ダレルside1
まだ幼い頃、俺は今よりずっと弱くて泣いてばかりいた。
母を亡くして間もない頃は特に、世界でひとりになってしまったような、言い様のない心細さが俺を支配していた。
だが男たるものメソメソと人前で泣くものではない。軟弱な姿を人に晒すなと父上に教えられていた俺はあの日も城の庭で一人、草影に隠れ泣いていた。
その日は客人が来るので呼ばれるまで部屋にいるよう言われていたが、とても人と会いたい気分ではなかったのだ。
「ぅっ……ひっく……っ」
俺は誰にも見つからないよう声を殺して泣いていた。だが。
「どうしたんですの? 貴方も迷子?」
突如ひょっこりと庭に紛れ込んだ少女が顔を見せた。
アメジスト色の髪と瞳を持つ人形のように整った顔立ちの少女だった。
「私も迷子なの」
隠れて一人泣いている俺を見て彼女は呆れるでもバカにするでもなくそう言って寄り添いチョコチップクッキーを一つ分けてくれたが。
「……いらないっ」
泣きながら俺は顔をそむけた。
「甘いものは嫌い?」
「そうじゃないけど……知らない人から貰ったものを口にするなんて」
決してしてはいけない行為だと教わっていた俺は戸惑った。毒でも入っていたら大事になる。
彼女もそれを察したのか気を悪くした素振りもなく「ああ、確かに」と頷いた。
「ごめんなさい、ついいつも弟たちにしてるクセで」
「お、弟……」
同じ年ぐらいにしか見えない相手に年下扱いされ俺は若干プライドを傷つけられたが。
「これならどう?」
ひとつのクッキーを半分に割ると、彼女はそのうちの一つを頬張った。
「毒なんて入ってないわ。もちろん、いらないならムリにとは言わないけれど」
「……いらない」
「そう?」
その後も彼女はいつまでもぐすぐすと泣き続けている俺の側を離れなかった。
「まだ、悲しいの?」
「っ……」
うるさい、ほっといてくれ。どっか行けと言おうと思った。
しかし彼女をキッと睨み付けた瞬間、彼女は物怖じもせずに俺の手を握ってきた。
「一人で寂しかったの?」
「…………」
「私も同じよ。でももう大丈夫、二人でいれば心細くないでしょう?」
「…………」
彼女は俺を自分と同じ迷子だと勘違いして、深い意味もなくそう言っただけだ。
けれど、それは俺がその時に一番欲しかった言葉だったのだと思う。
本当は誰かに寄り添って欲しかった。ただ傍にいて、一人じゃないよと言ってほしかったんだ。
そんな態度に毒気を抜かれ、俺はしばらくしてから大人しくクッキーを受け取った。
サクサクとした生地の優しい甘さが口の中に広がる。不思議なことに塞ぎ込んでいた気持ちも少しだけほどけた気がした。
「……うまい」
「ふふ、でしょ」
「…………」
ようやく泣き止んだ俺を見て彼女は嬉しそうに微笑んだ。天使のような笑みだと思った。
あの時の彼女の笑顔を俺は今でも忘れられない。
それが俺とエリーザの出会いだった。
◆◆◆◆◆
それから時は過ぎ、エリーザは俺の婚約者となった。美しく心優しい彼女は貴族たちの間で評判で、そんな初恋の相手が許嫁となった幸運に俺は感謝した。
しかし、彼女は産まれた時から決まっていたと言ってもいい、この婚約をどう思っているのだろうか。
学園での授業や王妃教育に追われる生活に弱音も吐かず頑張ってくれているが……無理はしていないか心配になる。もう少し甘えて欲しいと言うのが本音だ。
だがエリーザはいつも大丈夫と答えるばかりで俺を頼ってはくれない。
彼女にとって俺はいつまでも頼りない婚約者なのだろうか。
幼い頃よく泣いていた、頼りなさげなあの印象が彼女には強く残っているのかもしれない。
俺はどんなことからでも彼女を守れる男になりたいと思っているというのに。
そんな彼女が……ある日、オスカーの前で涙を流しているのを見てしまった。
遠目からだったので会話までは聞こえてこなかったが、アイツの前で泣き背中に額を預ける姿は、どこか脆く年相応の少女に思えた。
俺の前では弱音のひとつも吐いてくれた事がないのに。
情けない話だが俺はその事実に動揺し、ただその場で立ち尽くすことしかできなかった。
「今朝……エリーザと何を話していたんだ?」
「なんだ、見てたんですか。アレ」
放課後。オスカーは意味ありげな笑みを浮かべこちらの反応を楽しんでいるようだった。いつもの事だが悪趣味な奴だな。
「気になります?」
「当然だろう。婚約者が……泣いていたんだ」
「うーん、でもオレからは何も言えませんね。だってほら、彼女があの姿を見せたのはオレの前だからだ。殿下には知られたくない事かもしれない」
「むっ……」
「気になるなら直接彼女に聞くしかないんじゃないですか?」
確かにそれは正論だ。
「ああ、あとひとつ。恐れながら忠告があるのですが」
「なんだ?」
「最近殿下の周りをウロチョロしてるお邪魔虫、そろそろどうにかしたらどうです? あれはさすがに見かねます」
キャロル嬢のことか。
「確かに……」
だがどうにかしようにも彼女はまるで俺が何処にいるのか常に把握しているが如く行く先々で勝手に現れるのだ。
エリーザとの二人きりの時間がなくなり、正直俺もどうにかしたいというのが本心だったが……エリーザはキャロル嬢をとても可愛がっている。彼女が大切にしている者を冷たくあしらうのは気がすすまない。
「……あんまり婚約者って立場に胡座をかいてると、横から掻っさらわれますよ。オレみたいなのに」
「なっ、なんだと?」
オスカーは俺の反応を見てニヤニヤすると、ふらっといなくなってしまった。
どういう意味だ。まさか二人は……
人目を忍んで愛し合っている?
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