第10話幕間
「マリエッタ・ドロリナ。エレーナ・モロゾワ嬢を殺害未遂で拘束する!当然、婚約も破棄だ!!」
茶色に近い金髪に黒い瞳のハンサムといえる部類の青年が、一人の女性に指を突きつけて仁王立ちしている。その背後には怯えたような赤毛の女性がぴったりと張り付いていた。彼女が、エレーナ・モロゾワである。
今日は、アレクセイ・メンショフ公爵子息とマリエッタ・ドロリナ公爵令嬢の婚約発表パーティであった。メンショフ公爵家とドロリナ公爵家にゆかりのある貴族達が大勢広間に集まっている。
本日の主役の一人であるマリエッタ・ドロリナが一人で会場入りしたところから波乱に満ちたパーティが始まっていた。
遅れてやってきたアレクセイは、隣に婚約者では無い女性を連れて会場に入り婚約者であるマリエッタを弾劾し始めたのだ。
会場中の視線を集めマリエッタは、震えていた。悪事がばれたからでは無い。自分が全く知らないことで辱められているからだ。
色素の薄い金髪、色白の肌、形の良い空色の瞳、ぽってりとした唇。マリエッタは美女といっても差し支えない容貌をしている。
「私、エレーナ・モロゾワという人を知りません」
やっとの思いで、自分の無実を訴える。アレクセイから、怒鳴られたことなどなかったマリエッタは、恐怖で声が震えた。
パーティの招待客達が面白そうにマリエッタとアレクセイを取り囲んだ。一人で会場入りをしたマリエッタをわざと聞こえるように招待客達が揶揄をする。
突然の悪意に戸惑うマリエッタを、アレクセイは罪の言い逃れを探していると勘違いし、激高する。
「嘘をつけ!エレーナは散々お前に虐められ、暴力を受けたと言っている。これが証拠だ」
アレクセイは掲げた紙をマリエッタの顔面に叩きつけた。避けきれなかったマリエッタを招待客達が嘲笑をする。
マリエッタの顔に当たった紙が、マリエッタを囲うように床に舞い散った。
マリエッタは床に散らばった紙を広い、その一枚を読み上げる。どれも、これもエレーナの主張だけが書かれている。
マリエッタ側に取材した記録は無い。
完全にでっちあげの証拠だった。
「……私はエレーナ・モロゾワに会いに行ったりしていません」
マリエッタに言えることはこれだけだった。マリエッタの世界はとても小さかった。家族の他には婚約者のアレクセイが占めていた。
エレーナ・モロゾワという男爵令嬢には夜会で会うことは無い。
男爵家と公爵家では格が違う。公爵家が開くパーティに男爵家を呼ぶことはあり得ないし、公爵家がゲストとして招かれる家に男爵家はありえない。
そのくらい明確な線引きがある。
夜会で家同士の付き合いが無ければ、成人前の子供同士が知り合う事なんてない。
それなのにどこでその成人前の女性のことを知るというのか。
「黙れ」
アレクセイは醜いものでも見るようにマリエッタを見た。
マリエッタは、アレクセイにそのような目で見られるのは初めてだった。
二人の会話に割り込んできたのは、アレクセイにしがみついているエレーナである。
身分の高い二人が話をしている場に、身分の低いものが勝手に話に割り込むなど礼儀に反している。
いつものアレクセイであれば、「礼儀知らず」と怒鳴りつけるはずだが、今日は違う。自分の右腕にすがるエレーナの小さな手に自分の左手を添えた。
優しい心遣いにエレーナが顔を上げ、アレクセイと視線が交差した。
アレクセイに励まされ、エレーナは堂々とマリエッタを正面から見ながら言った。
「マ、マリエッタ様、どうか嘘はつかないでくださいませ。私ずっと貴女に虐められていたこと怖くて誰にも打ち明けられなかった」
エレーナは虐められた時のことを思い出したのか右目からぽろり、と涙をこぼし頬を伝う。アレクセイが勇気づけるようにエレーナの左手を握った。
エレーナとアレクセイは再びお互いを見つめ合い視線を絡ませる。
「それをアレク様が手をさしのべてくださったのです」
エレーナの訴えに、会場中がざわつく。アレクセイの勇気ある行動と、哀れなエレーナに同情が集まったのだ。
公爵家が怖く誰も口にしないが、マリエッタは清らかな乙女を殺そうとした極悪人に決まったのだ。
会場中から向けられる悪意にマリエッタは震えた。自分を無実だと信じてくれる人は誰も居ない。
守ってくれるはずの家族は、なぜか会場に居ないのだ。
「アレクセイ様、どうして信じてくださらないのですか?」
マリエッタの心からの訴えに、アレクセイは鼻で笑った。
「エレーナを信じるのも当然だろう。俺はお前の所業に呆れていたところをエレーナに救われたのだ」
アレクセイとエレーナは向かい合い、お互いの手を握り見つめ合う。
「真実の愛はここにあったのだ」
「そんな……私……」
会場中がアレクセイとエレーナの清らかな愛を讃えていた。
婚約中の男が別の女に浮気をしていたことは、無かったことにされた。ここに存在するのは、悪女にだまされた青年と悪女に殺されかけた美女が互いに手を取り合い悪に勝った美しい話だけだった。
アレクセイは、エレーナの腰に手を回し言い放った。
「真実の愛を知らないお前は哀れで、ゴミクズも同様だな」
アレクセイは合図を出し、衛兵達にマリエッタを捕らせさせた。先ほどまで涙を流していたはずのエレーナは、マリエッタを見て楽しそうに笑っている。
マリエッタは追いすがろうとするが、激情に任せたアレクセイによって頬を殴られ、床に倒れ込んだ。
口の中を切り血を床に吐き出しながら、マリエッタは顔を上げた。
すぐに衛兵達がマリエッタを後ろ手に押さえつける。頭を床に押さえつけられる直前、歪む視界で見えたのは、エレーナの嘲笑した顔だった。
――アレクセイ様!お待ちになって
マリエッタは、自分に身に覚えの無い罪を自白するために拷問にかけられ、一週間後に絞首刑になった。
「チョロイ!公爵家なんていうからもっと手強いかと思ったけど」
赤毛の派手なドレスを着た女がソファに座って笑っている。エレーナ・モロゾワである。夜会の時に見せたしおらしさなど、どこにも無い。
男爵家にそぐわない豪華なソファは、アレクセイから貢がれたものだ。男爵家の家格に合わない家具やドレスは、全部男達からの貢ぎ物である。
「でも、もう、そろそろアレクセイは用なしね」
エレーナの最終目標は、実権を握った王妃になることである。王家に近づくために王族の親族である公爵家に近づいた。
マリエッタ・ドロリナは美しいだけのお人形さんで脅威では無かったが、ドロリナ家は厄介だった。エレーナの数代前の女性がドロリナ家に邪魔されて、王妃になれなかったのだ。
今回は、そうなる前に先手を打った。もう一つの公爵家を利用したのだ。
アレクセイに近づくことで、王子との面会も増えた。最近、王子が自分を見るときに色目を使っていることを知っている。
アレクセイの婚約者などに収まってしまう前に、アレクセイと会う機会を減らさなければ。
―――身分違いを理由に、アレクセイにフラれたことを王子の前で泣き崩れれば良いか。
公爵家でも、モロゾワ男爵家令嬢との婚約は二の足を踏んでいる。この隙に逃げ出して王子と既成事実を作るのだ。
「そう。そして一族の悲願を果たすのよ。モロゾワ家の血が王家に混じるのを」
エレーナは狂気じみた笑みを浮かべていた。
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