「夢見る先は」
@tolua
第1話「邂逅」
少年は、夢を見ていた。
AD1100年。汚染された大地から逃れるため、人々が天空へと移り住んだ時代。
美しい空の中に、大小さまざまな島が浮かんでいる。
その中の一つ、曙光都市・エルジオンのエアポート。
人工的な地面の上に、赤いジャケットを着た長髪の少女が倒れている。
不思議な夢だ、と少年は思う。
自分はその場にはおらず、まるで、固定カメラで撮影された鮮明な映像を見ているような気分だった。おまけに、一切の音が聞こえない。
と、倒れている少女のもとに、白制服の少女が二人、駆けつけてくる。
一人はおとなしそうな印象を受けるショートヘアの少女。そして、もう一人はロングヘアで少し気の強そうな少女だ。
ロングヘアの方をよく知っている少年は、首を傾げる。
「(クーア……?こんな所で何を……?)」
二人は倒れている少女の傍に屈み、心配そうに様子を診る。
ショートヘアの方が何か言う。やはり、声は聞こえない。
少年の幼馴染みはうなずき、安堵した様子で立ち上がる。
そこへ、見知らぬ男が駆けてきた。
赤と青を基調とした、この時代ではあまり見かけない珍しい服装の男だった。腰に大剣を吊るし、齢は少年といくつも変わらないように見える。
男は一瞬、走る速度を緩め、苦悶の表情で腰の大剣とは異なる剣を抜いた。
そしてそのまま、幼馴染みへと切りかかる。
少年は絶叫した。
「やめろーーーっ!!!」
夢はそこで終わった。
× × ×
AD1100年。エルジオン・ガンマ区画。
商業施設が建ち並ぶ街中を、アルドは機械猫を連れて、とある場所へ向かっていた。
「連れてきたぞ」
前方、落ち着かない様子で歩き回っていた女の子が、はっと振り返る。
途端に表情が明るく変わり、女の子は目にも止まらぬ速さで、アルドが連れてきた猫に駆け寄った。
「キカコ!よかったぁ」
女の子は猫を抱きしめ、いとおしそうに頬ずりをする。猫は嫌がるでもなく、呑気な鳴き声を返した。
その様子に、アルドは安堵の笑みを浮かべる。
「えっと、合ってたみたいだな」
「うん!ありがとう、お兄ちゃん!」
女の子は猫を抱きしめたまま、輝かしい笑顔を見せた。
この女の子は機械猫(キカコという名前らしい)の飼い主で、迷子になったキカコを捜していた。そこへ偶然通りかかったアルドは、捜索に夢中になるあまり周りが見えておらず、どうにも危なっかしい様子の女の子を見かねて、代わりにキカコを捜してきた、というわけだ。
実は、猫は廃道ルート99にまで行っており、助け出す際、少々戦闘になったりしたのだが、そんな苦労はこの笑顔を見れば吹き飛んでしまった。
「(よかったな)」と、アルドは心から思う。
「じゃあおうちに帰ろっか、キカコ」
「ニャー」仲良く家に帰っていく女の子と猫。
アルドが見送っていた、その時だった。
背後から小さな物体が飛来し、アルドの後頭部を直撃。
ゴッと音がして物体は地に落ち、アルドは前に倒れた。
「やった、のか……?」と、誰かが小さく呟く。
数秒後、アルドは骨にくるような痛みに顔をしかめ、後頭部を片手で押さえつつ、なんとか起き上がる。
「いたた……。なんだ?」
うしろを見ると、恐る恐る近づいてきていた少年が、びくりと足を止めた。
IDAスクールの制服を着た、アルドと同じくらいの齢の少年だ。顔に見覚えはない。いかにも気弱そうな少年だが、この子が犯人なのだろうか?
