大人に成る日

福舞 新

大人に成る日

「皆さん、成人おめでとうございます。えー、今年はこのような大変な状態ですが――」

昨日、徹夜をしてしまったせいで既に三時を過ぎたというのに一向に眠気が覚めない。

あくびが止まらず、たびたび寝惚け眼を擦ってしまう。


『大人になった』


実感は全くない。

本当に私は「大人」になったのか?

今の私を「大人」と言ってもいいのか?

全く分からない。

ただ、今はこの長ったらしい話が早く終わって欲しい。


堅苦しい空気の会場から出たとき、時間はもう四時を過ぎていた。

会場の外は同級生の姿で溢れていた。

みんなそれぞれで集まって何かを話している。だがその姿は例年とは違う。

皆、顔の半分以上が隠れてしまっている。


昨年からずっと続いているとある感染症の影響でマスクは絶対。数週間前に国が発令した感染症の対策の影響で中止したところもあるらしい。私の地元では感染者が少なかったからか通常通り行われることになった。だが、その光景はやはりどことなく不気味さを感じてしまう。

当時から誰とでも気軽に話していたイケメン陽キャグループ、少し素行が悪くて先生によく叱られていた運動部グループなどがニコニコと会話を続けているさまを見ながら、私は敷地内にある大きな木の下に向かった。


(たしかこっちだったよな……?)


二年ぶりに帰ってきた地元。幼い頃の記憶を頼りに道を進んでいく。

当時と全く変わっていない。

それが嬉しくもあり、少し物悲しくもあり、ほっとため息を吐いた。

「あ、ハル! お~いこっちこっち!」

目の前には手を振る友人の姿。

既に木の下では数人、人が集まっている。

駆け足気味に木の下に向かう。

「ごめんユメ、遅れました~!」

「なんで敬語なのさ(笑)」

「あ、いやなんか普段の癖で……」

「ふ~ん。まぁいいや、それにしてもひっさしぶりだね~!」

明らかに小学生としか思えないサイズのユメは目を輝かせて私の方を見る。

「って言っても、いつもメールで会話してるじゃん」

「いやそうだけどさ、やっぱメールで会話するのと実際に会って会話するのとでは全く違うじゃん?」

「たしかにそれは一理あるね……」

小さく頷く。

「よぉ! 久しぶりだな!」

「遅かったじゃん!」

「でもこれで全員揃ったね」

「そうだねぇ……」

皆、木の下で当時のことを懐かしむ。


ここに集まったのは当時の私の友人たち。

ユメが偶然にもみんなの連絡簿を捨てずにとっており、「せっかくだから」ということで集まることになったのだ。

だが誰が誰だか分かってないのが実際のところ。メールで繋がっていたのは同じ高校に進学したユメだけだったし、私は地元を出ていってから一回も帰って来てなかったし。

ざっと見渡すと何となく見覚えがある人もいる。でも「その人である」といった確信は持てない。

中学を卒業して五年。

あっという間で短かった。

それなのに友人のことを忘れている私自身に薄情さも少し感じる。


――私は大人になれたのか?


