第46話
「私は、あなたならできると信じていますよ。それに、私も夫の暴走を許してしまった時点であなたと同罪ですから」
その後、一旦レオナルドとは別れ、ティアナは皇后との謁見に挑んでいた。
先ほどの話を根掘り葉掘り息子から聞き出していた皇后は、彼の決意を聞いて励ましていた。
実は、皇帝と皇后はこの度の件の責任をとる形で退位することになったということだった。実際に悪いのはルスネリア公爵なのだが、その暗躍を許し、他国にまで迷惑をかける結果になったことへの責任を国のトップとして問われる形となった。
実害は国内の枠を超えず、幸いにもイリスタッド王国内でも懸案事項だった盗賊団の壊滅という利益があったため事なきを得たが、一歩間違えばイリスタッド王国との友好関係にヒビが入ってもおかしくなかった。
この事実を重く見た皇太子と皇太子派の議員たちによって皇帝の退位が提案され、議会で決議された。皇帝の交代という大きな外交カードを携えて行われたイリスタッド王国との会談は、終始和やかに終わったという。
「ティアナさんがウィルの隣にいてくれれば私も安心して隠居生活を送れるのですけれど……」
急に皇后に水を向けられたティアナはビクッと身体をこわばらせた。
「母上、ティアナ嬢を困らせないでください。それより、話したいことがあるのでしょう」
皇后の言葉を聞いた瞬間、ウィルバートは無表情のままピシャリと皇后の言葉を遮った。
「そうね。それと、改めて謝らせていただくわ。私の夫が罪もないあなたを陥れるようなことをして、本当に申し訳なかったわ」
母子の会話を緊張した面持ちで聞いていたティアナは、あっさり引き下がった皇后にほっとしながらも、再び謝意を伝えられ動揺した。
「いいえ。いいのです。もう過ぎたことですし、皇后陛下に謝っていただくことではありません」
「けれど、私があなたに謝らなければならないのはそのことだけではないのです」
皇后は、憂い顔で一旦言葉を切って、一口お茶を含んだ。それはとても優雅な所作で、自分が同席させてもらっていることがティアナには場違いに思えた。
お茶で喉を潤した皇后は、言い淀んでいる様子だったが、意を決したようにやっと話し始めた。
「私、フランネア帝国に輿入れして以来、エルザ・ルスネリアとはとても仲良くさせてもらっているのです。だから、あなたがルスネリア公爵家で辛い目に遭っていることも彼女から聞いて知っていたのです。彼女はきっと領地から離れられない自分に代わって私に手を貸してほしいと思って話したのだと思います。けれど、私は何もしなかった」
落ち込んだように話す皇后の姿は自分を責めているようでとても痛ましく見えた。
「なぜなら、あなたを利用できると思ったから。ふふふ。私もロバートや夫と同じ穴の狢だったのです」
当時、ティアナの境遇を知った皇后は、詳しい状況を調べることにしたそうだ。もし助けを必要としているようならエリザの代わりに助けようと思って――。しかし、ティアナの身元調査をしていると、なんと息子の恋人であったという過去が出てきた。しかも、息子は未だ彼女に執着していて、再び手に入れるために下準備をしているという。
ウィルバートは当時、未来の皇帝としてはいささか頼りなく、未熟なところがあった。
現に、将来の伴侶に望むほどの女性を一時ではあったが逃し、見つけたはいいが、見つけた先で困難に遭っていることは掴みそこなっていた。つまり、脇が甘いのだ。皇后はなんとかこの機会に彼を成長させられないかと考えた。その結果、彼女は口をつぐんで手出しをしないことにしたのだ。自分で気づいて後悔することによって成長が促されるだろうと期待してのことだった。
「どう言い繕っても、あなたをウィルバートの成長の糧にしようとした事実は消えないのです。その結果あなたの心がどんなに傷つくかということに思い至らなかったわけでもないのです。私はあなたの心を犠牲にして息子を成長させようと目論んだのです」
ティアナは、とても罪深いことをしてしまった、と言わんばかりの皇后を緊張しながらじっと見つめて話を聞いていたが、話が途切れたところでふっと息をついて口を開いた。
「不敬を恐れずに言わせていただきます。皇后陛下は、やはり理想の皇后陛下です。とてもお優しく、民思いの――」
ティアナは嘘偽りない言葉を伝えようと肩の力を抜いた。