アルドは近くに落ちていた携帯端末を拾い上げる。
「これ投げたの、君か?」
少年はその場でがくがくと震えるばかりで、答えはない。
アルドは鈍く続く痛みに耐えて立ち上がり、少年に端末を差し出した。
「こんなの投げたら危ないだろ?……それとも、何か事情があるのか?」
背後から他人の後頭部を狙って物を投げつける事情って?とは、アルドは考えない。
「そんな……。今のは絶対、倒したと思ったのに……」
「ん?」
聞こえてきた物騒な言葉に、アルドは聞き間違いか?と首を傾げる。
が、聞き間違いではない。
少年は覚悟を決めた。数歩下がって距離をとり、びしっとアルドを指差した(…本人
はそのつもりだったが、実際には人差し指の先が目に見えるほど震えている)。
「こっ、この、人殺し!」
声まで震え、裏返る。
アルドは驚いた。通りがかりの人びとも、何事かと足を止めて振り向く。
「なんだよ、突然」
「僕は見たんだ!お前がクーアを殺す。
だから、僕が、お前を倒さなくちゃいけないんだっ!」
一気に言い切って、少年はアルドに向かって突進した。何の策もない、捨て身のタックル。
アルドはそれをあっさり回避した。不意を突かれたとはいえ、ただの直線運動。勢いもさほどではなく、今までいくつもの苦難をしのいできたアルドにとって、避けることは造作もない。
目標を失った少年は踏みとどまることができず、地面に突っ込むようにして倒れた。
「…………」
沈黙。少年は倒れたまま、身じろぎ一つしない。
遠巻きに見ていた観衆は、終わったとばかりに散っていった。
アルドはにわかに、避けてしまった罪悪感に苛まれた。
「……だ、大丈夫か?」
少年はこぶしを握り、ゆっくりと体を起こす。
「う……」
追撃がくるか!?と、思わず身構えるアルド。しかし。
「どうせ、どうせ僕なんか……」
少年はうずくまり、泣き出してしまった。
アルドは困惑した。泣きじゃくる少年を見下ろし、少し考える。
「(人殺し、って言ってたな。なんだか、ただ事じゃない気がするぞ)」
となれば、見過ごすことはできない。
アルドは少年の傍らに屈んで、背中に手を添えた。
「もしよければ、詳しく話を聞かせてくれないか?何か力になれるかもしれない」
少年はしくしくと泣きながら、少し驚いた。
「(怒るどころか、話を聞こうとしてくれている……?
いやいや、そんないい人、いるわけない。
でも、僕一人で抱え込んだところで、解決しないのは目に見えてるし……)」
しばしの葛藤の末、少年は話してみることにした。
「……今朝、夢を見たんだ」
× × ×
少年は、幼い頃からたびたび予知夢を見る。
今朝、久しぶりに見た予知夢は、見知らぬ男が少年の幼馴染みに向かって剣で切りかかる、という内容だった。
うろたえた少年は、放課後になってからあてもなく街を歩いていたところ、偶然、夢で見た男にそっくりのアルドを見つけた。夢の男だと思い込んだ少年は、居ても立ってもいられず、手近にあった端末を投げつけた、というわけだ。
少年の話を聞いたアルドは、内容はどうあれ、少年の言い分を理解した。
「つまり、その夢が現実になるかもしれないってことなんだな?」
「……信じてくれるの?」少年は目を丸くする。
「えっ?いや、まぁ……。疑う理由もないしな」
「……そんなこと言ってくれる人、初めてだよ」
少年の寂しげな笑みに、アルドは何かを感じたが、口には出さなかった。
「その夢は、どれくらいの頻度で見るんだ?」
「うーん、どれくらいとは言えないけど、見る方が珍しいよ。普通の夢も見るし、数
としては普通の方が多いと思う」
「内容は?」
「いいことから悪いことまでいろいろ、かな。……だけど、今までは誰かが怪我する
とか、そういう危険な夢を見たことはなかったんだ」
「今まで見た夢は、どれも現実になってるんだな?」
「うん。普通の夢でなければ、二、三日のうちに必ず正夢になる」
「普通の夢とそうじゃない夢を見分けることはできないのか?」
「……ごめん。そこまでは」
「そうか。じゃあ、問題は、どうやってその夢を回避するか、だよな」
「そうなんだ。今まで夢が現実になるのを回避しようなんて思わなかったから、どう
していいか、わからなくて……」
正直、アルドとしては、全く身に覚えがない。
かと言って、少年の言うことを嘘だと言える証拠もない。
あるとすれば少年が見た夢が、『普通の夢』である可能性。だが、そこにすがって取り返しのつかないことにはしたくない。
「(どうしよう……)」と、アルドが困っていると、向こうから見知った人物が歩いてきた。
赤いジャケットと、腰まである長髪が特徴的な旅の仲間・エイミである。エイミの方もアルドに気づいたようだ。
「アルドじゃない。どうしたの?こんな所で、難しい顔して」
「エイミ」
アルドは少年の方を向き、
「オレの仲間なんだ。さっきのこと、話してもいいか?」
「う、うん」訊かれた少年は、ついうなずいてしまった。
「実は……」
× × ×
アルドから事情を聞いたエイミは、釈然としない様子でうなずく。
「事情はわかったわ。アルドがそんなことするとは思えないけど……。
それで、あなた、えーっと……」
「トルテだよ」と、少年・トルテは名乗る。
