第62話

3人は最上階の社長室に場所を移した。


古城がコーヒーを淹れる。社長とアンディは先にソファで寛いでいた。


「お、ありがとうさん」


社長は嬉しそうにコーヒーを受け取った。


「賢はコーヒー淹れるの上手いよね」


「お前は自分が入れるの面倒なだけだろ」


コーヒーの香りを楽しんでいるアンディを見て古城はあきれ顔だ。


「そんなことないよ。ほんとだよ」


アンディは不本意だというように目を丸くした。古城はそれを見て軽く笑う。


「お前達二人の仲の良い姿を見ていると、不思議な気持ちになってくるなあ」


「そう? なんで?」


アンディが返した。


「そりゃ、そうだろう。あの大きな訴訟の後だぞ。顔も見たくないもんだろ? でも、解決して一年になるんだなぁ……」


社長はふぅと息を吐いて、古城とアンディを交互に見た。


「LCMとの医療訴訟の事ですか?」


古城が口を開いた。


「そうだ。大垣会長はあのとおりだから自分の意志を絶対に曲げないだろ? 訴訟に踏み切った時は、ウチも終わりかなと心配したよ。なにしろ米最大手の医療会社を相手にするんだからな」


「ビックリしたのはこっちだよ。爺ちゃんがいきなり訴えてきたんだから」


アンディの言葉に社長がため息をつきながら言った。


「アンディ、あれはなぁ、いきなりではなかったんだ」


社長はコーヒーをすすりながら言った。


「え?」


「日本で被害が出ていることはLCMには先に伝えていた。ところが世界中で使用されているのに問題は出ていないからな。他の薬の可能性もあるから相手にされなかったんだ。もちろん、そのことは確認したうえだったんだが……」


アンディは顔色を変えた。


「……そうだなぁ。訴訟を起こすまでに1年ぐらいはかかったかなぁ。なんせ血液の薬だからな。必要性も大きかった。認可が下りて、治療の効果が上がるはずなのに、次から次に病状が悪化する人が出てきてな。大変だったんだ。被害に遭った人の苦しみようを見た会長は放っておけなかったんだと思う」


社長の話にアンディは暗い顔をして俯いた。


「それに、中小の個人病院ばかりで症状が出てな。何故か大病院では出なかった。そのために医療器具の問題だとか看護師のミスだとか、いろいろな噂が飛び交ってな。大変だった」


「うちの親父は、何してたんだろ? そんな事になっているのに」


「日本だけで起きている事だし、自社の製品に自信を持っているから、あまり関心が無かったように聞いた。ちょうど、その時、新しいガンの薬が開発されて話題になっていたから、そっちに集中してたんじゃないかな」


「酷いな、親父は……」


「いやいや、誰もがガンの治療薬の方に目が行くのは当たり前だ」


「日本の患者さんに申し訳ないことをしたよ」


アンディは、苦し気に眉を寄せた。


「会長も自信を持って販売していた薬剤だったからな。答えが欲しかったんだと思う」


そこで社長はコーヒーを一口飲んだ。


「会長もLCMを訴えると決めたものの、アメリカのどの弁護士事務所も引き受けてくれなくてな。苦戦していたよ」


「LCMを敵に回すのは得策ではないもんね」


社長は頷くと続けた。


「そこへLCMがアメリカ最高の弁護団を結成したとマスコミが煽るし、会長は後手に回ってしまったから気の毒だったよ」


「ごめんね」


アンディが申し訳なさそうに謝ると、


「なんで、お前が謝るんだ」


「でも、息子だからね」


「お前はほんとに素直な奴だなぁ」


アンディは複雑そうな顔をした。


「しかしなぁ、賢を連れてきたときは驚いたよ」


「そうだよね。ロースクールを出たばかりの賢をよく雇う気になったね」


アンディは意外そうに古城を見た。


「会長も古い人間だからね。日本人なら話が分かるんじゃないかって……弁護士を探すことにしたんだ。そしたら、医師免許と弁護士資格を持ち、かつ首席で卒業した日本人がいるって言うじゃないか」


「だけど、賢が在籍していた事務所は、うちと契約してたのによく口説く気になったね」


「そのとおり。会長が断られた弁護士事務所のひとつだった」


「でも、大垣会長は頑固だからぁ。絶対に賢を雇いたいと、事務所の前で張り込んだらしい」


「へえ……」


アンディは、感心したように古城を見た。


「あの時は驚いたよ。いきなり“雇いたい!” だからね」


「爺ちゃんらしいネ」


「事務所の所長と賢が楽しそうに話ながら出てきたのを見て、一目見て気に入ったそうだ。それから日参したらしい」


しみじみと言う社長に古城は、


「ニューヨークは冬だったのに、会長は外で待っているんです。雨の日も、雪の日でも……そして、オレを見つけると「腹減ってないか、寒くないかと」といつも気遣ってくれました。会長のほうが冷え切っている筈なのに……」


古城は感慨深げに言った。


「爺ちゃん必死だったんだな。ニューヨークの寒さは半端じゃないぞ」


アンディの言葉に、古城は少しだけ微笑んで目を伏せた。


「じゃあさ、事務所は、面倒になって賢を放り出したわけ?」


「うん。まあ、そんなところじゃないか?」


古城は興味なさそうに答えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る