第60話

「ほら、あそこだヨ。花音ちゃん」


駐車場から、しばらくネオン街を歩くと、アンディが花音に嬉しそうに言った。


「ほんとにお前は食い気だなあ」


無邪気なアンディに社長はあきれ顔だ。


「へい!いらっしゃい!」


社長が暖簾をくぐると威勢のいい声が響いた。


「オウ、大将」


続いてアンディが店の主人に声をかけた。


「おや、今日はアンディさんもご一緒で!」


「おうよ!」


リズム感のあるやりとりが気持いい。


「大将、ここ、いい?」


「どうぞ!どうぞ!」


社長がカウンター席に座る。皆もそれにならった。


「まあ、いらっしゃいませ!」


女将さんが奥から顔を出した。


「あら、今日は、可愛いお嬢さんも御一緒なんですね」


花音が頭を下げると、女将さんは丁寧に頭を下げた。


「お世話になりマス。大将の握りが食べたくなって、はるばるアメリカからやって来ましたヨ」


「ふふ、いつもながらアンディさんはお世辞が上手いわねぇ。ね、あんた」


「何言ってんだ。ほんとの事さ。なあ、アンディさん」


「そうだよ。日本に来たら、ここに来るって決めてるんだ」


「嬉しいこと言ってくれるねぇ」


大将はニコニコ顔だ。


女将さんは、みんなにお茶を淹れながら楽しく会話する。


「ほい、まずは鯛から」


大将が器用に握りながら、みんなの前に置いて行く。


次は、こはだ、はまちと、熟練した手先から繰り出される握り鮨はネタも新鮮でシャリとの相性も最高に良い。


「とってもおいしいです!」


花音の一言に、気を良くした大将は、


「お嬢さん。魚も良いけど、うちのだし巻きは絶品なんですよ。まあ、一度食べて下さい」


花音の為に焼いてくれただし巻き卵は、ほのかに甘くて柔らかく、これまたとっても美味だった。


「おいしいです。こんな美味しいだし巻き卵、初めて食べました」


「そうでしょ? じゃあ、俺も一口」


横からアンディが手で摘まんで口に入れた。


「もう、駄目でしょ。お箸で食べなくちゃ」


女将さんに、叱られたアンディは首をすくめて、嬉しそうに笑った。


世界的な医師だと言われているミラー医師はとっても気さくな人柄らしい。厳しい人なのではと思っていた花音はホッと安心した。


そんな和やかな食事はあっという間に終わり、帰り際、女将さんがそっと花音に卵焼きを持たせてくれた。


「……あ、あの……」


花音が戸惑っていると、


「社長さんからなんですよ」


小さく耳打ちしてくれた。「ねっ」と女将さんが社長に会釈する。社長がニカッと笑った。


「有り難うございます」


花音は三友商事の社長と女将さんにお礼を言った。


みんなとっても優しくて、花音は自分の心の緊張が解けていくのを感じた。


「今日アンディはどこに泊まるんだ。うちに泊まるか?」


と言う社長にアンディが答えた。


「賢に任せてる」


「そうか? 賢は帰るのか」


「いえ、一旦、会社に戻ります。お前も来るだろ?」


アンディはうんと頷く。花音は「え?」っと思って古城を見た。古城は花音に、


「今日はまだ仕事が残ってるんだ」


「あ、あの、じゃあ、今日は……」


「うん、ごめんね」


古城が済まなそうに謝ると、アンディが不思議そうに聞いた。


「え? 何が?」


花音はしまったと思った。


(どうして、”今日は……”なんて迂闊なこと口走ったの……)


ボディガードの話は、花音達とっては大切なことでも、他の人がどう思うか不安だった。この平和な日本で平凡な花音のボディガードなどという突飛なお願いをしているのだ。


まして、これから手術をお願いするミラー医師にどう映るのか……


「彼女のお母さんに、ボディガードを頼まれてね。それで」


「それでって……」


「じゃあ、伊藤さんの家に?」


社長が驚いてアングリした。一方、古城はいつも通りの涼しい顔色だ。


「はい、ゲストルームの一室を使わせてもらっています」


さらりと言う古城に社長は、何か聞きたそうだったが、


「そうか」


とだけ言った。

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