第3話

花音は、課長に頼まれた書類を手に取った。


「違います。これ、伊藤さんです」


自分の名前が出たので振り向いた。コピー機の前で同僚の佐藤真紀と第三営業ナンバー2の吉原が言い争っているようだ。花音は慌てて二人のところに行った。


「あ、あの、なんでしょうか?」


「これ、伊藤さんでしょ?」


「え?」


「これ、伊藤さんに頼んだ分でしょ! 私のせいにされて困ってるんです」


花音には見覚えがない書類だ。


「あの……」


「伊藤君、出来ないなら引き受けるなよ……」


吉原は佐藤真紀の言い分を信じたらしい。花音は自分ではないと言いたかったが、とても言える雰囲気ではない。


「あ、あの、でも……」


「俺の取引額を少なく入力してさ、気分悪いったら無いよ。謝ることも出来なのかよ」


「……す、すみません」


吉原の剣幕に押されて、思わず謝ってしまった。


「私、急いで直してきます」


佐藤は、花音から書類をひったくるように取って睨みつけて来た。あんたのせいで私が叱られたと周りに見せるように……


弁解も出来ないまま話は終ってしまい、花音はいたたまれない気持ちになった。


気持ちを切り替えたくて給湯室に行くと、運よく誰もいなかった。


花音は辛くて、そっとスマホの待ち受けを見た。


引っ込み事案で、なかなか心の許せる友達の出来なかった花音のたった一人の仲良しの女の子。


楽しい時も辛い時もいつも話を聞いてくれるたった一人の友達。


(こうして画面を見ていると、お兄さんにも慰めてもらってるような気になる)


花音はそっと画面を撫でた。


今まで、どれだけ二人の笑顔に励まされて来たか知れない。


(なかなか言いたいことが言えなくて……、凛ちゃんだったら、こんなときどうする? 凛ちゃんは良いなあ。お兄ちゃんがいて……)


写真を見ているうちに、花音の心はだんだん落ち着いてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る