そんな疑問がまた頭に響く。


「――って言うわけだけどいいよね?」

突然、私の視界の中にユメの顔が写った。

「え……、なに? ごめんボーっとしてた……」

「もう! ハルって昔からそういうところあるよね!」

私とユメのそんなやり取りを見てみんな声を出して笑う。


うう……、恥ずかしい……

「だ・か・ら! この後、午後七時から皆で飲み会しようって話! 皆一回帰って準備しないといけないだろうしね」

「あ、そっかそっか。分かった夜七時ね」

「うん。集合場所は一丸屋ね」

「了解」

「よし!」


ユメはみんなの方に振り返り、同じ内容を話す。その集まった友人間でもまたいくつかのグループに分かれて、皆散り散りに解散していく。


その場に最後まで残ったのは私とユメの二人だけだった。

ユメは首を傾げて尋ねてくる。

「あれ、帰らないの? はやく準備しないと間に合わないよ?」

「うん……。帰るよ、でももうちょっと……」

「ふーん……。まぁとにかく遅れないようにね!」

「うん。ありがとう」

「じゃあお先に失礼!」

ユメはそれだけ言ってさっさと帰っていく。

木の下には私だけになってしまった。

さっきまで人がいたせいで近寄れなかった木の傍まで行き、そっと手を振れる。

ザラザラ、ゴツゴツ。冷たくもどことなく感じる温かさ。

この木も何も変わらない。


――いや、違う。

ふと視界の端に映った物。

木の根元から生えている小さな芽。

ほんの少し沸き立った安心感は音もなく崩れ去る。


変わったのは皆だけ。

私は、何一つ成長できていない。



*******************



「だぁからわだしがみんなをねぇええ?」

笑い声が響く焼き鳥屋、「一丸屋」

皆は既に何杯もお酒を飲んでおり、酔いが回っている人も少々。目の前で絡み酒を始めたユメがいい例だ。


本当はこんな風に集まって飲むことも良くないことで、「今の時期に不謹慎だ!」、「これだから最近の若者は!」と言われてしまうだろう。

でも私自身は別にいいとは思っている。

それぞれがちゃんと消毒していたし、人数も十人ちょい。しかも今回の飲み会のために皆検査を受けてきて、無事陰性の結果も貰っている。

確かに感染のリスクもあるだろうが、それで私たちの自由を奪う権利は無いだろう。

そんなことを思いながらジャッキに入れられたウーロン茶を飲み干す。


かくいう私はまだ二十歳を迎えていない。

今年の二月で二十歳になる。

私以外は皆成人しているらしくグビグビと飲んでいる。

酔いながら皆が話していることを聞いていると、何となく誰が誰で、そして今は何をしているのかが分かってきた。

例えば一番上座に座っているユウ

彼は中学卒業後に水産系の大学へ進学し、その後漁師である父親の跡を継いだらしい。

次に今七杯目のビールを頼んだハナ

彼女は服飾関係のデザインを勉強したくて、今ではその道の専門学校へ通っている。

あと飲み過ぎてそこで寝転がっているケン

彼は高校生の頃スカウトされて、現在は関東の方で役者をやっているらしい。

他にも、先生になるために教員免許を取ったミオ。高卒で就職したヒデ。県外の大学で農業を学んでいるシュウ。


皆それぞれ変わっているのだ。やっぱり私だけ――


味がしない。

本当は何本でも食べてしまうこの店の絶品焼き鳥が全く進まない。

ただただウーロン茶を飲み続ける機械と化してしまったようだ。


「ハル、たくさん飲んでるね。ウーロンハイ?」

私にたいしてかける声が聞こえた。

正面を見ると、少しスリムで白シャツ姿の男性。

たしかこの人は……。

「大学を中退してフリーターになったリク……」

「ハハッ、酷い言い方だね」

「あっ、ごめん。つい……」

「いいよいいよ。本当のことだしね」


そう言いながらリクはもう一度ビールを喉に通す。


リク。

この人も中学の頃の友人だ。

当時は真っすぐ過ぎて、思ったことをよくそのまま口に出していた。

そのせいでグサリと刺さることを言われて枕を濡らす夜があったのは遥か昔。

今フリーターになっているのも正直なことを言ってトラブルになったことが原因だとかどうとか……。


「えっと、最近どう……?」


耐え切れない沈黙につい口を開いてしまう。

「え? あぁそうだね。まぁ悪くはないよ」

「そっか……」


また生まれる沈黙。

本当は酔っている人たちの騒ぎ声で騒々しいのだが何故か今は無音に感じる。


「そっちは?」

「え……?」

