セカンド・オピニオン(3)【天正16年9月15日】
転がって喜んでる私たちに、盛大なため息が吐きかけられた。
「ちょっとあんたら」
視線を上げると、腕組みをした道三先生と目が合った。
「手放しで喜ぶんはまだ早いえ」
「? 道三様、どういうこと?」
「あんな、刑部さんが業病やないのははっきりした。
けどな、
まあ起きないな、と言われてもそもそ三人揃って起き上がる。
丿貫おじさんがすーっと寄ってきて、よいしょと私を抱えた。
そうして紀之介様を威嚇しつつ距離を取る。
何すんの! 不本意! 離して!
抗議の意思を込めて睨むとデコピンされた。
めっちゃ痛い。私が何をしたって言うんだ。
「正直に申してな、拙僧も弟子たちも、
刑部さんみたいな患者は初めてなんどすわ」
私とおじさんを無視して、道三先生が紀之介様に話し始める。
「似た病は、いくつか知っとるえ?
せやけど、そのどれとも少々症状がちゃうのや」
「症状が違うとは?」
「例えば、手足の皮疹」
枯れた道三先生の手が、紀之介様の手を取る。
ぐい、と上に持ち上げ袖を下ろした。
赤黒い湿疹でまだらになった腕が、二の腕まであらわになる。
「まず上半身の症状からさらいますえ。
皮疹が出とるんは顔、首、肩に少々。
腕は指、手のひら、手の甲、肘から下。
二の腕より上と胸元から腹、背中にはあまり出てへんな」
次に足、と紀之介様に胡座を崩して袴をたくし上げるよう指示をした。
足の付け根ぎりぎりまで晒されたそこも、腕と変わらない状態だ。
「脚は膝下から足の指先にかけてに症状が強い。
特に足の裏が酷いなあ。膿疱がでけては潰れで、
踵の皮が割れとる。
こんなんで歩くのは苦痛やわ、
あんたはんよう辛抱しとるねえ」
ぽんぽんと患部を軽く叩く道三先生の白い眉がひそめられる。
「皮疹は湿疹と膿疹、
水疱がでけて、次第にぷつぷつと膿む」
再び取った大きな手のまだ比較的新しい湿疹を、細長い指が示した。
「水疱が破れて膿が出るなりしたら、
乾いて赤黒う瘡蓋になる。周りもただれる。
そしたらまたすぐ下から新たな水疱がでける。
その繰り返しのようやね、基本は」
「ならばとびひの酷いものということではないのか」
石田様が紀之介様の腫れ物を睨みながら言う。
聞いた感じ、私もそう思えた。湿疹を搔き壊して、細菌感染をしたんじゃないかな。
だが道三先生は、ちゃう、と首を横に振った。
「とびひやったら、最初の処方で治っとる」
「最初って、あのヤブ医者の?」
「姫さん、あれは薮やのうてただの二流や」
与四郎おじさん曰く、堺でそこそこの定評がある医者も道三先生基準じゃ二流かあ。
手厳しいのか甘いのかわからない評価だ。
まあ、紀之介様を治せなかった時点で私的にはヤブだけど。
「ここ来る前に二流から聞いてきたけどなあ、
まあ薬は間違うてへんかった。
ええと、全宗、なんやったあれ」
「
道三先生に振られて、施薬院先生がさっと帳面をめくる。
「八年前に明の医者が著した医学書に載ってる処方ですわ。
道貫はん?」
「ああ、浅井の一の姫様に
ああ、あの飲み薬ね。
茶々姫様の治療を見ていた私にも覚えがある。
一日三回、空腹時に飲ませていたっけ。
薬の苦さを嫌がる茶々姫様相手に蕗殿が苦戦していたが、飲み始めれば効果抜群だった。
見るも無残だった茶々姫様の肌の爛れが、一気におさまってしまったのだ。
痒みや痛みもかなり軽減された様子で本人は喜んでいたが、あんまり効きすぎるものだからちょっと私や蕗殿はビビった。
あの万能薬が効かなかったのか、紀之介様。
「一服の量がおかしいこともない。
わしもほとんどおんなし量を使うてる。
それでたいがいの肌の病に効果があったんやがなあ」
「
玄朔先生も首を傾げて言う。
