エリストーリー
さっしゅ
エリザ ~はじまり~
私は、父を殺した。それを悪いと思っていないのだから、自分のことながら恐ろしく感じる。まぁ、私の場合は環境とか状況が違うのかな。城下町の人たちの様に自由気ままに生きることができない。城に住み、それなりに責任を持っている。私はエリザベート・ステファニー・レナエル・ソフィ・ティ・サージュという噛みそうな長い名前を持っている。父は王様だ。いや、正確には父は王様だった。城での贅沢に溺れ、横暴な法をつくり、残酷な処刑を楽しんだ最低な王。民は王を憎み、貴族たちは自分たちに火の粉がふりかかる前に王を退位させ、処刑に追い込もうとした。そして兄の王太子であるシメオンを王位に据えようとした。父王はその動きに気が付き、どうにかして生き残ろうともがいた。そして手始めに王位継承権を持つ者たちを殺しはじめた。犠牲になったのは兄の王太子シメオンだけでなく、姉の第一王女、第二王女。さらにわずか二歳の弟の第二王子まで殺された。私はちょうど隣国の王妃である叔母様に呼ばれていて、国内にいなかった。兄や姉、弟が殺されているなんて考えもしないから、予定通り国に帰ろうとすると叔母さまに止められた。
「待って!貴女・・・死ぬわよ。」
とても剣幕な表情で引き止められたから、異常な状態だということは感じたが何を言っているのかは分からなかった。一体何を言っているのかと。言われるがまま叔母さまについていくと、その部屋には私の国の軍服を着た二十代後半くらいの男の人がいた。その人の服はボロボロで、さっきまで戦場にいたかのように見えた。私を見るなり、泣き出し膝をついた。くしゃくしゃの顔で嗚咽にまじって微かに言葉を発する。
「王女様・・・ご無事で何よりでございます」
何かを伝えようとしているが、言葉がつまりそれ以上言葉が出ないようだった。叔母さまが見かねて代わりに話し出した。
「貴女の国・・・サージュ王国の王が・・・継承者殺しを始めたのよ。貴女の兄、姉、弟はもういないわ。」
叔母さまは、口から出てくる言葉とは対照的に淡々と話している。一体何を言っているのか、理解が追い付かず、頭が真っ白になった。表情ひとつ変えずに話し続ける叔母さまをボーっと見ていた。
「・・・しっかりして頂戴。貴女は考えなければいけないのよ。」
気が付くと、ボーっと見ていた叔母さまの顔は威厳に満ちていた。こんな状況で何故この態度でいられるのか。多くの人の様に泣いたり、絶句したりしないのはやはり王家の者としての責任があるからなの?なんて考えてみたけれど、私には分からない。こんな、意味が分からない状況で冷静でいられない。こんな・・・冷血じゃない。
「王女様・・・もう貴女様しかいないのです。国の民を救えるのは・・・」
横から消え入りそうな声で男は言う。私の気持ちはお構いなしで、早く決断をしろと迫ってくる。たった数秒のうちに得た情報で、しかも人の死に関わるような受け入れがたいものだというのに。
「・・・待ってください。まず貴方は誰ですか?」
男は涙を拭き、立ち上がってしっかりと敬礼をした。その目には強い光のようなものが感じられ、先ほどまで泣いて言葉も出せなかった人物と同じだとは思えないほどだ。
「サージュ王国近衛騎士団、副団長のティートです。」
「副団長・・・どうして貴方がここにいるの?」
尋ねると。やや言いにくそうに視線を外した。そして下を向いたまま答えだした。
「・・・王妃様が、国外へ出して下さったのです。陛下が王子様や王女様たちを手に掛け、生き残っている王女様も危ないと。王妃様は私に・・・パルティ王国へ行っているエリザベート王女様を、お守りするようにと命令されたのです。」
静かにはっきりとティートは言った。先ほどまで取り乱していたのが嘘のようだった。
「・・・お父様が、自分の子を
殺した?私も命が危ない?」
改めて現実を突きつけられ、頭を強く殴られた感じがした。
「信じられないのは分かります。ですが、事実なのです。私は見ました。陛下のバルコニーから突然人が落ちてくるところを。その瞬間周りにいた者は悲鳴をあげ、すかさず落ちてきた人物を確認するとシメオン王子様でした。脈を調べましたが・・・即死で。」
「お父様が突き落としたというの?」
信じられなかった。確かにお父様は冷酷で、良い王だとは言えなかったが子どもを殺すまで狂っているとは思えなかった。そんな私を前にして、ティートは言いずらそうに口を開いた。
