第9話
どうやったのか詳細は知らないけれど、数日経った後に私とウィルの婚約はすんなりと成立した。
アドルファス宮殿での日々はとても穏やかに過ぎていく。
私の名目上の勤務先を提供してくれたオリヴィア皇女殿下は、私とウィルの婚約を歓迎してくれた。14歳の皇女殿下はとても可愛らしく、私のことを慕ってくれて『ティアお義姉さま』と呼んでくれる。私にも『リヴィ』と愛称で呼ぶことを許してくれた。可愛い妹ができたみたいでとても嬉しい。(アマンダのこともある意味可愛いとは思っている。)
ドレスは今までアマンダのお下がりを仕立て直して着ていたことがなぜかバレていて、ウィルがこれでもかという程たくさんのドレスを私のために仕立ててくれた。
ところで、私、採寸をした覚えがないのだけれど……サイズはどうしてわかったのかしら?ルスネリア公爵家に問い合わせたらわかるもの?これも貴族スタンダード?それとも皇族スタンダード?まあいいのだけれど。
とにかく、私のためだけに仕立てられた衣装なんてこれまで手にした経験がなかったから、最初の一着を手にした時には感動してドレスに触れる手が震えた。考えてもみなかった贅沢に目眩もした。
しかし、こうやって率先して購入することで経済活動を活発にするのも皇太子妃の務めだと妃教育で勉強した。
かといって血税を無駄遣いするわけにもいかないから、贅沢をしすぎず、必要なものを必要な分だけ求められる感覚を養っていこうと思う。
ウィルの護衛を紹介された時も驚いた。なんと、彼の護衛の隊長として現れたのが、5年前ウィルと付き合い始めた時に友人として紹介されたフィルさんだったのだ。
突然こんなに豪華な宮殿に住むことになってしまって、知らない場所と人にずっと緊張状態だった私は、ウィル以外の見知った顔を見つけた喜びで張り詰めていた緊張の糸がぷつんと切れ、無意識にフィルさんの名前を呼んで駆け寄り、手を握ってしまっていた。
その時の私は迷子になった子猫のような心細そうな顔をしていた(フィルさん談)ようで、フィルさんには仕方のない子だなーみたいな呆れた表情で苦笑されるし、ウィルには無言でやんわりと解かれた手を握り込まれるし、我に返った後にやってしまったと背筋が凍った。
その場にいた人はみんな苦笑いしていたけれど、ウィルだけは完璧な笑顔だったのが怖かった。いや、目だけ笑っていなかったかもしれない。もうしないように気を付けよう。
そして一番嬉しかったのが、ミリィが私付きの侍女として宮殿にやってきてくれたことだ。
ミリィには私の両親の話からウィルと婚約に至るまでの全ての話を聞いてもらった。
ミリィには両親が亡くなるまで付き合っていた「ウィル」の話は元々していたから、彼とウィルバート皇太子殿下が同一人物と聞いて「恋愛小説みたい!」と大興奮していた。
彼女は読書家なのだ。
何はともあれ親友に婚約を祝福してもらえてほっとした。
アドルファス宮殿では恐れ多いことに皇太子妃の部屋を使わせてもらっており、専属の使用人もたくさん配置されている。
ミリィは侍女として皇太子の婚約者に仕えている関係上、敬語の使用は譲れないらしく、これまでと同様の話し方をしてほしいという私の願いを一刀両断にした。
その代わり、せめて二人きりの時だけはとの私の必死の懇願は受け入れてくれた。ミリィはとても真面目なのだ。
「ルスネリア公爵家のみんなの様子はどうだった?私がいなくてもみんな優秀だから仕事は滞らないと思うけど」
「ティアが帰ってこないって急にロバート様から聞かされてみんな動揺していたわ。でも、帰ってこない理由を知って暇乞いが急増したらしいわよ。
私もそうだけど、暇をもらった人たちの大半はアドルファス宮殿で再雇用されているらしいわ。ランドール様が教えてくれたの。ロバート様も暇乞いには柔軟に応えていて、希望が通らなかった人はいないみたいだから、ルスネリア公爵家は使用人を総入れ替えしたような状況になっているらしいわ」
こういった情報はウィルの側近のランドール様が取りまとめているのだという。
私が保護されなければならない環境に置かれていることも、彼が突き止めてくれたそうだ。
そこに至ってやっとウィルにお下がりドレスの件がバレていたカラクリも判明し、納得した。
でも、ランドール様が一度見ただけでわかったというのは、私の裁縫の腕が拙かったのが原因であるだろう。ドレスの仕立て方を教えてくれて、最近ではもう教えることはないと太鼓判を押してくれていたメイドのメアリーに申し訳なくなった。
「え!じゃあ元同僚のみんなはほとんどみんなこの宮殿にいるってこと?」
「元同僚って……まあいいわ。そうね。私もまだ一部の人としか顔を合わせたことはないけれど。みんなティアのこと大好きだからね。追いかけてきたんじゃない?きっとみんなあなたに会いたがっているわよ」
