御化粧係の優雅じゃない朝食【天正17年3月中旬】

更新再開です。

夜20時に次話更新。

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 御化粧係という仕事は、朝が一番忙しい。


 現在聚楽第に暮らす総勢七人もの女性のお世話を、一手に引き受けているからだ。


 具体的に挙げると、まず寧々様と竜子様の御正室お二人。

 次に秀吉様の母上である大政所様と、羽柴の養女となっている江姫様。

 御側室方は前田の摩阿姫様、懐妊なさった茶々姫様と香様の三人である。

 

 最初の頃は寧々様と竜子様だけだったのに、どうしてここまで増えたのか。

 それは私率いる御化粧係の手で磨かれることが、上流階級における一つのステータスシンボルになっているためである。

 昨年の行幸で私が官位を得てから、ことさらその傾向が強くなった。

 ゆえに毎日御化粧係を招いてメイクやケアを受けられる女性が、城奥において厚く遇されている貴人、と解釈されているのだ。

 これが御側室方の序列付けと、彼女らの実家へのアピールにも役立つらしい。

  

 そんな政治とかパワーバランスとか難しい理屈が働いた結果、私の勤務時間は伸びに伸びまくっている。

 朝四時虎の刻が始業なのに、どれほど迅速にさばいても、すべて終わるのは朝八時辰の刻を過ぎるんだよ。

 トータルの勤務時間、なんと四時間オーバーだ。下手すると五時間はいく。

 一日の業務の半分がこれだとはいえ、長い。長すぎる。

 明らかに子供に課す労働時間じゃないよね? ね?

 まあ、文句を言ってもどうにもならないので、しっかり働いてますけど。


 そんな感じで毎日腹ペコで仕事を終えて、遅い朝ご飯タイムを過ごすのが定番となっている。

 当たり前だが、ぼっち飯だ。

 時間が遅すぎて、以前のように寧々様付きの女房の皆さんとは食卓を囲めないんだよ。

 しかも、基本の朝食の提供時間を過ぎるので、ご飯が冷めている。

 正直、これがツライ。

 ぼっち飯は構わないよ? 一人暮らし経験があるし?

 でも、冷めたご飯をせっせと温め直している瞬間がわびしいんだよ。

 寝静まった深夜の自宅のキッチンで、ラップを掛けられた夕飯を温めるお父さんの気分になる。

 メンタルに見えないヤスリを掛けられて、わりと困っていたんだけどね。


 そんな心を削る朝ご飯タイム、最近はなくなったんですよ。





 向かいの膳が目に入る。

 並んでいるメニューは、ご飯と鯛の切り身が入ったすまし汁、野菜やお豆腐中心のおかずが数品。

 私が食べているものとまったく同じだが、それぞれの食器の中身の減り具合がまったく違う。



「菜の物、減ってないわね」



 小鉢の芋を摘むお箸が止まる。

 箸先から私へ視線を移した杏は、品良く微笑んだ。



「ほしかったらやるよ」


「いやあなたの分でしょ、

 あなたが食べなさいよ」


 