「いや、何か思い悩んでいるようだったからね。オレで良ければ話聞こうか?」

リクはさわやかにニコリと笑う。

「あ……いや、何でもないよ……大丈夫……」

「ふーん……。そっかー、『大丈夫』かー」

何か言いたげにリクはわざとらしく大きめの声で言う。

「ど、どうしたの?」

「何でもなく無いよね」

即答だった。

リクは有無を言わさない速さで言葉を続ける。

「普通、何でもないときに『大丈夫』なんて使わないよ。何かあるから『大丈夫』をつかうんでしょ? ねぇ、何に悩んでいるの?」

おそらく一切悪気なんて無いのだろう。ただ思ったことをそのまま口に出しているだけなのだろう。


だが、そんな彼の言葉に心なしかイラっとしてしまう。

そうだ、リク君は当時からこんなんだった。それでよく先生も怒らせていた。

つい深いため息をこぼす。

だが、このまま誤魔化していても彼は人の話を聞かないだろう。

私はしょうがなく渋々話そうと口を開く。


「ハァ……、実は――」


でも、そこから言葉は出ない。

間抜けに空いた口からはただ息が漏れるだけ。


「ん? どうしたの? あるなら早く言いなよ。悩んでいるんだろう?」


顔が良くてこんなことを言ってくるのが余計にムカつく。

分かっているよ。言えるなら苦労しないよ。私だって言いたいよ。


でも口から声は出ない。

出ていくのは重い呼吸と脆いメンタル。

つい目の中に水分が溜まってしまう。


「ごめん……、ちょっとお茶を飲み過ぎたみたい……」

目の淵をちょっと擦る。

「いいよ。それより、心を落ち着かせたいのなら一回深呼吸して見たら」

「うん……。そうする……」


私は開けっ放しだった口を一旦閉じ、大きく深呼吸をする。

鼻に入ってくるのは新鮮な空気と周りに充満した酒の臭い。

数十秒かけてゆっくり深呼吸をし、もう一度口を開く。


「……実はね」

「うん」

「怖いの」

「怖い?」

リクは首をかしげながら私を見る。

「そう、怖いの。つい最近まで子供だったのに何でいきなり大人にならないといけないの? そもそも大人って何なの? 二十歳になったら人間は大人になれるの? 式を迎えたら人間は大人になるの? いや、何の変哲もない毎日の中の、たった一日を超えただけで大人になんてなれるわけないじゃん」

悩んでいたことを全て吐き出す。

「皆は良いよね。それぞれやりたいことを見つけて、それに向かって変わって行っている。大人へと着実に足を進めている。でも私には何もない。昔からそうだったんだ。やりたいことが、『成りたい私』が無かったんだよ。あの頃から何も変わってない。私だけが……、私だけが遅れている……」

机の端をじっと見つめながら全て言う。

大人になれない自分の未熟さ、そしてこんなことをリクに話しているという二重苦。

逃げることは出来ないし、立ち向かうこともできない。

そんな無様な私に嫌気が差して、胸が締め付けられる。

無言で俯いていると、誰かが頼んでいたのか目の前に新しい焼き立ての焼き鳥が運ばれてきた。

でも香ばしい匂いはしない。

本当はとても美味しそうな匂いで人々の食欲を誘うのだろう。

現に今、皆バクバクと食べ始めている。

でも私の食欲は一向に湧かない。


「ふーん……。そんなことで悩んでたんだ」


『そんなこと』

その一言で済ませられた。

分かってはいたけど他人にとって人の悩みとはそんなものなのだろう。


「まぁどうせリクには分からないよね」

「あぁ、分からないね。ただ、ハルは自分のことを『変わってない』と言うけど『変わっている』ってことは分かっているよ」

フォローのつもりなのか知らないが、そのように言うリクを少し訝しんで睨む。

「なにそれ。『変人』って意味で『変わっている』ってこと?」

「そんな訳じゃないよ。『悩む』って行動は『変化』を求めている行動のことだろ? 『今の自分から未来の自分へ変化する』。つまり、人間は生きている以上、絶対に大人へと成長していっているんだよ。でもそれと同時に、人間はずっと子供のままなんだと思う」

「どういうこと……? なんか矛盾していない?」

「あぁ、矛盾している。自分でもそう思う」

そう言ってまたビールを飲む。

「つまりだ、『大人』、『子供』の境なんて無いんだよ。人間はいつだって大人にもなれるし、子供にもなれる。街を見てみろ。感染症が蔓延っているというのに頑なに電車の中でマスクをしない大人、そんな奴らよりすぐ傍でしっかり手洗いうがいをしてマスクをしている小学生の方がよっぽど大人だ」