「トルテはどうするの?」
「どうするって?」
「何か策はないの?」
訊かれ、トルテはちらっと上目遣いでアルドを見る。
「…………」何かを期待するような目。
「…………」意を察したアルドは、難しい顔で腕組みをする。
「オレも、おとなしくやられるわけにはいかないぞ?」
「だよね……」
トルテ自身も、本当にアルドを倒そうと思っていたわけではない。
本来、虫も殺せないような小心者なのだ。衝動的に端末を投げたことに一番驚いているのは、自分だったりする。
「その子に直接言ったらどうだ?」
「っむ、無理だよ」
「どうして?」アルドは純粋に尋ねる。
「そ、それは、だって、変な奴って思われたくないし……」
ごにょごにょ言いながら、うつむくトルテ。
なんとなく事情を察したエイミは、トルテと少女の関係を少し聞き出してみることにする。
「ねぇ、トルテ。その幼馴染みの子って、いつ出会ったの?」
「え?えっと、IDAスクールに入学してすぐ、くらいかな」
× ×
トルテと少女・クーアが出会ったのは、二人がIDAスクールの初等部に入学して間もなくの頃だった。
幼少期から気が弱く、人見知りだったトルテは、なかなか学校という場所に馴染むことができなかった。授業の成績もよくないうえ、同級生ともうまく話せずに、人気のない校舎の隅っこでひっそり泣くような子どもだった。
ある日、トルテはクラスで一人だけ課題がクリアできずに、放課後、居残りをする羽目になった。果てしなく不器用なトルテは、並の努力では他人と同じ出来にはならない。しかし、本人はそれに気づかず、なぜ自分だけができないのかと情けなくなるばかり。できない原因もわからないから、努力のしようもない。泣きじゃくるトルテに
教師は呆れ果て、ついには教室を出ていってしまった。
それから少しして、誰かが教室に入ってくる。
誰かが入ってきたことに気づいたトルテは、泣き声をこらえ、相手が出ていくのをじっと待つ。
が、その期待に反して、足音はトルテの机の横で止まった。
「どうしたの?」
トルテは顔を上げ、涙で滲んだ視界で少女を捉える。
「(えっと、たしか、同じクラスの……)」
「どうして泣いてるの?」
重ねて、幼いクーアは問いかける。トルテはぼんやりとクーアを見るばかりで答えない。ただでさえ会話に不慣れなうえに、先程まで泣きじゃくっていたため変な声を出してしまいそうで、喋ることができないのだ。
クーアはトルテの前に広げられた課題に目を落とす。
「これができないの?」
「……うん」かろうじて声が出た。トルテは涙を拭い、大きく息を吸う。
「僕だけうまくいかなくって……。何回してもだめで……。先生も、出て行っちゃっ
た……」
口に出すと、改めて情けない気持ちでいっぱいになる。トルテの目に、再び涙がこみ上げた。
「やってみせてくれる?」
「……え?」思いがけない返答に、トルテは驚く。
「できないといけないんでしょ?だったら、私も協力する」
クーアは微笑み、トルテに向かって手を差し出した。
「一緒に頑張ろう?」
それが、クーアとの出会いだった。
× ×
「彼女は、とても正義感が強い子で。困ってる人を放っておけないんだ。
練習にも根気強く付き合ってくれて、そのおかげで進級できたし。……本当に、数
えきれないくらい救われてるんだよ」
「いい子だな」と、感心した様子のアルド。
エイミはえ?それだけ?と、アルドを見る。
果たしてトルテのクーアに対する感情を、アルドが察しているのか否か、エイミにはわからない。まぁ、それは今、最重要事項というわけでは全然ないのだが。
「(まぁ、いいか)」と、エイミは心の中でため息を吐き、話をまとめる。
「だから、今回の夢が現実にならないようにしたいのよね?」
「うん。そうなんだけど……」
トルテは急に元気をなくし、うつむく。
「彼女、IDEAに入ってるんだ。今じゃ戦闘要員としても活躍してるって聞くし、
よく考えたら、僕の助けなんかいらないんじゃないかって……」
ただでさえ近くない存在だったのに、クーアがIDEAに入ったことで、トルテはより、彼女に対して距離を感じるようになってしまった。
その劣等感は、自分が一方的に感じているだけだと自覚している。
けれど、それを努力で変えようと思えるほど、トルテは前向きではなかった。
「そもそも、あれが予知夢じゃない可能性だってあるし……」
空回った行動をして、彼女が眉をひそめでもしたら、とてもじゃないが耐えられる気がしない。
ネガティブモードに突入してしまったトルテを見て、エイミは考え、少し話を変えてみる。
「その子は今、どこにいるの?」
「……多分、まだIDAスクールに。IDEAの活動中じゃないかな?」
「その子の名前を訊いてもいいか?」
「クーアっていう女の子だよ」
「IDEAには知り合いがいるけど、クーアって名前の子は知らないな」
と、首を振り、アルドはじっとトルテを見つめる。
「……でもさ、トルテ。本当に、何もしなくていいのか?」
「だって、僕にできることなんて……」
「何もしなくて、後悔しないのか?」
黙り込むトルテ。しかし、いくら目を逸らしても、頭は夢のことを考えてしまう。
もし、あれが本当に予知夢だったら?