皮膚炎用の塗り薬である神仙太乙膏も紫雲膏も、あの事件の後に茶々姫様が使っていた薬だ。
炎症の赤みを取って痒みを抑えてくれる塗り薬で、とてもよく効いていた。
私も虫刺されの時に処方してもらったけど、かなりの効果があった覚えがある。
道三先生たちによると、使われた薬材が悪いわけでもなかったそうだ。
お金も身分も備えた紀之介様が患者で、ここは日本でも指折りの大都会である堺。
水準以上に良質の物が使用されていた。
「ここまでの治療を受けててな、
ちっとも良うならんのは妙な話なんやわ」
「それゆえに初めて、ですか」
「さよどす。
何がもとでそないなっとるか見当がつかへん」
処方を根本から見直しや、と道三先生は肩をすくめる。
目に見えて紀之介様が肩を落とした。かなり気落ちした様子だ。
せっかくセカンド・オピニオンを取ったのに、まだ原因不明だものね。
やっと解決すると期待していた紀之介様の気持ちを思うと、私も泣きたくなってくる。
「では治らぬということか。
紀之介はもうこのままだと?」
石田様の質問が飛ぶ。
焦れきった大きな声に、道三先生が耳を塞いだ。
うっとおしそうな目で睨まれて、石田様がこめかみに青筋を立てる。
「そない怖い顔せんといてくれます?
治らんとは言うてへんし」
薄い唇が開く前に、道三先生がぴしゃりと言う。
「病の大元がわかったら治ると思うよ」
「では今すぐ大元とやら探してくれ、
早く紀之介を治してやれ」
「そんな無茶な」
「何故無茶なのだ? 曲直瀬殿は医者だろう?」
「あんたはんな、拙僧らをなんやと思てるん」
「帝や名だたる大名の病を癒してきた名医だろう。
できぬことがあるのか? 名医なのに?」
石田様節に攻め込まれる道三先生が、私を見た。
目がめちゃくちゃうんざりしている。
申し訳なさすぎて目を逸らしたくなった。
紀之介様のために必死なのはわかるが、石田様はもうちょっと空気を読んでくれ。
痛くなってきた頭を押さえて、石田様、と声をかける。
「お待ちください。
そんなに一気に訊ねられたら、
道三様たちも困るだけですよ」
「どうして困る?
聞かれて答えられぬわけでもあるまい?」
「あのですね、紀之介様は難しい病なんですよ」
原因究明に時間がかかるのはしかたないよ。
血液検査もレントゲンも何もない時代なんだし。
「ではどのくらいの時が必要なのだ」
「知りませんよ、だって未知の病のようですから」
「そうだよ、佐吉殿。
無理を申しても、曲直瀬殿たちを困らせるだけだ」
「むう……」
紀之介様にもたしなめられて、石田様は唇を尖らせて黙った。
なんでこの人は、紀之介様にだけ素直になるんだ。
ちょっと納得いかないが、まあいい。
道三先生をうかがうと肩をすくめられた。
「気長に探しましょ、
刑部はんには辛抱してもらわんとやけどな」
「かたじけない」
「ええよぉ、知らん病を調べるんは楽しいし」
さらっと怖いことを言って道三先生はおっとり微笑んだ。
顔を引きつらせる紀之介様に気づかないふりをして、控えている弟子たちを振り返る。
「ほんで、お前たちはどう見立てる」
「
ややあって、まず玄朔先生が答えた。
桜などの木に付く毛虫に触れると、激しい皮膚炎が生じるのだという。
怖いことに毛虫自体に近づかなくても、毛虫がいる木が側にあるだけで発症することもあるそうだ。
あ、それどこかで聞いたことあるかも。
天正じゃなくて令和だったかなあ。とんでもなく危ない毛を飛ばす毛虫がいるとか、なんとか。
木の側で下手に洗濯物を干したり、遊んだりすると酷い目に遭うってニュースでやっていた気がする。
あの毛虫の毒は皮膚炎だけでなく、目や喉なんかにも影響が出るって話だったけども……。
「そんな虫が身近にぎょうさんおるんやったら気づくて」
玄朔先生の意見を、ずばっと施薬院先生が切り捨てた。