リクははっきりと言い切る。


「ユメがさ、お前のこと心配していたんだ」

いきなり予想外のところからユメの話が飛んできた。

「……え?」

「それで今回集まるとき何か思い悩んでいそうだったら話を聞いてあげてって言われていてさ」

「え、でもなんでリクが?」

「だってユメには絶対言わないだろ。『大切な友人に愚痴なんて言いたくない』とか言って」

「うっ……!」

思い当たる節がありすぎてその言葉が胸を突き刺す。

「昔からそうだったけど、ハルはいつも周りを気にしすぎているんだよな」

「しょ、しょうがないじゃん……!」

「まぁ気持ちも分かる。人間、誰かを意識したり誰かと比較したりしないと生きられないからな。なあ、他にも悩んでることがあるなら、どんなちっぽけな事でもいいから話してくれ」

「……分かった」



*******************



それから、私は何時間もリクに話した。どんな些細な事でも、とても重い話も。でもリクは全くバカにすることもなく、最後までずっと話を聞いてくれた。

リクとの店が閉店する時間まで続いた。

流石に深夜の一時をまわってしまったので解散をすることになり準備を始める。


「んじゃ、そろそろ準備するか」

「うん。そうだね。皆を起こさないと」


眠っている人たちを起こし、店の外に出て一同は別れの言葉を交わしている。

「でもさ、リク。やっぱ皆変わったよね」

「そうか? 中学生になると『小学生の頃はガキだった』と感じるし、高校生になると『中学生の頃はガキだった』って感じる。そして大人になった今も『高校生の頃はガキだった』って……な。結局のところさ、『あの頃はガキだった』って思っている間はまだまだガキなのかもしれないな」

「ははっ、そうかもね」

「そうだハル、また何かあった時のために連絡先を交換しておかないか?」

「あ……。うん、そうしよ」

お互い携帯を取り出し、連絡先を交換する。

少ない連絡先の欄に一人追加される。


「ちょっと~!! 二人で何話してんのよ~!」

「うわっユメ! だいぶ飲んだんじゃないの?」

そんな中、ユメが私の背中に抱き着いて来た。

もう完全に酔いつぶれているようで、ずっとアハハと笑っている。でもその喧しさ、騒々しさがほんの少し心地よくも感じた。

おもわず頬が緩む。


「じゃあハル、俺は他の奴らを送って行くからユメの見送りを頼む」

「え!? 私が!」

「あぁ、ちゃんとお前の気持ちを話してやれ。じゃあな」

「でも……」

「なに恥ずかしがってんだ。男だろ、しっかりやれよ!」


リクはそう言い残して酔いつぶれた彼らを連れながら歩き去っていった。


店の前には取り残されたのは私とユメ。

とりあえずユメを背負って、夜の街を歩き始める。


ユメは私の背中の上ですぐ眠ってしまった。


夜の冷たい風が私を包んだ。だがどことなく暖かい道。

明かりもなく、すべてが眠った道。

たしかにそこを歩いていると、僅かながら大人になったような気もする。


背中に確かに伝わる暖かな温もりと触感。

小さな寝息が耳の傍で聞こえてくる。


「――ありがとう」


眠って聴いていないのは分かっている。

だけどつい、声に出して言う。

いや、聴こえてないから言えたのもあるだろう。もしこれが聞こえていたとすると恥ずかしくて耐えられな――


「どういたしまして」


耳元でそんな小さな声が聞こえる。

首筋がくすぐられるように甘い声で私の耳の中に入っていく。


「……聞こえていた?」

「うん!」

「恥ずかしい……」

顔が熱くなる。触っても無いが明らかに熱を帯びていることは分かる。

「そんなことないよ。だって友達じゃん」


友達。

そう友達。

私とユメは友達だ。小学生の頃からずっと。


でも、リクからユメの心の内を聞いてしまった。


人生は長い。大人になってからも長い。子供でいられるのはたった二十年だけ。

でも、大人になれば良くも悪くもいつでも子供にもなれる。

バカみたいに笑い合ったり、話し合ったり、遊び合ったり。

そして大人にならないと分からない気持ちもあったことを知った。


「あのさ……」

震えながら口を開く。

「ん? どうしたの~?」

ユメはまだ上の空でニコニコしながら聞き返してくる。


なんかリクにも申し訳ないことをさせてしまったな。

頭の隅にそんなことを思いながら、私は言葉を続ける。




「俺もユメのことが――」






夜も、まだ長かった。

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