぎの机に近づき視線が絡んだ。


 つまらない人たち。


 刹那、なぎは自分の中から感情が噴出したような感覚がした。ふつふつと沸き上がり、空気がびりびりと震えているように感じる。

 三宅がはっと息を飲んだ。


「もういいだろう。これ以上は負担がかかる。出て行ってくれ」


 三宅がなぎと竹橋の間に割って入った。竹橋の眉が跳ね上がる。


「それから、調査は不許可だ」

「あんたの指図を受ける言われはない」

「行きましょう」


 今にも食って掛かろうとする同僚を押しとどめたのは、食えない笑顔を浮かべた月島だった。


「長居をし過ぎました。我々もこれ以上時間を割いては仕事に支障がでてしまう」


 竹橋が憮然とした表情を浮かべたが月島は意にも介さず、出ましょう、と短く言って同僚を出口へ促した。


「それでは失礼します。……ああ、そうだ」


 月島が去り際に振り返りなぎを見た。その顔には意地の悪い笑顔が貼りついていた。


「決して心乱すことなく、イイ子でいて下さいね」


 なぎと視線は交錯したが、二人は何事もなかったかのように部屋から出て行った。

 閉まる扉の音だけがいやに大きく聞こえた気がした。


「食えないやつだ……すまない、なぎ。疲れたろう」


 三宅が曲がった背中をさらに丸め、好々爺のように優しく声をかけてきた。

 しかし、なぎは視線を合わせてはっきりと伝えた。


「一人に、してくれる?」


 三宅が目を見開き、そして溜息を吐いた。


「……邪魔をしたな。私は戻るが何かあれば言ってくれ」


 しばらく一人の方がいいだろうと判断してくれたのか、三宅が静かにこの部屋を去った。


 ぽつん、と一人。

 白い部屋の中でなぎはまた孤独になった。


 しかし、なぎは寂しさなど感じない。

 なぜなら、なぎの興味は生身の人間ではなく、パソコンを介した向こうの世界にあるからだ。

 パソコンの画面には仮想空間のオンラインゲーム『ニューワールド』の画面が表示されていた。

 そこに一人の女性キャラクターが現れた。名前はライチ。なぎのアバターだ。

 そして、白を基調とした二階建てのモダンハウスが表示され、さらに四人のアバターの名前が表示されていた。

 カカオ、ブルーベリー、レモン、そしてアセロラだ。そしてシェアハウス&バトルパーティーのメンバーと属性があった。

 チャットを呼び出してさっそく文字を打ち込んだ。なぎの指は軽快に動いた。



 @ライチ

 カカオさーん、ブルーベリーさーん。そろそろブランチにしませんかぁ?



 部屋の中はキーボードを打つ音のみが支配した。

 ホンモノを置き去りにしたニセモノの世界。

 それがなぎにとって『ニューワールド』の印象だった。そんな世界になぎは徐々に没頭していく。

 ちらりと窓の外を見れば、いつの間にか雪がちらつきふわりふわりと舞っていた。


「……早く、私を見つけてくれたらいいのに」


 なぎの口からぽろりと言葉がついて出ていた。




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