毛虫の毒ならば、紀之介様の側に仕える家人たちにも、同じ皮膚炎を発症する人が出てこないとおかしいと。
たしかにね。紀之介様と同じ病気に罹患している人はいない。
半月にわたって付きっきりで看病した私もぴんぴんしている。
屋敷の周りで毛虫を見かけたこともないから、たぶん毛虫説はないか。
「ほな施薬院殿はなんやと思われますん?」
「一番近いのは
あれ、爛れたとこを掻き壊すととびひになって膿むし、
治っても何度もしつこく繰り返す病え」
「あんた今何月やと思てるん?」
丿貫おじさんがじろりと横目を送った。
「もう九月も真ん中やで、雁もまだ来てへんやん」
「そやなあ、
悪ぅい状態で長患いになるもんでもないしなあ」
「だいたい有馬へ湯治に行って悪化した言うんも、
おかしな話やわ」
湯治は皮膚病の特効薬だのにと、丿貫おじさんは腕を組む。
令和の頃にも皮膚疾患の温泉療法とかあったなあ。
有馬温泉のような塩分を含む泉質の温泉が良いんだったか。
塩分を含む温泉には、肌の殺菌と保湿の効果が見込める。
毎日入浴すれば血行を良くして、肌を清潔に保つこともできる。
同時平行で投薬治療を受けていたら、完治まで行かずとも大幅な改善が見込めるはずなのだが。
紀之介様に関しては、冬に行った湯治で病気が悪化した。
一番皮膚炎に効くはずの金泉がダメだったらしい。
行幸までには肌を治したくて、我慢してしばらく浸かったせいで爛れ方が余計に酷くなった。
それでやっと湯治を断念して堺に戻ったけど、春先まで普通のお湯で行水をすることさえきつかったそうだ。
お顔もその時以来、ますます酷く肌荒れしてしまって治っていない。
もう踏んだり蹴ったりだと本人がぼやいていた。
「結局何が病に繋がっているのだ!」
地団駄を踏むように叫ぶ石田様に、丿貫おじさんがため息を吐く。
そんなこと言われてもって感じだ。
私も石田様に同意だけど、丿貫おじさんの気持ちもよくわかる。
簡単に解決したら紀之介様はこんなに長く苦しんでいない。
治療しても効果がないってことは、何かが効果を打ち消しているってことだろうか。
でも、それがはっきりしないことにはねえ。
「口にしているものが病に繋がる、
などということはありませんか?」
私も一生懸命に考えてみたことを、道三先生に訊ねてみる。
アトピーや接触性皮膚炎じゃなければ、食物アレルギーくらいしか思いつかない。
令和の日本で食物アレルギーはポピュラーな病気だった。
あれは軽く蕁麻疹が出る程度から、命を落とすレベルのアナフィラキシーショックまで多様な症状があった。
最近喉に痒みがあったり、咳が出たりするという紀之介様の症状とも少し被る。
「例えばどのような?」
「ええと、蕎麦粉とか」
蕎麦ボーロを食べている時に、お夏から聞いた覚えがある。
佐助は子供の頃に蕎麦粉で被れたことがあって、蕎麦が大嫌いなんだって。
この時代にも一応、佐助のように食物アレルギー持ちの人はいるっぽい。
「姫さんの言うとおりそういう人間おるなあ、
たまにやけど」
「紀之介様も同じということはないでしょうか」
「どうなん、刑部さん。
最近なんか変わったもんよく食べとるとかないん?」
訊かれた紀之介様が眉を寄せた。
「申し訳ない、思い当たる節は一つも」
「さよかあ」
道三先生が天を仰いだ。
残念。良い線だと思ったんだけど。
行き詰まり、という空気が座敷に漂い始める。
道三先生は顎を撫で、丿貫おじさんたちも難しい顔で黙考に入ってしまう。
石田様はしつこく紀之介様に生活の変化を問い詰めまくって、紀之介様はちょっと疲れた顔で対応している。
私だけ完全に置いてけぼり。だんだん不安感が増していく。
何が原因なのかな、紀之介様の病気。
まったくもってわからなくなってきた。
本当に治らない病気だったらどうしよう。
