第8話

 手紙を受け取った私は昼休みに一番人の集まる校舎本館の中庭に呼び出された。そして……



◆◆◆◆◆




「ごめんなさいエリーザお姉様、実は……わたしダレル様を好きになってしまったの」



 前世の記憶を思い出し今に至るというわけだ。



(軽くキャロルさんと出会ってからの事を思い返してみましたが、やっぱり私、彼女にまだなにも嫌がらせしてないわ)


 ウルウルとエメラルド色の瞳を潤ませながら、キャロルさんは私の次の言葉を待っているようだった。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


「……………………お姉様、わたしになにか言いたい事があるんじゃないですか? わたしのこと、ビンタしたいほど憎いんじゃないですか?」

 無言を貫いていた私に痺れを切らせたのか、キャロルさんが訪ねてくるけれど、余計なことは口走らないほうがいいはずだわ。

「いいえ。話がそれだけなら、私はこれで失礼します」

 とにかくこの場から離れようと思ったのだけど、そう簡単にはいかなかった。


「うっ……うぅっ……」

「え? キャロルさん?」

 突然キャロルさんがしくしくと泣き出してしまった。


(え? 何? 私なにかしたかしら?)


 離れたところから見ている野次馬たちがざわざわしている。私がなにか辛辣なことを言って泣かせたというような雰囲気だ。


「ごめんなさい、ごめんなさいお姉様」

「えぇっ!?」

(こ、これはエリーザがキャロルさんをビンタした後の台詞じゃない? ビンタしてないことがなかったことになって会話がすすんでる!?)


 気が付けば何事かとさらに生徒たちの野次馬が集まり、騒ぎを聞きつけたダレル様が人混みを掻き分け駆けつけてきた。


 マンガのシナリオ通りの展開に、私はもう逃れられないのかと呆然とするしかない。


「どうした?」

 彼はヒーローのように現れ迷いなくキャロルさんを背に……庇うことは特になく普通に私の目の前までやってきた。


「ダレル様、お姉様は悪くないの。お姉様を責めないで」


(そうね! 私は責められるようなことをした覚えがなにもないわ!)

 だからキャロルさん。庇ってるようにみせかけて私になにかされた雰囲気を醸し出すのはやめて!?

 ビンタされてないはずの頬を押さえているのは何故!?


 そんな私の心の訴えなど聞こえていないキャロルさんは、ポロポロと涙をこぼし縋るようにダレル様の腕を掴む。

 それはそれはマンガ同様健気で庇護欲をそそる仕種だったのだけれど。

「…………」

 ダレル様はキャロルさんにからみつかれた腕を、眉をしかめて振りほどく。


(あら? 反応がマンガと違う?)


「全部わたしが悪いんです。わたしがダレル様を愛してしまったから!」

 しかしキャロルさんはシナリオ通りの台詞を強行した。強い……


「あなたが好き! 王子様としてじゃない、わたしだけが知ってるありのままのダレル様を好きになったの! だから、この気持ちだけは誰にも負けない!」

 キャロルさんは高々とそう宣言した。ぎゅっとダレル様の手を握りながら、私に向かって。

 まるで自分の想いだけが真実の愛だと言わんばかりに。



 その瞬間、私の中の我慢の糸が……プツーンと切れた。



 どうせ婚約破棄されるとしても……一つだけ言いたい事がある。原作の強制力でこの先修道院送りになるとしても、長年つもりに積もったダレル様へのこの想いだけは、私だって負けませんと言っておかないと気がすみませんわ!


「ちょっとキャロルさん、一言いいかしら!」

 キャロルさんはびくんと肩を竦め怯えるように私を見てくるが、構わない。


「黙って聞いていれば、わたしだけが知ってるダレル様を愛しているですって? この気持ちは誰にも負けないですって? ぽっとでの出逢って少しの貴女にダレル様のなにがわかるとおっしゃるの?」


「なっ……全部です! お姉様は知らないでしょうけど、ダレル様はずっと王太子としての重圧に耐えながらっ」

「それぐらい知っていますわ! それでも努力を惜しまないダレル様に相応しい女性になりたかったから私は王妃教育を頑張ってきましたの」


「っ……でも、お姉様は王太子としての上辺だけしかダレル様を見てないでしょう! わたしは、違います! わたしはありのままの本当の彼をっ」


「彼の不器用な優しさも、無愛想に見えて可愛い所も、野良猫にこっそり赤ちゃん言葉で話しかけちゃうギャップのある所も知っております! 私だって……私だって、ずっと彼を見てきたんですもの。そしてそんなダレル様を愛しております! ずっと、ずーっと昔から!」


 大きな声を張り上げて捲し立てた私は顔を真っ赤にさせて、はぁはぁと息を乱した。

 このあとはきっとマンガ通り「黙れエリーザ」とダレル様が気色ばむ私を一瞥するのだろう。


「……エリーザ」

 あら? 想像と違いダレル様はただ小さく私の名前を呟いた。

 そして僅かに頬を赤らめこちらを見つめて動かない。というか固まっている?


