お手紙と最近のこと【天正15年5月20日】

拝啓 大谷紀之介様



 日に日に青葉の色が濃くなってまいりました今日この頃、紀之介様はいかがお過ごしでしょうか。

 私はなんとかつつがなく過ごしております。盛夏に向けてが、少し憂鬱ではありますが。

 

 先頃薩摩の島津家が降伏して、九州の平定が相成ったと父からうかがいました。

 まことにおめでとうございます。年明けよりずっと紀之介様が兵站や外交のお仕事に励まれてきたから、滞りなく戦が終わったのでしょうね。

 たくさんの将兵を長く養って勝利まで戦わせるのは、並大抵のことではないと存じます。

 それを成し遂げられた大谷様と、ついでに石田様は、こたびの戦でとびきりの功を挙げられた方々のお一人ですね。お疲れ様でございました。

 まだ戦後処理などで忙しくされるかと存じますが、どうかお体に気をつけてお役目に励まれますように。


 さて、先のお手紙にも書いた、私が妙心寺の門前にて拾った捨て子についてですが、その処遇が決まりました。

 両親や叔父、家老たちが話し合った結果、これも縁であろうと当家で養うこととなったのです。

 かわいそうなことにならず、胸を撫で下ろしております。

 拾丸ひろいまると名付けられたその子は、昨年の年の瀬に生まれた私の弟・松菊丸まつきくまるとともに、乳母の乳をたくさん吸って健やかに暮らしております。

 順調に育てば叔父か家老の誰かが養子に迎えて、松菊丸の側仕えとするそうです。

 松菊丸も拾丸も、どちらも元気いっぱいで愛らしいです。

 近頃は両親や私の顔を見て、嬉しそうに笑ってくれることも増えました。

 ふたりが揃って無事に育ってくれるよう、姉の私は祈るばかりです。

 

 私自身の近況はと申しますと、茶の湯も手習いも、万事順調にこなしております。

 茶の湯は今も千宗易様と大叔父おおおじの丿貫様にご指導いただいております。

 千様たちも紀之介様と同じく九州に赴いてしまったので、お稽古はお休みになってしまいましたが、お二人の出立前に盆手前の修了を認めていただけました。

 次からは、台天目を学んでよいとの許しも得ました。

 身内の贔屓目とは存じますが、千様も大叔父も筋が良いと褒めてくれます。面映くもあり、誇らしくもあります。


 そういえば千様や大叔父から聞き及びましたが、関白殿下におかれましては、今年の秋に大掛かりな茶会を開くご意向がおありだそうですね。

 なんでも、身分や性別や年齢に隔てなく、誰でも席を設けたり客になったりできる催しになるのだとか。

 まことでございましょうか? 紀之介様は何かご存知ですか?

 実は千様から、私も一席設けてみるか、と水を向けられてしまったのです。

 名の知れた大叔父ならまだしも、私のような者が関白殿下の催しの末席を汚して良いものか、判じあぐねております。

 何かご存知でしたら、どうかお教えください。


 紙が残り少なくなってまいりました。

 お話ししたいことはまだたくさんありますが、此度はこれまでとさせていただきます。

 九州は都より早く暑くなる土地と聞きました。生水や生ものなど、お口に入れる物には重々お気を付けてくださいませ。

 紀之介様のご無事のお帰りを、与祢は都にてお待ちしております。


 かしこ



追伸


 洛中の当家屋敷に、やっと茶室ができました。

 千様や大叔父の紹介で、腕利きの職人の方々に力添えしていただきましたので、なかなか趣きが深い場所となっております。

 紀之介様がお帰りになられましたら、折を見て茶席にお招きさせてくださいね。




天正十五年 皐月二十日 洛中  与祢



◇◇◇



「よっし、こんなもんかな」



 筆を置いて、私はうんっと一つ伸びをした。

 書き上がった手紙を優しく掲げる。

 とっておきの墨の香りは芳しくて、上物の鳥の子紙の色は目に優しい。

 誤字チェックをしながら、書いた文章を目でなぞる。

 ちゃんと形式に則っているし、言葉遣いも大名の姫の品格を損ねないもので良し。

 もちろん書いてはいけないことは、一つとして書いていない。

 めちゃくちゃいい感じ。かんっっっぺきなお手紙。

 墨がきちんと乾いたら、ビターオレンジと薄荷のブレンド精油の匂いを移した紙に包もうかな。

 爽やかな香りで、大谷様にも夏の到来を楽しんでもらえるかもしれない。

 