死ぬこともなく、良くなることもなく。
ずっと紀之介様が、つらいまま生きることになったら……。
「与祢姫、与祢姫」
私の嫌な物思いを、紀之介様の声が断ち切る。
俯いていた顔を上げる。いつの間にか腕組みして黙り込んだ石田様の横で、紀之介様が手招きしていた。
「どうなさいました」
「俺の部屋から莨盆を持ってきてくれないかな」
「煙草、ですか?」
「ちょっと吸いたくなってきてね」
そう言いながら、紀之介様は恥ずかしげな笑みを浮かべた唇を撫でる。
あ、煙草をたしなむ人の仕草だ。
時々唇を指で撫でる癖がある人だなあと思っていたけれど、やっぱりそうだったのか。
紀之介様の体臭って、うっすら紫煙の匂いが混ざっている気がしていたんだよね。
染みつくほど吸っているって、実は結構なヘビースモーカーなのかも。
……ん? 煙草って。確か。
「紀之介様、一つお聞きしても?」
「何かな」
「煙草って、何で吸ってます?」
ずいっと迫ると、紀之介様は不思議そうに首を傾げた。
意味が伝わらなかったのかな。
「煙草を吸う道具です。
どのようなものをお使いですか」
「ああ、それならばキセルだが」
ほら、と紀之介様が懐から煙管を取り出した。
鈍い銀の光を放つ金属製で、羅宇の部分の彫金が洒落ている。
使い込まれた煙管を受け取って確かめる。
吸い口に傷が多い。紀之介様には、煙管を噛む癖があるらしい。
……と、いうことは、だ。
これは、もしかすると、もしかするかもしれない。
「与祢姫、どうかしたかい?」
「……煙草、
いつ頃からたしなまれているのですか」
煙管を握って、紀之介様を見据える。
ただならない私の様子に驚かれても、じっと目を見る。
大事なことだ。早く答えてほしい。
そんな気持ちを込めて睨むと、戸惑うように紀之介様は口を開いた。
「ええと、九州征伐の折だね。
博多で勧められて、それからだよ」
「では病が酷くなったのは」
すかさず訊ねる。
紀之介様の顔色が、さっと変わった。
「……ほとんど同じ頃からだ」
喉が、不恰好に息を吸い込んだ音を立てる。
大当たりだ。
これは間違いない。
紀之介様の病気を、私は知っている。
含鉄塩化物泉での湯治やニコチンの摂取で悪化しやすくて、体中に酷い炎症が出る。
関連疾患として手足の患部に難治性の膿疹が発生することもあって、酷いと歩行や生活が困難になる。
時には喉を痛めたり、発熱などもしたりもする。
目が痒くなって、結膜炎っぽくなるケースもある。
全部一気に起こす人は珍しいけど、重症者ならばないこともない。
そして。
そして、だ。
原因を取り除かない限り治療をしても治らない病気なんて、一つしかない。
全身性の金属アレルギー、それに付随した掌蹠膿疱症だ。
たぶん、だけど。条件から考えて、可能性は高いと思う。
「姫さん、心当たりがあるんかいな」
ふと気付くと、私に真剣な眼差しが集中していた。
座敷中の誰もが、私をうかがっている。
どう話したものだろうか。
心臓が嫌な跳ね方をしている。
上手くこの時代の人にもわかるよう、説明できるだろうか。
あまりにも特殊な病気だ。メカニズムの説明が難しい。
必死で考えながら、紀之介様を横目に映す。
湿疹や膿疹でまだらになった頬、血が滲む赤黒い手。
痛々しい姿に胸が痛くなる。
やっぱり、難しいからって逃げるわけにいかないと思った。
治して差し上げるには、きちんと道三先生たちに理解してもらうしかない。
紀之介様がまた、元気になれるように私ががんばらなきゃ。
「もしかしたら、ですよ」
深く、深呼吸をする。
「紀之介様のお身体には、
金物と煙草が毒なのではないでしょうか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます