魔女と猫とハーブティーと
焼菓子のタネ
プロローグ
閑静な住宅街の中、隠れるようにその店はあった。
道の端に用水路が設けられ、簡易的なガードレールが携帯や幼子に気をとられる歩行者の足を守っている。各住宅を囲むように丁寧に積み上げられたブロック塀は、明るい曇り空の様に広がり、アスファルトと相まると無機質さは増すが、平和で穏やかな日常だ。
その扉は、そんな日常の風景の中に紛れ込むような形で現れる。ブロック塀をつたる蔦の目眩ましを見破ると、高さ一メートルにも満たない古めかしい洋庭風の鉄門がブロック塀に埋め込まれているのが見える。稀に扉に気づく人もいるが、低い鉄門はかがむか覗き込まないと中の様子がわからず、わざわざ近づいて確認しようとする人はいない。長い間、朝と夕にこの鉄門の前を通るほとんどの人が、気づかずに通り過ぎるか「あの扉はなんですか?」と尋ねても、「空地」か「どこかの家の非常口」だと答えるだろう。しかし、この門の先にこそ、その店はある。
門から店先まで続く白い砂利道、そのわきを挟むようにラベンダーのハーブが大きな生垣のように並んでいる。生垣の後ろには木の柵が立ち、小さいけど丁寧に手入れが行き届いた鮮やかな花園が右手に、家庭菜園が左手に広がっていた。青々しく芳香なハーブの香りの効用か、足を踏み入れた者の緊張感を解す。それは、自分で意識していなかった潜在意識の領域まで緩めてくれる。無機質な塀向こうでは霞んでいた陽の光が七色に光を放ち、吸い込む空気も頬に触れる空気は、陽光の熱を帯びて柔らかい羊毛布のようだ。誰もが一瞬で心を穏やかにして、魅了されるだろう。
砂利道の先には、少し色あせた赤い三角屋根と白い壁、木の枠の窓とそこに大きな猫が寝ている店がある。その店を飾るのは、この庭で採れたのであろう花と野菜で、それらはドライフラワーや干し野菜に身を変えて斬新な手法で店を彩っていた。「絵本に出てくるようなお店」というより、「絵本から出てきたお店」だ。
世界中で、この鉄門の中だけは不安も恐怖も悲しみも入り込むことが出来ないように特別な何かで護られているような、そう思わずいられない平安に満ちていて、必死に生きる者ならきっと誰もが一度は訪れて、日ごろの重責を下ろしたくなる。
そんな特別で不思議で魅惑的な店に足を運びたければ、あの鉄門に気づけるようにならないといけないが、それ以外にも奇跡に近いなにかが起きれば、もしかしたら、たどり着くことが出来るのかもしれない。
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