「ふふ、うふふふ」



 思わず笑みが溢れてしまう。

 近頃の私は、手紙の楽しさに夢中だ。

 誰かのために工夫を凝らして手紙を書く楽しさは、天正の世にやってきて初めて知った。

 令和に生きていた頃は手書きの手紙は苦手だったんだよね。

 字が下手だったし、誤字ると即書き直しって非効率的だと思っていた。

 でも与祢になってから、ちゃんと一からお習字を習って、天正基準だけどちょっと字が上手くなった。

 もしかして私って結構書ける方かな? と思ったら手書きが苦じゃなくなった。

 褒められると伸びるタイプでよかったよ、私。

 そして手紙を交わす人ができて、価値観が更に一変した。


 文通のお相手は、大谷刑部少輔吉継様。


 今をときめく関白秀吉の重臣のひとりで、去年の六月に堺で暴漢から私を助けてくれた方だ。

 お歳は私より十五歳上の二十二歳。背が高くて、紳士的で優しくて、おまけにイケメン。


 これにときめかなくてどうするよ?


 少なくとも私はもう助けてもらった時、かなりきゅんきゅんきた。

 これは逃しちゃいけないチャンスと、私の中の青春が囁いた。

 だから間を置かず、即座に助けてもらったことへのお礼状を大谷様に送った。

 その返信にも、無理矢理ぎみの理由を作って返事を送った。


 手紙の書き方を習い始めました、もしよろしければお暇な時にお付き合いいただけませんか? って。


 このお願いは、母様のアドバイスを参考にした。

 何故母様かっていうと、恥ずかしいけれど大谷様と文通がしたいと相談したからだ。

 子供でも、私は未婚の姫だ。男性と手紙のやりとりを勝手にするわけにはいかなかったしね。

 そしたら母様はノリノリでOKくれた。

 そんな気がしていたと言って、ついでに男性にお願いを断らせないテクニックまで伝授してくれた。

 現状の私におすすめなのは、子供という立場の活用一択だそうだ。

 母様も父様と初めて出逢った時はまだ子供だったから、大いに子供の立場を活用したらしい。何やったんだ。

 両親の馴れ初めは置いといて、私もそれに倣った。それで、手紙の練習に付き合って、だ。

 ドキドキしたけれど、大谷様にも有効だった。

 あっさりと自分で良ければいくらでも、と快諾してくれたのだ。

 しかも、私人の大谷紀之介と山内与祢のやり取りにしよう、と提案もしてくれた。

 そのほうが大仰でないし、気軽に私も手紙を出せるだろうって。

 最高か。小さい妹か娘みたいで可愛い〜って雰囲気がびしばし漂っているけど。最高か。

 気安い通名で呼ぶ権利をゲットできるなんて思わなかったわ。ラッキーが過ぎる。最高。



 ああもう。本当に最近は何もかもが順調で怖いくらいだ。

 大谷様、いや、紀之介様あての手紙にも書いたけれど、昨年末に我が山内家に待望の嫡男・松菊丸が生まれた。

 昨年六月に母様のお腹にいると発覚した子だ。

 完成した京屋敷に引っ越してすぐの年末に生まれたんだけど、玉のような男の子でした。

 父様と母様が結婚して十五年目の大慶事に、山内家が沸き返ったのは言うまでもない。

 長浜から駆けつけた祖母様や康豊叔父様も、松菊丸を取り上げた丿貫おじさんも大喜びだった。

 家臣団の喜びようもすごくて、祝杯をあげまくってたし、はしゃぎすぎて怪我をする人まで出たくらいだ。

 熱狂ぶりがすごかったけど、まぁ嫡男だもんね。

 それもかなり大きなサイズで生まれて、泣き声も勢いが良いめちゃくちゃ健やかな子。

 これを喜ばなくていつ喜ぶんだっていうんだ。


 そんなみんなに歓迎されて生まれた松菊丸は、とても良い子だ。

 すごくよくお乳を飲んでたくさん寝るし、だいたいいつも機嫌良くしている。

 今年の春直前の二月に私が拾った捨て子の拾丸とも仲良くやっている。

 いや、どっちも赤ちゃんだから相性がどうとかはっきりしないけどね?