「またみんなと一緒に過ごせるなんて嬉しいわ!両親がいなくなってしまった後は急にルスネリア公爵家で働くことになって、いろいろ辛いこともあったけれど……ミリィや他の使用人のみんなと出会えてたくさんのことを教えてもらったし、家族みたいに温かく迎え入れてもらってよくしてもらえたし、悪いことばかりではなかったわね」
「大好きだったのに何も言わずに別れなければならなかった『ウィル』にも再会できたしね?」
「……うん」
「ティアが幸せそうでよかったわ。私は何もできなかった役立たずなのに、こうやって希望通りティアの一番近くで働かせてもらえて、感謝しているのよ。これからもティアの幸せを私の精一杯で支えていくからね」
「私はミリィがいてくれたからあの家でも頑張れたのよ。覚えてない?最初はみんな仕える家の令嬢であるはずの私が使用人として働くから、どう扱っていいのかわからなくて遠巻きにしていたでしょう?その垣根を壊してくれたのがミリィだったのよ。ミリィがいなかったら私はあの家でどうなっていたのか想像もつかないわ」
「そんなこともあったかしらね?よく覚えてないわ」
「えー!私たちの友情が始まった日を覚えていないなんて許せない!」
私とミリィはクスクスと顔を見合わせて笑っていた。
私たちの日常は、これからもこんな風に幸せに過ぎていくのだろう。
こんな環境を整えてくれたウィルやランドール様やフィルさん、そして私たちを助け、支えてくれる全ての人たちに感謝した。
◆◆◆
そして、婚約者となったウィルとはこの宮殿に来て以来毎日会っている。
いくらお互い同じ宮殿内に住んでいたとしても、ウィルは皇太子殿下だ。そう毎日のように会えるわけではないのだろうと思っていた。……が、当初の予想に反して毎日顔を会わせることとなった。
最初は私が勉強中だったり、リヴィ殿下とのお茶会中だったりする時にどこからともなくウィルが姿を現して、「近くを通りかかったから」と言ってちょっと話していく程度だった。それが、日に日に滞在時間が長くなっていき、お仕事は大丈夫なのかしら……と思っていたら、やはり痺れを切らしたランドール様が迎えに来た。聞くと、「最初はちょっと顔を見に行くだけ、というから目こぼししていたが、限度を過ぎたので迎えにきた」とのことだった。
ウィルはランドール様に叱られることよりも、私に会えなくなる方がつらいとしょげていた。
仕方がないので、ランドール様と交渉して毎日お茶の時間を設けて、私が会いに行ってもいい時間を捻出してもらうことになった。
私に全く会えなくなったら仕事に支障が出そうなので、こちらからも是非お願いしたい、と私の申し出に賛成してもらえた形だ。
忙しいウィルの負担にはなりたくないけれど、私に会いたいと思ってくれるのは素直に嬉しかったし、私からは会いたいなんてわがままは到底言えなかったと思うので、ウィルとのお茶の時間を設けてもらえることになって、私もとても嬉しかった。
せっかく忙しい時間を割いてもらえるのだから、ウィルやランドール様やフィルさんに少しでもゆっくりして疲れをとってもらえるように、私は宮殿メイド直伝の方法でお茶を入れたり、パティシエ直伝のレシピでお菓子を焼いて持って行ったりした。(最初はウィルが独り占めしようとして大変だった……)
宮殿で働いている方たちは私がお願いすることを皆快く聞いて、手伝ってくれた。みなさんに私たちの婚約が好意的に受け入れられているように感じられて、本当に嬉しかった。
しばらくして宮殿での生活にも慣れた頃、改まった態度のウィルから「いつ危険が迫ってくるかわからないから、皇族に伝わる隠し通路を教えておきたい」と、少しずつ隠し通路を教えてもらい、頭に叩き込んだ。
義父ロバートはまだ義妹アマンダを皇太子妃に据えることを諦めていないらしく、何かこそこそと動いているという。
私が嫁ぐのだから、それでよしとはならないようだ。私だってルスネリア公爵家の人間なのに。やはり養子だからだめなのだろうか?一応血も繋がっているのだが……そういう問題ではないのだろう。
義父とは命令をされる時以外に会話をしたことがないので、どんな人間なのかもわからなければ、何を考えているのかも全くわからない。
こういう政争に自分が巻き込まれるとは思っていなかったけれど、好きな人のためなら喜んで何にでも巻き込まれる所存である。
それに私は自覚はなかったけれど、プロスペリアの王女なのだ。自分と向き合うという意味でも、このような政治的な問題から目を背けてはいけないと思う。皇太子妃、ひいては皇后になろうとしているのだからなおさらだ。
自分には何ができて、何を成すべきなのかをしっかり考えていかなければいけないと思う。
アマンダは政争の具にされているようで可哀想には思うが、自分で考えて動けばいろいろな道が開けると思う。自らの意思で行動を起こせない人間に皇太子妃の座を譲るわけにはいかない。
宮殿でウィルの婚約者として過ごすうちに、私はそんな風に考えるようになっていた。
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