夢で見たのは、アルドがクーアに切りかかるところまで。その後どうなったのかはわからない。けれど、もし、あれが本当になったら……。
クーアが、怪我をしたら。この世からいなくなってしまったら。
「(後悔しない、と言ったら嘘になる。……いや、僕はきっと、後悔し続ける)」
トルテの表情が変化する。
「(弱気になってる場合じゃない。考えるんだ。夢を現実にしないために、できるこ
とは何か)」
これしかない、と意を決してトルテはアルドを見る。
「アルド、君を見張らせてもらえないかな?」
「えっ、見張る!?」思わぬ言葉にアルドはたじろぐ。
「僕に思いつくのはそのくらいなんだ。君がクーアに近づかないように見張る。二人
が近づきそうになったら、全力で阻止するから!」
言葉だけ聞くととんだ邪魔者だが、トルテは必死だった。
「三日でいい。協力してほしい。お願いだ!」
トルテの真剣な様子にアルドは気圧され、曖昧にうなずく。
「え、うん、まぁ、それでトルテの気が済むならいいけど……」
「いいの?」と、エイミ。
「うーん……」と、アルドは困る。
特にやましいことはないけれども、三日間も他人の監視下にあるというのは、想像するだけで気疲れしそうだ。
しかし、代わりに出せる案も…と思っていたところで、ひらめいた。
「あ、そうだ。オレが、しばらくここから離れればいいんじゃないか?」
見張られる必要はない。エルジオン、もっといえばこの時代から離れてしまえば、いくらなんでもクーアと出会うことはないだろう。
出会わなければ剣を向けるような事態にもなるまい。
名案、と思っての提案だったが、トルテは不安げな顔をする。
「でも……」
「心配しなくても、アルドは嘘つかないわよ」
「(この人は、僕の心が読めるんじゃないだろうか)」と、トルテは不思議な気分でエイミを見た。
「さすがにずっとってわけにはいかないけど。
夢で見た場所は、たしかエアポートだったよな?」
「うん」
「じゃあ、二、三日エアポートには近づかない。もちろん、エルジオンやIDAスク
ールにも行かないよ。それでいいか?」
「でも、それじゃあ、アルドはどこに行くの?」
「えっ?いや、まぁ、それは、いろいろ……」
まさか、本来は800年前の世界の人だと言うわけにもいかず、アルドは慌てる。
「こう見えてもアルドはいろんなところに伝手があってね。エルジオン以外の場所に
も行けるのよ」と、エイミのフォローも怪しい。
焦るアルドとエイミには気づかず、トルテは考える。
正直、まだアルドのことを完全に信用しているわけではない。出会ったばかりでもあるし、何より、夢の中でとはいえ、クーアに剣を向けた人物だ。
しかし、偶然に出会い、実際に接したアルドは、とてもじゃないが人を殺すようには見えない。油断はならないと思いつつ、もう一方であれが本当にただの夢だったらいいのに、とも思う。
あるいは、夢の男がアルドでなければ、とも。
もちろん、この時代にあの格好、あそこまで似通った人物が二人いるというのは現実的ではない。
それでも。予知夢のことは、誰に話しても笑いものにされるか、避けられるか。そんな幼少期を送ってきたトルテにとって、最初から真面目に聞いてくれたアルドは、信じてみたいと思える人物だった。
「うん」と、うなずくトルテ。アルドもうなずき返し、
「じゃあ、オレはここで」と、その場をあとにする。
アルドのうしろ姿を見送りつつ、エイミはトルテを横目で見る。
「やっぱり、心配?」
「…………」図星だった。
「初対面なんだもの。無理もないわ」
エイミは嫌味なく笑い、トルテに向き直る。
「遅れたけど、私はエイミ。アルドの仲間よ。
そこの、イシャール堂の娘だから、何かあったら頼って」と、通りの少し先にあるウェポンショップ・イシャール堂を指差し、
「じゃ、私、おつかい頼まれてるから」
あっさり去っていくエイミの背中を見送りながら、
「あの人、どこかで……?」と、トルテはひとり、首を傾げた。
とりあえずトルテのもとからしばらく離れた場所まで歩きながら、これからどうしようかと考えていたアルドは、ふと思いつく。
「ちょうどいい機会だし、一度バルオキーに戻るか」
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