 少なくとも隣に並べて寝かせても、嫌がる様子はない。

 仲良くむにゃむにゃ喋っているっぽいところも、結構見かける。

 ぜひこのまま、大きくなっても仲良くよろしくやっていってほしいものだ。

 なにせ拾丸は、例のドラマでも登場した山内家に拾われた捨て子と同一人物のはずだ。

 確かドラマでは、将来めちゃくちゃ有能な僧侶になったと語られていた。

 つまり、掘り出し物の逸材に育つ可能性が大ってこと。

 松菊丸の股肱の臣下に育ってくれたら、山内家の将来はさらに明るくなると思う。

 山内家が安泰なら私も安泰なので、がんばれ弟たち。

 ま、私は跡取り娘ではなくなったけど、いっか。

 弟たちの可愛さの前には、将来の話なんて横に置いちゃえる程度のものだ。

 また関ヶ原が近くなるか、縁談が来るような歳になった頃に考えようっと。



 それまでは気楽なお姫様ライフを満喫ってことで、美容グッズ開発も鋭意続行中だ。

 こちらもすこぶる順調にいっている。

 去年からこちら一番の成果は、毒無し白粉──酸化亜鉛の白粉と合成ウルトラマリンの精製成功かな。


 事の発端は酸化亜鉛の方だ。

 頭を捻って毒性の低い白粉の材料を考えまくっていて、私は酸化亜鉛に思い至った。

 酸化亜鉛は白色顔料の一つ。令和の世でも、ファンデーションや日焼け止めの材料に使われていたものだ。

 精製方法はわりと単純。ざっくり言うと、亜鉛を焼成するだけできる。

 なので亜鉛は無いかと与四郎おじさんに問い合わせたところ、運良く倭鉛わえんという名称で存在した。

 ただし、中国からの輸入品オンリー。そこそこお値段が張る品だった。

  例のごとく金になる知識との等価交換を要求された。堺商人に慈悲とかなかった。

 前と同じく十日の期限を切られ、心の中でしこたま与四郎おじさんに文句を言いながら、必死で脳みそを絞りまくった。



 その結果が、合成ウルトラマリンである。



 合成ウルトラマリンとは、発色の美しい青色顔料のことだ。

 青。それは現代人からするとポピュラーな色だが、前近代では希少な色だ。

 なにせ、安定した青色を出せる天然素材が少ない。

 この時代だと、ごく一部地域でしか採れないラピスラズリを磨り潰して作る、天然ウルトラマリンしかない。

 ゆえに、青の顔料は高い。金よりも高い値が付いていた。

 そんな恐ろしくお高くつく色だけれど、欧州の画家たちは青に焦がれてやまなかった。

 だから絵の具のために破産する画家が出た。天然ウルトラマリンと称して粗悪品を売る奴も出た。

 青を巡って人生が壊れる人が続出するほどだったそうだ。


 そんな価値をぶっ壊したのが、合成ウルトラマリンなのである。


 合成ウルトラマリンは、十八世紀フランスの老舗企業の石灰を焼く窯で偶然発見されて世に出た、わりと新しい顔料だ。

 材料は、陶器の材料となるカオリンなどの粒の細かい粘土、足拭きマットやコースターによく使われる珪藻土けいそうど硫黄いおう、昆布や海藻を焼いた灰とかで作れる炭酸ナトリウム。それから還元剤に木炭粉末。