 野菜を食べろ、杏ちゃんよ。

 栄養価を考えた食事を摂らないと、体の不調に繋がるぞ。

 サプリが無い時代なのだから、ビタミンと食物繊維は野菜から摂らないとダメだ。

 特に今日のメニューの菜の花は旬の野菜で、栄養豊富だ。

 ビタミンCや鉄分、カルシウムなどバランス良く含んでいるので、肌にも髪にも良い。

 舌打ちしてないで、お箸を動かせ。



「東様が苦くないようカラシで菜を茹でて、

 口当たりの良い白和えにしてくれたんだから食べなさい」


「でもこれ苦いし」


「残すとかもったいないことする気?」


「そうじゃないけど、心の準備が」


「じゃあ食べてよ、東様のご飯よ」



 東様のご飯は美味しくて、食べやすいよう工夫がされている。

 食べる人をとことん気遣ってくれている、とても素敵なご飯なのだ。

 食べず嫌いは損をする。鼻を摘まずに食べてほしい。

 睨みつけても杏のお箸は鈍い動きをしている。

 まだだめか。しかたない子だ。



「今日の食後の菓子ね、

 柚柑ゆこうっていう水菓子みずがしなんですって」


「へえ、なにそれ」


「阿波の蜂須賀家から献上された珍しい物よ。

 見た目は柚子に似ているけれど、

 とーっても甘くて美味と聞くわ」



 明後日の方を向く杏の頬が、微かに動いた。

 よっしゃ。あと一押しでなんとかなるかな。



「私の分、半分わけてあげるわ」


「二つ」


「一つで手を打たない?」


「約束は破るなよ」


「あなたも菜を食べるのよ」



 約束よ、と念を押すと、杏は青い瞳をきらめかせて頷いた。

 細い手があっさり菜の花の白和えに伸びる。

 神妙な面持ちでお箸を付ける姿が、ずいぶんと子供っぽくて微笑ましい。

 私はすまし顔で汁椀を取り、少し緩んだ唇を誤魔化した。



 杏が聚楽第に戻ってきて、そろそろ一ヶ月。

 朝ご飯を一緒に食べる相手ができて、寂しさがなくなった。

 ほんっっっとに万々歳だわあ。


 助かっているのは朝ご飯だけじゃない。

 御化粧係の仕事も、格段に楽になっている。

 単純に人手が増えたという理由もあるが、やはり司令塔が二人になったことが大きいと思う。

 杏は私とほぼ同レベルの技術と経験値を持っているのだ。

 報連相さえしっかりしていれば、いちいち指示出しをしなくてもいい。

 本格的な寧々様や竜子様のメイクから、ちょっとした同輩の女房のカウンセリングまで、難なくこなしてくれる。

 遊里の御化粧係の腕はまったく落ちていなくて、安心したよ。


 上級の女房としての立ち回りには少し苦戦しているが、そっちはいくらでも私でフォロー可能だ。

 織田様からきちんと仕込まれてきてくれていて、基本の礼儀作法には問題がないからね。

 むしろ織田様仕込みなせいか、杏の所作は私よりも今っぽくて洒脱だ。

 粋、あだっぽい、コケティッシュ。どう表現すればいいのだろうか。

 基本をしっかり押さえつつほんの僅かに外したふうで、嫌味のない色気がある。

 ごりごりの正統派に躾けられた私とは対照的だけれど、現時点で誰からのクレームも受けていない。

 それどころか、さすが源五侍従様の御養女と人の口の端にのぼっているのだから、大したものだ。


 彼女の配下の侍女たちも同じだ。

 躾が行き届いていて、あっという間に城奥に馴染んでくれた。

 それもそのはず、彼女らは皆きちんとした織田様の御家中の子女である。

 元々杏から美容やメイクのノウハウを習っていた子たちでもあって、奥入りに際してちょうどいいから連れてきたのだという。

 ちなみにお姫様になった杏が、なぜそんなことをしていたかというと、織田様の熱烈なリクエストだそうだ。

 織田様は杏に仕込ませた侍女を使っておうちエステを楽しみ、せっせとセルフケアに勤しんでいたらしい。

 使えるものは娘でも使いまくれか。

 隠す気ゼロの欲望一直線っぷりには恐れ入った。

 そういうわけで彼女たちにも、研修を行う必要はほとんどなかった。

 立派な戦力として活躍してくれていて、頼もしいかぎりだよ。


 予想外に使えた杏たちのおかげで、私やお夏たちの負担は目に見えて減った。

 城奥内のメイクやエステの依頼を杏たちに任せたら、びっくりするほど時間に余裕ができたのだ。

 すっごい楽。めっちゃ楽。業務分担ができるって素晴らしい。

 空いた時間はありがたく、思いっきり有効活用させていただいている。

 体を休めることだけでなく、仕事にもね。

 例えば、コスメの仕入れや新作の品質チェック。

 在庫整理やメイクツールのメンテナンス。

 宮中など外部からの依頼対応、表に絡む経理や事務のお仕事。

 山ほどある庶務事務や出張業務を、ここ最近はスムーズにこなせてとっても気分がいい。

 経費の関係で石田様たちにお尻を叩かれなくなる日が来るとは、夢のようだ。


 このへんの業務も、そのうち杏たちにも覚えてもらおうっと。

 絶対にもっと仕事が楽になる。

 上手くやれば、交替勤務制を導入できるかもしれない。

 天正の世はオンとオフの境目があいまいで、下手をすると年中無休になりかねない。

 このチャンスを上手く利用して、御化粧係にだけでも休暇制度を作ってやる。

 目指せ、充実した福利厚生! 楽しく快適な労働環境! おー!!





「味、どう?」


「美味い……」



 侍女に剥かせた柚柑ゆこうを味わう杏は、目を伏せたままそう言った。

 ため息のように呟かれた声は、鼓膜に触れてとろけるようだ。

 そんなに美味しいのか。柚柑ゆこうへの期待値が高まる。

 私もいそいそとひと房、楊枝に刺して口に運んだ。

 オレンジよりは黄みがかった果肉をゆっくり噛む。

 途端にぷつぷつと弾けて、華やかなシトラスの芳香がほんのり鼻を抜けていった。

 ほとんど一緒のタイミングで、みずみずしい果汁もたっぷりと溢れ出す。

 酸味はまろやかで、柑橘類特有の澄んだ甘みが濃い。苦みも少なくて、私的には良い口当たりだ。

 香りは柚子っぽいけれども、味はみかんに近い。食感はグレープフルーツを思い出させるし、どこかはっさくめいた風味もあったりする。

 まるで複数の柑橘類をブレンドしたみたいで、表現が難しい美味しさだ。



「不思議な味だわ」


「でも食べやすいよな」


「癖がほとんど無いものね。

 汁も多くて喉がうるおう」


「香も優れてて、嗅いでると気分が良くなりそう」



 どちらともなく、目が合う。

 杏が頷き、私も頷き返す。意見は同じなようだ。



「今日のご機嫌伺いの時に、

 一の姫様へ差し上げてみよう」


「……蜜柑じゃないって、お泣きになるかな」



 呟く杏の声に、不安がこもっている。



「だ、大丈夫でしょ。

 砂糖漬けじゃなくて、きちんと水菓子だから!」


 

 否定しながらも、脳裏にはばっちり苦い記憶がよみがえってくる。

 泣き喚く茶々姫様の姿が、それはもう生々しく。


 先月のことだ。

 私たちは茶々姫様に柚子ジャムをお出しして、泣かれた。

 悪阻が続く茶々姫様が、みかんを食べたがっていたんだよね。

 だが、みかんの収穫時期は冬だ。

 天下の羽柴とはいえ、さすがに季節外れのフルーツは用意できない。

 ビニールハウス栽培なんて技術が無いんだもの、我慢してもらうしかない。

 それでも茶々姫様はみかんを希望されるから、私と杏は知恵を絞って、絞りまくった。

 で、間を取って柚子ジャムで妥協してもらおうとした。

 みかんと風味の違いはあっても、柚子にだって柑橘類の甘酸っぱさはある。

 タイミング良く、種と焼酎で化粧水を仕込む際に余った皮と果肉に砂糖たっぷり入れて作ったジャムの備蓄が手元にあった。

 苦肉の策だ。みかんが手に入らない事情をきちんと説明して、柚子ジャムも美味しいですよとお出ししてみた。

 そして、泣かれた。「みかんが食べたいの! 柚子じゃないの!」と、盛大に泣き喚かれたのである。



「懐妊中の方のお世話って、

 こんなに大変なんだな……」



 柚柑ゆこうを摘まみ、杏が呟く。

 眼差しが虚ろだ。私も同じ目をしている気がする。



「指月様はそんなことなかったんだけどねえ」



 竜子様にも悪阻と情緒不安定はあったが、茶々姫様ほどわがままにはならなかった。

 個人差があるものと承知はしているが、茶々姫様の悪阻はずいぶんと手強い。

 情緒がなかなか安定せず、体質のせいか悪阻も収まらず。側についている蕗殿たちも頭を抱えている。

 またその萎れかけの花のような風情がはかなげで、いつにも増して愛らしいから困ったものだ。

 当てられた秀吉様が気合を入れて甘やかし始め、表の方まで少々振り回されている。

 この柚柑ゆこうもそうだ。

 秀吉様があちこちに人をやり、与四郎おじさんたち商人にも無茶ぶりをして、取り寄せまくったものである。

 茶々姫様ただ一人のために、だよ。やりすぎた過保護さに、城奥の我々もドン引きである。

 当然、寧々様のご機嫌はよろしくない。先日若君を抱いて聚楽第へお戻りになった竜子様も、面白くないご様子だ。

 摩阿姫様以外の他の御側室方も、あまり良い気分はしていらっしゃらない雰囲気がある。

 茶々姫様の動向を知ろうとしてか、私か杏を呼び出す人も増えてきた。

 城奥の中だけでなく、城表の方からもだ。皆、興味津々だね。怖いわ。

 胃が、痛い。



「まあ……なんとかしましょ……」


「なるといいなあ……なんとか……」



 顔を見合わせて、何度目か知れない深いため息を吐く。

 奥の序列、乱れないといいなあ……。



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『北政所様の御化粧係〜戦国の世だって美容オタクは趣味に生きたいのです〜』

書籍版はTOブックス様より1〜2巻発売中。

3巻発売&コミカライズ連載開始は今年の予定です。

未入手の方は、ぜひ買っていただけると嬉しいです!

特に2巻はweb版に無い6万字の新エピソードを書き下ろしておりますので、楽しんでいただけると思います。


また、2〜3巻の売り上げ&予約数次第で、続刊の行方が決まります。

大谷さんが再登場するまでは書籍版で出したいので、よろしくお願いします…!!

各所に感想やレビュー、評価をいただけますと、作者が見に行って喜びます。

よろしければこちらもお願いします笑

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