 しかし、キャロルさんは私の言葉をスルーして、ダレル様に向き直る。


「わたしはただあなたへの気持ちを伝えたかっただけです。お姉様からあなたを奪う気なんてないの。だから、わたし……今日をもってこの学園を去ります」

「そうか」

「えっ……」

 あまりにもあっさり頷いたダレル様に、さすがのキャロルさんも「なぜ引きとめてくれないの」と驚き動揺をみせる。


「エリーザ!」

 そして人目も気にせずダレル様は私を抱きしめた。私を???

「そんなに俺を想ってくれていたのか。嬉しいぞ」

「え? えぇ?」

「俺もお前を愛している、ずっと昔から」


 これはどういうこと? 原作と展開が違う?

 よく考えれば前世とか少女マンガの世界とか非現実的過ぎるわよね。

 もしかして私ったら白昼夢をみていたのかしら?

 あれは夢でこれが現実?

 それとも、ここは少女マンガとそっくりなだけの別の世界だったの?


 混乱のあまりダレル様に抱きしめられたまま固まっていると。


「待ってください! ダレル様、どういうことですか? あなたが本当に愛しているのはわたしですよね! わたしのことを愛しているからあの時、大勢の前でわたしを庇って助けてくれたんでしょう?」


 キャロルさんはダレル様を掴んで私から引き離す。

「お姉様、政略結婚なんかでダレル様を縛り付けるのはもうやめてください」


「なにを訳のわからない事を言っている。俺とエリーザは愛し合っている。先日大勢の前で庇ったのは、エリーザがお前の噂や嫌がらせを受けることに心を傷めていたから、エリーザのためにしただけだ」


 え……そういう理由でしたの? 私はもうキャロルさんと二人でお会いにならないでという意味で伝えたつもりだったのだけど。


「でもでも、噂を流したりわたしに意地悪をしていた彼女たちの主犯格はお姉様でぇ」

 え? なんのこと? 私、そんなことした覚えありませんわ??

「エリーザはそんな女性ではない。不名誉な噂がたたないようしっかり裏を取り調べた。オスカー」

 ダレル様に呼ばれ、おそらくずっと近くに居たのであろうオスカーが姿を現す。


「はーい。証言は取れてるよ。キミをいじめてた女の子たちはみーんな、キャロル嬢本人に主犯はエリーザだと言えって脅されたってさ」

「そ、そんなの嘘よ! それも全部お姉様の指示に決まってっ」

 ギロリとダレル様に睨まれキャロルさんは青ざめる。


「それから俺がキャロル嬢を寵愛しているなどというふざけた噂の出所も調べたが」

「これはキャロル嬢に熱を上げてる男たちが広めてたみたいだね。元の出所は……彼ら全員キャロル嬢本人に聞いた話だって言ってたけど」

「自作自演だな」


「そっ、それは、だって本当のことでしょう! ねえ、ダレル様! そんな冷たいお顔でわたしを見ないで……なんでお姉様を庇うの? 二人で花園で過ごした時間は? わたしの存在が癒しだって」


「そんなこと言った覚えはない。俺があの場所に行くのは、野良猫や小鳥たちに癒されるためだ。だが最近はお前に見つかり騒がしくなっていたから行くのを控えている」


「でも、他の人には気安く話しかけることを許してなかったけどわたしのことはっ」

「エリーザがお前を大切な妹分だと言っていたから、俺も無下にはできないと思っていただけだ。エリーザが大切にしているものは俺も大切にしたいと思っている」


「~~~~っ、なんで夢で見たのと違うの! 選ばれるのはわたしだったのに! わたしがお姫様になるはずだったのに!」


 夢? まさかキャロルさんも、私と同じ夢を?


「なにを言っているか理解できないが……エリーザを貶めようとした報いは受けてもらう。覚悟するんだな」


「そん、な……」

 キャロルさんはようやく自分が置かれている状況に気が付いたのか、顔を強張らせ呆然としている。


「はいはい、物騒な話はそこまで! 殿下、他の生徒たちの見世物になってるよ」

 殺気さえ感じさせるダレル様の雰囲気を察し、さっとオスカーがここまでと止めた。

「そうだな」

 ダレル様は気持ちを切り替えたのか頷くと周りを見渡しながら私を抱き寄せる。


「お前たち、聞いてほしい。最近様々な噂が広がっていたようだが、騒がせて悪かった。俺が愛しているのはエリーザただ一人だ。側室を設ける予定などない」


「ダ、ダレル様!?」

 まさかこんな大胆な方法で私がずっと欲しかった言葉をくれるなんて思っていなくて、目を丸くした私にダレル様は優しい笑みを向けてくれた。


「エリーザ、不安にさせて悪かった。俺は出会ってからずっと、お前のことしか見ていない、愛している」

「っ!」


 そのままダレル様は恥ずかしくて真っ赤になった私を連れて中庭を後にしたのだった。


 後でオスカーに聞いた話によると、私たちがいなくなった後、しんと静まり返っていた中庭では残された生徒たちの拍手と冷やかしの口笛が鳴り響いていたらしい。

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