 これを焼くだけで、合成ウルトラマリンはできちゃうのだ。

 温度調整とか材料の配分とか、細かい配慮はいくつかあるけど、本当に窯に材料をぶち込んで焼くだけ。

 比較的簡単製法&ローコストで、ラピスラズリの青を超える青が出来上がるから恐ろしい。


 そんな合成ウルトラマリンの材料は、ありがたいことに天正の世の日本でも揃うのである。

 ならやるっきゃないでしょうってことで、提案させていただいた。

 与四郎おじさんはすぐ材料を揃えて、お抱えの陶器の窯元を活用して実験を開始。

 何度かのトライアンドエラーのすえに、できちゃったよ。


 綺麗な綺麗な、合成ウルトラマリンちゃん。


 関係者一同、私以外みんな真っ青だったよ。

 『今群青いまぐんじょう』と名付けられたこの国内産合成ウルトラマリンは、完成してすぐ日本国内で色彩革命を起こした。

 与四郎おじさんの指示で、当世の名のある絵師や陶芸家に今群青が配給され、それを使用した作品が世に披露されたのだ。


 とんでもなく鮮やかな青の魅力が、国内を席巻したのは言うまでもない。

 いや、国内どころか海外もか。

 日本に来ていた宣教師さんや南蛮商人さんたちが今群青に目を剥き、本国に今群青を使った絵や陶器を送ったのだ。

 あっという間に海外からのお求めが殺到したね。

 そういやキリスト教でマリア様の衣装を描くのに必須だったな、青。

 思い出したついででその辺も話しておいたら、与四郎おじさんは盛大にやらかした。


 あのおじさんね、材料さえ揃えたら幾らでも作れる今群青の流通量を操作しやがったのよ。


 しかも製法も製造元も、厳重に秘匿。外国人はおろか日本人すら教える人を厳選して、秘匿、秘匿。おまけに秘匿。

 販売元は与四郎おじさんが実の息子さんを店主に立てた問屋数件に絞って、ラピスラズリ製の天然ウルトラマリンよりは・・・まだ安い程度に価格に設定した。

 その価格は南蛮商人たちが買って本国に持って帰って売った際に、絶妙な満足感の利益が出るライン。

 買わない人は誰もいなかった。むしろ先争って、国内外の商人たちが今群青を買おうとした。



 結果、とと屋とその系列店は、空前絶後の大儲けをした。



 いやほんと経済や美術の世界が、比喩でなく与四郎おじさんを中心に回り出してドン引きしたわ。

 あまりのエグさに何か言いたくなったが、口は閉じておいた。

 父様経由で、今群青の利権に関白秀吉が一枚以上噛んでいると聞いたから。

 与四郎おじさん、なんと睨まれる前に秀吉に一報入れて、利権の旨みやらなんやらを提供したらしい。

 そら与四郎おじさんが暴利をむさぼればむさぼるだけ、自分の懐がぽっかぽかになるなら秀吉も黙認するよね。

 堺商人の抜け目が無さすぎて震えたわ。

 こうなったらもう、触らぬ神に祟りなしだ。

 私はにっこり笑って、酸化亜鉛の白粉開発をお願いをするだけで終わらせた。


 そんなこんなで私が希望した酸化亜鉛の白粉は、上機嫌の与四郎おじさんがさっくり開発してくれた。

 亜鉛という素材さえそろえば、現行の白粉職人さんたちのノウハウですぐ実用化できちゃったんだって。

 その証拠に先日受け取った完成品は、かなり良い出来だった。

 令和の世で私が扱っていた酸化亜鉛粉末に肉薄してたから、十分に白粉として機能するだろう。

 こちらも近々、一般販売を始める段取りになっている。表向きの考案者は、母様と丿貫おじさんとして。

 しかたない。一〇歳に満たない私が考案者じゃ、あからさまにあやしいから仕方がない措置だ。ファンデが手に入るなら別にいいか。

 それに私が前々から希望していた、精油の蒸留所の設置というオマケまで付けてもらっているし文句もない。

 名前が表に出なくても、白粉ばかりか精油と芳香蒸留水の安定供給まで叶えてもらえてウッハウハよ。

 私は快適に美容を楽しめれば、他はなんだっていい。

 そう思っていなきゃ、この順調過ぎる怒涛の展開にはついていけない。


 考えるな、流れに乗っとけ。後は大人が上手く色々してくれる。


 最近の私の座右の銘はそんな感じです。




「与祢姫様」



 部屋の外から掛けられた声で、はっと我に返る。

 振り向くと部屋の入り口に、十二、三歳くらいの少女がこうべを垂れていた。

 去年の秋から私専用の侍女となったお夏だ。



「どうしたの」


「奥方様がお呼びにございます」


「わかった、今行くわ」



 よいしょっと文机の前から立ち上がる。

 すぐにお夏が側に寄ってきて、私の着物を整え始めた。

 急に改まってどうしたんだろ、母様。

 お夏にされるがままになりながら、ぼんやり思考を巡らせる。

 母様は普通の大名の奥方様じゃない。ちょっと用がある程度なら自分から私の元へやってくる。

 さも上流階級らしく侍女を介して娘を呼ぶなんて、滅多にやる人ではない。

 何か改まらなきゃならないことでもあるのかな?


 ま、なんでもいっか。今暇だったし。

 紀之介様へのお手紙は書いちゃったし、弟たちはお昼寝の真っ最中だ。

 私のやることなんて、もうなーんにもない。

 持て余している暇が潰れるなら、なんだって大歓迎だ。



「お支度が整いましたよ」


「はい、ありがと。それじゃ行こっか」



 お夏の先導で、私はゆっくりと廊下に踏み出す。

 楽しい理由のお呼び出しでありますように、なんて呑気に考えながら。

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