第4話 愛されている記憶
「レティ? 待っていたわ」
優しい声と同時に扉が開いて、ぎゅっと抱きしめられた。嬉しくて両手で抱き締め返す。大きなお腹を気遣って、でも柔らかいお母様の頬に頬を擦りつけた。甘くていい香りがするわ。
「可愛い私の天使、寂しい思いをさせてごめんなさいね」
「我慢できるわ、お母様と可愛い
「あら、レティは弟が欲しいのね」
くすくす笑うお母様に曖昧に頷いた。危ない、つい口を出てしまった。生まれてくるのは公爵家の跡取りとなる弟なの。でも、まだ生まれていない子の性別を当てるなんて、神様でもないと無理だ。気をつけないと。
「ええ、お父様の跡継ぎですもの。妹なら、いっぱい可愛がる」
出来るだけ小賢しくないよう、言葉を選んでおく。誰が聞いているか分からないもの。異端扱いは避けなければならない。貴族令嬢なら兄か弟が必要な理由を知ってるし、妹でも可愛いと付け加えれば誤魔化せる。
「そうね、どっちでもレティに似た賢くて可愛い子が生まれるわ」
お母様は特に疑問に思わなかったみたい。ほっとしながら、お母様に手を貸してベッドまで歩いた。間違っても転んだりしないよう、6歳児に出来ることって少ないのね。もっと支えてあげたいのに。
「レティは私に似て、黒髪だもの。この子はどっちに似るかしら」
私の黒髪はお母様譲り、緑の瞳はお父様にそっくり。お父様の髪色は明るくて金色に近いわ。弟もそうだった。きっと、金髪に青い瞳だけど……。
「顔や目はお母様に、髪色はお父様に似たらいいわ。そうしたら私と同じ。お父様やお母様の姿を半分ずつ出来るもの」
「それは素敵だわ。レティは優しい子ね」
弟と同じ青い目を細めるお母様。線が細くて穏やかな笑みを浮かべている。弟が2歳のときにお母様は流行り病で亡くなられたけれど、元々病弱で体力がなかった。なんとか元気になって、2年後の病を撥ね除けてもらわなくちゃ。
「今日は何をする予定かしら」
お母様はいつも、私の話を優しく聞いてくれる。あまり構えなくてごめんなさいと謝るお母様は、申し訳なさそうに笑った。
ふと……すべてを話してしまいたくなった。未来の記憶を夢で見て、私は王太子殿下に首を刎ねられたこと。怖い夢よ、大丈夫と撫でて欲しい。
「あのっ……日記を始めようと思っています」
王太子に殺されたことを言おうとしたら、喉が詰まった。昨日もそうだったわ。私この人に殺された、そう言おうとしたら声が出なくなって。神様が起こされた奇跡を、他の人に言ってはダメなのね。
「素敵ね。あなたが美しい淑女に成長する頃には、宝物になるでしょう。リタ、私の書棚の一番上の段にある青い背表紙の……それよ。ありがとう」
ばあやが言われた本を手に取る。すごく綺麗な青の表紙がついた本は、鮮やかな黄色い糸で綴じられていた。
「奥様、姿勢を直させていただきます」
ばあやは本を渡して、すぐにクッションの位置を変えた。お母様が長い息を吐いたから、きっと楽になったんだと思う。こういう気が利くところ、ばあやらしい。ばあやが腰を悪くしたのって、何でだったかしら?
「レティ、この本をあげるわ。綺麗だから買ったんだけれど、使わなかったの」
渡されたのは中が白紙の青い本。お母様の瞳と同じ、吸い込まれるような青。お父様の髪と同じ金にも見える黄色の糸。大切にしていたことがよく分かる。まだ6歳の洗練されない文字が並んでいい本ではないわ。顔を上げて何か言おうとしたけれど、お母様の嬉しそうな微笑みを見て呑み込んだ。
愛しくて仕方ないって顔に書いてある。私、お母様の記憶は曖昧だった。優しくて美しい人だと覚えてるけれど、こういう小さな会話をあまり思い出せなくて。お父様は「悲しすぎて記憶を封じたんだろう」と言ってくれた。でも薄情な気がして、お母様のことを話せなくなっていた。
今度こそ胸に焼き付けよう。お母様が長く生きることを前提として、でもたくさんの思い出を今度こそ刻んで生きていこう。大好きなお母様に、私はこんなに愛されていること――絶対に忘れない。
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