「王子様の生死を確認した後、陛下が笑いながらバルコニーから見下ろしていたのです。・・・そのすぐ後に城のあちこちから悲鳴が響き渡りました。」
「・・・あちこちからって」
「昨日でサージュの王位継承者はエリザベートを除いて、殺されたのよ。・・・逆らった者たちも一緒にね。」
なかなか話を飲み込まない私に現実を突きつける叔母さま。私は家族の死をどうやって受け止めれば良いのか分からず、何も言えなかった。そしてハッと気が付いた。
「お、お母様は?生きているの?」
ティートにすがるように聞くと、叔母さまが答えてくれた。
「サージュに潜り込ませている騎士からの報告で、お姉さま・・・サージュ王妃は軟禁状態らしいわ。」
とりあえず生き延びていることに安心した。が、すかさずに叔母さまが
「安心している場合じゃないわよ。エリザベート・・・貴女これからどうするつもり?」
叔母さまはこちらをじっと見て、返事を待っていた。
「・・・どうしたらいいのでしょうか。」
父に命を狙われ、帰る場所もない。突然の出来事にやっと理解するのが精いっぱいで、これからのことなんて考えられなかった。だが叔母さまが望んでいた答えではなかったようで、軽蔑したような視線が刺さる。そんな中、ティートが話し出した。
「そのことなのですが・・・」
服のポケットから、しわしわになっている手紙を取り出した。
「王妃様がザブルク帝国へ助けを求めるようにとおっしゃっていました。これは皇帝に渡すようにと。」
手紙を受け取り、確認すると『親愛なるお父様』と書かれていてその字は確かにお母様の字だった。
「王妃様は既に皇帝に知らせてあると。・・・サージュ国王がいつ襲ってくるか分かりません。早くザブルクへ参りましょう。」
今はまだ朝。急げば日が落ちる前にはここの隣国のザブルク帝国へ着くだろう。それに早めに行動することで・・・お父様からの襲撃をかわすことが出来るかもしれない。
「だけど、どうやってザブルクまで行くの?貴方一人じゃ無理でしょう。」
隣国とはいえ、ここからザブルクへ行くには険しい山を越えていかなければいけない。しかも護衛をしながら、山道をろくに上ったことのない私を連れてたどり着けるとは到底思えない。
「いえ、一人ではありません。私の他にあと二人の騎士がおります。」
「その二人もサージュの近衛騎士なの?」
「はい、私と一緒にサージュから脱出してきた者たちです。」
ティートと話し込んでいると、叔母さまがいきなり私の手を引っ張った。
「今すぐ出なければいけないなら、早く支度をしましょう。」
相変わらずの無表情で一体何を考えているのか分からなかったが、おそらく早く決断しない私に痺れを切らしたのだろう。引っ張られて隣の部屋へ行くと、着替えの服が用意されていた。今着ているサージュ風の服ではなく、ザブルク風の服で、フリルや宝石がたくさんついている豪華なものだった。私が部屋の中を確認しているとメイドが三人、静かに入って来た。
「服を着替えさせて。髪も化粧も何もかもザブルク風にして頂戴。」
叔母さまがそう言うとメイドたちが素早く私を着替えさせ始めた。動きは速かったが、決して雑ではない。コルセットも的確にちょうどいいところまで締めてくる。私はマネキンのように突っ立っていた。
「ザブルクまでは山を越えなければいけないわ。その途中で何があるか分からない。サージュの王女としてじゃなく、ザブルクの公爵の令嬢として振舞いなさい。」
叔母さまは戸惑っている私につらつらと説明をしていく。私はメイドの言うままに着替えをすませ、鏡の前に立つと様変わりした自分の姿が映っていた。そこにはたくさんの宝石を身につけ、豪華なドレスに身を包んだ女がいた。いかにも大国の公爵令嬢であるという感じだ。
「これで旅人や町人くらいは騙せるでしょう。・・・いい?今は生き延びることに集中するのよ。利用できるものは、利用しなさい。」
そのとき叔母さまの表情が心なしか曇った気がした。だがすぐにいつもの調子に戻った。
「さぁ、副団長のところに行き、早く出発しなさい。」
別れの言葉はそれだけだった。何の温かみもなく、機械のようだ。だがここまで面倒を見てもらって、不満に思うのは間違いだろう。かくまってもらい、馬車まで用意してくれたのだ。礼は言わなければいけない。
「・・・ありがとうございます。」
色々な意味を含めた礼を言い、私は急ぎ足でその部屋を立ち去った。ティートのいる隣の部屋へ行くと騎士が三人に増えていた。ティートの他に茶髪にヘーゼル色の目を持つ男。色白ですらっとしている。もう一人は金髪にグリーンの目の女。騎士としての女性は珍しい。その三人を見て、ただ立ち尽くしていると三人がひざまずく。
「これより王女様をお守りいたします。私の隣の者は騎士ジャン、その隣は女騎士ダリダでございます。」
ティートが他の二人を紹介していくが、先ほどまでとはまるで雰囲気が違っていた。主従関係をさらに意識した態度だ。そして三人とも私が言葉をかけるのを待っていた。この流れでいくと、私も主人らしく声をかけるのが良いのだろう。だが、私はそんな経験は一度もない。ましてや自分に護衛が付いたこともない。
「お願いしますね。移動中は私のことを王女やエリザベートとは呼ばないように。ザブルクの公爵令嬢として扱って。」
何を言って良いのか分からずに、これから必要な最低限のことしか言えなかった。自分がふがいなくて何も言えずにいると
「かしこまりました。」
ティートがそう言うと三人とも右手を左胸にあてて真剣な表情でこちらを見た。その瞬間、本当に私がこの三人の主人なのだと実感した。これから騎士たちに守られ、私もまた主人としての義務を果たさなければいけないのだと。
「・・・出発しましょう。ザブルクで皇帝陛下が待っているわ。」
私たちは四人でパルティを出た。険しい山の、柵のない崖の道を馬車で行く。慎重に慎重に馬を操り、進んでいた。馬のたずなを握っているのはティート、馬車の後ろに掴り見張りをしているのがジャン、そしてダリダは私の目の前に座っている。私たちは特に会話もせず、ただ馬車に揺られていた。それ自体は苦痛ではなかったが、皇帝にこれからのことを相談しに行かなければいけないと考えると気が重くなった。そんな気分を変えたいがために、ダリダに話しかけてみた。
「ダリダ、貴女の本名はなんていうの?」
サージュの近衛騎士だったのだからそれなりの家の者なのは分かっているが、ダリダという娘を持つ貴族は思い当たらない。
「私ですか?ダリダ・オルガでございます。」
「オルガ?聞かない家名ね、他国の出身なの?」
そう聞くと、少しこわばった顔つきになり下を向きながら答えた。
「はい、パルティの出です。」
聞いたことには答えたが、これ以上聞かれたくないというオーラを出していた。護衛してもらう以上、出来るだけ秘密はないようにしておきたいが今はまだ無理そうだ。私はそれ以上何も聞かず、ザブルクまで静かに外の景色を見ていた。
野原を抜け、日が沈みかけているころにザブルクへ着いた。賊の襲撃に遭わずに、たどり着けたのは騎士たちが安全な道を選んでくれたおかげだろう。門をくぐり、城下町に入ると何やらとても賑わっていた。子どもたちははしゃぎまわり、大人たちは忙しそうに何かの準備をしている。町中に色とりどりのリボンや花が飾ってあり、ザブルクの国旗があちこになびいていた。
「何かのお祭りでもあるのかしら。」
町の賑やかな雰囲気を見て楽しみつつ、何のお祭りなのか気になった。ダリダはただ窓の外を眺めているだけで何も言わない。そんな城下町の丘の上に城は建っている。馬車が宮殿の門をくぐるとすぐにザブルクの騎士たちがぞろぞろと出てきた。そして素早く馬車の出入口から宮殿の入り口まで整列した。その動きは厳しく鍛えられた帝国の騎士という感じだ。関心していると、宮殿の入り口から年配の執事らしき人が落ち着いた様子で歩いてきて、馬車の扉を開ける。
「お待ちしておりました、エリザベート様。」
そう言って私に手を差し伸べてきた。その手をとり、馬車を降りる。執事はダリダにも手を差し伸べたが、ダリダは不機嫌な顔で払いのけ一人で降りた。ダリダは女性だが、その前に騎士だ。か弱い女性扱いされるのはプライドが許さないのだろう。手を払いのけられた執事は特に気にすることもなく私のほうに向きなおった。
「それでは皇帝陛下の執務室までご案内いたします。」
そういうと入り口のほうに歩いて行った。私は騎士三人を連れ、整列している騎士たちの前を通り宮殿に入った。その中はきらびやかな装飾で埋め尽くされていた。壁には天使などの絵が描いてあり、柱には繊細な彫刻が施されている。見とれていると執事はすでに遠くを歩いていた。急いでついていくと重厚な扉の前で立ち止まっていた。
