あな悲しや恋のあと

荒川 麻衣

あな悲しや恋のあと

私は狐でございます。今宵語るのは、悲しい恋の物語。

さて、あるところに結婚を誓い合った男と女がおりました。誠実な若者と、おっとりとした花嫁。そんなある日の夜であった。

男が家に帰ると、真っ暗な部屋の中に女がおりました。

「こんな暗い中を」

男がパチリと電気のスイッチを入れますと。

「あにさん」

その声は、かつて男が捨てた恋人、彼氏のものでした。

男が腰を抜かすと、

「お会いしとうございました」と柔らかな声色で申します。

「お前は」

「どうして、こちらに来てくださらないのです。」

古風な芝居のかった物言いは、かつて恋人が役者であったからでありました。

「死、死のうとしたさ!

 で、でも、見つかって」

「あにさん。わたくしは

 ひとりで真っ暗な中、

 首を長くしてお待ち申して

 おりました。

 しかしながらいつまで経っても

 兄さんはいらっしゃらない。

 それどころか、この女を」

と、女の首を絞めようといたします。

「やめろ」

「はい、そうですね。

 わたくしに、身体をすすんで

 貸してくださったのですから」

そういうと、女は、男の首を絞めた。

正確には、女の中にいる男が、誠実に見えた男の首を絞めたのだ。

「な、ぜ」

「この話をいたしますと、あなたさまの花嫁はいたく共感しました。

 そして、二人で首を絞めることにしたのです。

 幸いなことに、この首の絞め方ですと、自ら死んだようになります」

と、言うと、男はがくん、となった。

「首をしめて殺すなら、まずは意識を失わせて、それからあなたを吊るのです。

 しかしながら、私のこの力では足りませぬ」

と、言うと、彼女は、男の身体を恐ろしい力でひょいと持ち上げた。

意識を手放したまま、男はぶらーんと、なすがままになっていた。


さて、この女は、意識を戻すと、静かに旅立って行った。

ゆえにこの話は、私とあなたしか知らないこと。

くれぐれも誠実な男には御用心を。

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あな悲しや恋のあと 荒川 麻衣 @arakawamai

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