「私は平民として暮らした期間が長いので知っています。普通の人は自分のことが一番で、他人のことは二の次です。私が傷ついたとして、誰かに迷惑をかけるようであれば違ったかもしれませんが、そんな事実はありません。私が傷つくことは他人からすれば自分に関わりのない『どうでもいいこと』なのです。
だから、本来ならば皇后陛下にとっても『どうでもいいこと』であるはずです。でも、皇后陛下にとってはそうではなかった。あなた様は国民の利益をまず優先してくださる素晴らしいお方です。いち国民である私の心の状態まで慮ってくださり、なおかつ私の心を助けられなかったことを悔いていらっしゃるご様子。それは、あなた様が素晴らしい方であるからこそ抱く気持ちなのだと思います。そう思ってしまうのは皇后陛下のお人柄ですから仕方ありません。ただ、私がいま一番お伝えしたいのは『お役に立ててよかった』という気持ちです。『どうでもいいこと』で終わるはずだった私の傷が誰かの役に立ったのでしたら大変喜ばしいことです。苦労した甲斐がありました」
にっこり笑顔も添えてそう伝えると、皇后とウィルバートは揃って眉を寄せて難しそうな表情をした。ティアナは意味がわからない、とでも言いたげな二人の顔を見ながら、とてもそっくりな親子なのだなぁと穏やかな気持ちでぼんやり思った。
「私のこの気持ちが『きれいごと』と言われればそれまでのことですが……少なくとも私は、これまでの自分の人生が不幸だとはまったく思っていません。そうなるべくしてなったのだと思いますし、それこそ助けてくれなかったといって皇后陛下や皇太子殿下を恨むなどという筋違いな気持ちは露ほども抱いておりません」
今度は予想外な言葉を聞いたとでも言わんばかりの表情でぽかんと口を開けている。
皇族は表情から心情が読み取られないように訓練すると聞いているが、今の二人はティアナに素を見せてくれているのかもしれなかった。
本当にそっくりな親子だ。
「ルスネリア公爵家でかけがえのない友人たちにも出会えましたし、そこでの境遇があったからこそ、いまや人気となっている“ティアナステッチ”も生まれました。ルスネリア公爵家での日々は私の糧にもなったということです」
ティアナはまだ恥ずかしさが抜けきらないので、“ティアナステッチ”の単語を口にするときだけ反射的に声を小さくしてしまった。ちゃんと言いたかったことは伝わっただろうか……と思いながら続けた。
「もし誰かがルスネリア公爵家から私を連れ出してくれていたとしたら、今の私とは違う私になっていただけのことです。でも、私は今の私を気に入っていますから……結果的にあの家にいられてよかったのだと思います。私、案外図太いんですよ? だから、お二人が気に病む必要はまったくないのです」
ティアナは輝くような笑顔でそう語った。笑顔が眩しすぎて目をすがめたウィルバートは、好きな女性に苦労させたいと思う男はいないよ……と口には出さずに思った。
一方、ティアナの腹の据わった発言を聞いた皇后も満点っ! と口には出さずに思っていた。
外見も美しければ心も美しい娘を、是非とも愛する我が息子の嫁に迎えたいと切望していた。
でも、それよりも皇后は自分の欲望に忠実だった。
「では、この話はこれで終わりですね。私の謝罪は受け入れてもらいましたし、これで堂々とティアナさんにお願いできます。――是非、私にティアナモデルのドレスを仕立てていただきたいのです。お願いできますよね?」
「――っ! 母上、厚かましいですよ!」
「だって! ティアナモデルのドレスってとっても素敵なのですもの! ティアナさん、あなたは本当に才能豊かで……私の専属になってほしいほどです。でもだめですね。皇后になる方にそんなことさせられませんもの」
「母上!」
ティアナに僕と結婚しろと圧力をかけることはしないと約束したではないですか! とウィルバートが小声で問い詰めると、あら? そんなつもりはなかったのですけれど……と言って皇后がとぼけたふりをして明後日の方向を向いている。
二人はティアナに聞こえないように努力して声を抑えているようだが、丸聞こえである。
やっぱり仲の良い親子なのだわ、と微笑ましく見守りながら、緊張から解き放たれてやっとお茶をおいしくいただくティアナなのだった。
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