「こちらです。陛下がお待ちですよ。」
そう言うとゆっくりと扉を開けた。するとまた扉が向かいにある部屋があった。不思議に思っていると執事が答えだした。
「陛下の安全と公務の邪魔にならないように、廊下から直接入れないようにしているのです。あの扉の向こうが執務室になります。」
丁寧に説明すると、扉の目の前に行きノックをした。
「陛下、エリザベート様がお見えになられています。よろしいでしょうか。」
すると静かに扉が開いた。部屋の中には壁際に数人のメイドが控えていて、中央の机にむかっている皇帝がいた。前に会った時よりだいぶしわが増え、表情が厳しい。執事が私を皇帝の前に誘導していく。後ろを振り返ると、騎士三人は先ほどの一つ目の部屋のほうで待機しているのが見えた。ドアを開けてくれたメイドもその後ろにいる。気が付けばもう皇帝の目の前だった。じっとこちらを皇帝が見てくる。私は失礼のないように慎重にお辞儀、そして挨拶をした。
「皇帝陛下、お久しぶりでございます。エリザベートです。」
下を向きながら皇帝陛下から言葉がかかるのを待つ。すると低く威厳のある口調で皇帝が言った。
「長旅ご苦労だった。エリザベートも今日は何が何だか分からなく、混乱しただろう。・・・私も同じだ。サージュへ送っていた使臣が突然帰ってきて事の次第を聞いた。」
頭を上げると、表情は威厳に満ちていたが目から涙を流していた。
「・・・私はとんでもない男に娘を嫁がせてしまった。だが悲しんでいる場合ではないな。」
涙を手でぬぐい、厳しい表情になる皇帝。
「すぐにこの話をするのは酷だろうが、そうも言っていられない。・・・今の時点でエリザベートがサージュで唯一の王位継承権を持ち、その義務を果たさなければいけない。それは分かっているだろう。」
淡々と話す姿は、先ほどまで悲しんでいたという気配はまったく感じられない。
「はい、サージュの王子、王女で生き残ったのは私だけです。・・・父を処刑し、国に安寧をもたらさなければいけないことも理解しております。」
「実はもう一つ、エリザベートが果たさなければいけない義務があるんだ。」
もう一つ?私にそんなに何かあっただろうか。
「前からサージュ王妃である私の娘と決めていたのだ。エリザベートに皇位を譲ると。」
「・・・皇位?」
「そうだ。もう私は八十歳を超えた。いつ倒れてもおかしくない。その前に皇位を譲り、後は余生を楽しもうと思っていたのだ。まぁ、こんな形での退位になるとは思っていなかったが。」
「お待ちください!」
皇帝の話を遮り、大声をあげてしまった。本来ならこんなことはしてはいけないし、しない。だが話が次々と進み、よく分からなくなっていた。
「わ、私が次に皇位を継ぐのですか?・・・こんな、小娘に帝国を治められるとお思いですか?」
「私も大臣たちも、有力な貴族たちも賛成してのことだ。それにこの状況でエリザベートにとっても良いことだと思うが。」
そうだ。その通り。皇帝の後を継ぎ、女帝となればサージュにいるお母様を助けるなんて簡単なこと。今の私では何の力もなく、何もできない。だがほとんどの者が賛成しているのも不自然だ。私にとって都合が良すぎる。
「・・・なぜ私なのですか。」
「他に継承者がいない。娘たちは二人とも王妃になっている。そんな状況では孫を皇位に据えるしかない。・・・エリザベートを選んだのは、娘の願いがあったというのもある。」
「お母様の願い?」
「そうだ。カテリーナはエリザベートが女帝になることを望んでいた。・・・覚えがあるはずだ。すでに帝王教育は終わっていると報告を受けている。」
「帝王教育?私がですか?」
「ザブルクの歴史、政治学、君主としての振舞い方。すべて教え込まれているはずだ。それと、十六歳まで自由に本も読めなかったはずだ。」
聞いていると身に覚えがあるものだった。だが王族は皆そういうものだと思っていたし、お母様もそういっていた。
「カテリーナはお前を継承者としてとても押してきた。お前が幼いころから聡明で女帝に向いているとずっと手紙で言っていた。もちろん私も王太子のシメオンを継承者として選ぶつもりはなかった。そうなるとザブルクが属国として扱われかねないからな。」
「最終的に私を選んだ理由は何ですか?」
「・・・実はお前の他にも途中までだが帝王教育を施していたんだ。だが誰もうまくいかなくてな。最終的にこのザブルク帝国の皇帝たる人物になれる可能性が一番高かったのは、エリザベート一人だったんだ。」
ただ淡々と話をする皇帝に私は何も言えなかった。こんな状況じゃ受け入れるしかない。もし断れば、後ろ盾を完全になくすことになりサージュへの侵攻は不可能になるだろう。
「・・・受け入れがたいとは思うが、皇位継承とはそのようなものだ。継いでからだんだんと慣れていく。それにもう城下町では私の退位式、新皇帝の戴冠式の祝いの準備が進んでいる。」
「・・・!」
城下町のあの華やかな装飾はそのためだったのか。
「エリザベートにはもう一つしか道はない。・・・さあ、返事を貰おうか。」
冷静な口調、落ち着き払った態度。さすが皇帝としてこの国を長年治めてきただけはある。私はその威圧にくじけそうになっていた。この大きな帝国の女帝になる、そんな一大決心をものの数十分で決めろというのだ。そんなおかしなことがあるか?状況が状況だからか?そんなことを考えている間も皇帝は静かにこちらを見ている。考えてみれば皇帝には私しか選択肢はないのか。こんな小娘に皇位を譲らなければいけないなんて不安じゃないのだろうか。・・・だが悩んでいてもどうしようもない、こういうしかないのだ。
「はい、謹んでお受けいたします。」
そこからは怒涛の日々だった。皇位継承が三日後ということで、次の日から有力な貴族たちに挨拶を受けなければいけなかったり、即位式の段取りを覚えなければいけなかったり。皇位継承の前日には与えられた部屋でぐったりしていると、突然宰相が訪ねてきた。
「お休みのところ失礼いたします。エリザベート様の護衛兼執事を連れてまいりました。トークでございます。」
そう言うと宰相の後ろから、執事の服をビシッと着た十代後半の青年が出てきた。落ち着いた物腰で、微笑を浮かべている。
「執事で護衛?」
「はい、エリザベート様は次期女帝。お命を狙われることも増えるでしょう。護衛が必要かと思いまして。」
「トークは執事の仕事も出来るのですか?」
トークに聞くと右手を左胸にそえ、深々とお辞儀をしながら答えた。
「はい。教養は幼いころから教え込まれておりますので、必ずやお役に立ってみせます。」
「皇帝陛下が直々にエリザベート様のために選ばれた者です。身元は保証いたします。」
陛下が与えてくれた者か。断る理由もないしな。
「よろしくお願いしますね、トーク。」
「はい、身を粉にしてお仕えさせていただきます。」
「では私はこれで失礼いたします。」
宰相が部屋から出て行き、二人だけになるとトークはせっせと何かの準備を始めた。
「トーク?何をしているの?」
「エリザベート様の仮眠の準備をしております。」
「仮眠?」
「はい。エリザベート様はとてもお疲れのようですし、今夜は王女として皇女としての最後の晩餐ですから。」
最後の晩餐・・・。今でも十分責務は重いが、明日にはさらに責務が課されるのか。
「・・・エリザベート様は幼いころから大変聡明な方だと聞いています。今こんなことを聞くのはどうかと思うのですが、自由になりたいと考えたことはないのですか?」
そんなこと・・・あるに決まっている。だが、どうあがいても私は逃げられない。責務が嫌だ、お付きの者が嫌だ、城から出たい、はしゃいでみたい・・・いくらでも言える。考えることは自由だ。誰にも妨げられることはないが、それが実現することは絶対にない。・・・不自由なことだけではないことも理解はしている。私は贅沢な暮らしをしているし、多くの人から尊敬されている。そう頭では理解している。頭では。本音は、責務から逃げたいし、権力なんて欲しくない。
「・・・どうかしらね。」
明日には女帝になる者が、自由が欲しいなんて言ってはいけない。弱みを見せてはいけない。
「・・・」
トークは何かを言おうと口を開いたが、厳しい表情になり黙った。
「あとは時間が過ぎるのを待つだけよ。・・・ああ、仮眠の準備が出来たのね。時間になったら起こしてちょうだい。」
トークは重そうな足を扉の前まで進め、静かに部屋から出ていった。重厚な扉が閉まる音が、やけにうるさく感じた。
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