閑話 えらいところに仕えてしまった【三雲佐助・天正13年12月下旬】

「あ、その干菓子、食べてもいいから」



 市女笠をかぶりながら、小さな姫君が言った。



「はい?」


「私と母様二人で食べるには多すぎるのよね、それ」



 頬に手を当てて、姫君がぼやく。六つの女童くせに、ずいぶん大人のような仕草だ。



「食べさしだけど、佐助も摘まんでいいよ」


「いやいやいや、ダメでしょ」


「なんで」


「これ、砂糖菓子ですよ?」


「だからなによ」



 わけがわからない様子で、姫君が小首をかしげる。

 その反応に佐助は驚いた。子供だからか、それとも大名の姫だからか。この姫君は、砂糖菓子の価値をご存じないらしい。



「殿様が手ずから選ばれた京土産でしょ?

 そういう品をお方様のお許しも無しに家臣へ下げ渡すのはダメです」


「ああ、そういうこと? でもちょっとくらいならいいんじゃないの?」


「ダメです。それに砂糖菓子は貴重なんですよ。お方様がお許しになるわけありません」



 佐助がたしなめると、やれやれというふうに姫君が肩をすくめた。

 やっとわかってくれたか。佐助がほっとした瞬間、姫君がくるりと奥方の方へ振り向いた。



「母様ー! このお菓子、佐助にも分けてあげていいー?」



 振り向いた奥方が、ぱちぱちと長いまつげを瞬かせる。

 子持ちの大年増らしくないあざとい仕草なのに、しっくりくるのは何故だろう。

 奥方が童顔の美人だからだろうか。それとも計算してやっているのだろうか。

 並外れて頭の良い女人なだけに、後者の可能性があるのが怖い。



「まあ、どうして?」


「だってお菓子、多いじゃない? 私たちふたりだけじゃ食べきる前に悪くなりそうでしょ?」


「それもそうねえ。いいわよ、佐助だけじゃなくって他の皆にも分けてあげなさいな」


「はーい」



 あっさりと会話を終えて、姫君が佐助に向き直る。



「母様がいいって。遠慮せずにみんなで食べてよ」



 どうだと言わんばかりの表情を浮かべる姫君に、佐助は少しめまいを覚えた。

 この姫君……与祢姫は、本物の変わり者だ。

 家臣や使用人相手にずいぶん気安く、やけに妙な物事の捉え方や言動を見せる。

 後者は本人の気質のようだが、前者はあきらかに両親の影響だ。

 彼女の両親である山内一豊とその正室の千代も、とても目下の者に気安くてわりと開けっぴろげだ。

 本人たちいわく、山内家は一度浪人にまで落ちてから這い上がった武家だから庶民っぽい、らしい。

 かの関白秀吉も似た気質だそうだから、主君に似たといえば理解できなくもない。

 が、他の大名と比べるとずいぶん変わっている方々だ。彼らの影響を受けた家中の和気藹々とした雰囲気は悪くないのだが。



(それにしたって、こんな家に仕えることになるなんてな)

 


 人生、一寸先でもわかったもんじゃない。

 与祢姫に呼ばれて菓子箱に集まり始めた同僚たちを眺めて、佐助は思った。





◇◇◇◇◇◇◇




 佐助はもともと近江国の南部、甲賀の入り口にある三雲村の出だ。

 実家の三雲家は、甲賀郡惣中五十三家の一つ。いわゆる忍びの甲賀者の内でも有力な家であり、その中でも南近江の守護六角氏の重臣に登り詰めた大身の地侍だった。

 が、十数年前に織田信長によって六角氏が滅亡した際に時流を見誤り、現在は没落の真っただ中である。

 佐助はその没落の始まりと共に生まれた、ちょっと、いや、結構運がない人間だった。

 何しろ物心ついた頃には、農民にちょっと毛が生えた程度の生活だったのだ。

 かつては単独で明と貿易できたという経済力とは無縁も無縁。日々の食事はともかく屋敷を維持するにも精一杯で、毎日泥まみれで野良仕事をしていた。

 当主の甥という立場であるのに、武家として良い思いなど一つもしたことがない。

 それが佐助にはくやしかった。せっかく面白い時代に生まれたのに、世に出られないなんて損だと思った。



 だから、天正十三年の春。

 佐助は、生まれ育った三雲村から出奔した。



 さいわいにして村は関白秀吉による甲賀地侍の取り潰し、甲賀揺れに巻き込まれて混乱の渦中にあった。

 三雲家当主の叔父は以前から、旧領を取り戻すのために他家へ出仕していた。

 本領にいない叔父と、あわてふためく親族の目を掻い潜って出ていくのは、とても容易かった。

 任されていた墓守の役目なんて知ったことか。さっさと家を再興してくれない叔父が悪いのだ。

 俺は俺で世に出てやる。小さな村の庄屋もどきではなく、きちんとした武士になってやる。

 ささやかな野心と父の形見の槍を手に、佐助は京の都に上って従兄弟が養子に入った親戚を訪ねた。

 その親戚は今、京でも腕利きの医家として名を馳せている。彼のツテを辿れば、良い条件の士官先が見つかるかもしれない。

 そういう打算の訪問だったが、親戚も従兄弟もこころよく受け入れてくれた。

 三雲家の惨状を、彼らも彼らでそれなりに気にしていたようだ。

 すぐに一筆したためて、人材募集をしている大名家を紹介してくれた。


 それがこの、山内家だったのだ。


 領地は近江国長浜二万石という大名としては小身ではあるが、悪い家では決してない。

 当主の山内対馬守一豊は律儀者と評判で、人柄も温厚という仕えやすそうな人物だった。

 豊臣家中での立ち位置も悪くない。関白秀吉とゆかりが深い長浜の地を任され、後継者候補の近江中納言秀次の付家老を任されるほどの信用を得ている。

 秀次が順当に秀吉の跡目を継げば、重臣として未来が約束されている。そういう安定したお家だった。

 また、山内家にあまり人手が足りていないのも好都合だった。

 新参者の佐助であっても、上手く立ち回れば足軽大将か奉行くらいには出世が見込めるだろう。

 佐助はそんな皮算用をして、うきうきと山内家の門を叩いた。

 多少は不安はあったが、親戚の紹介状の効果もあって、あっさり佐助は雇い入れてもらえた。

 うちに入ってしまえば、あとは簡単だった。佐助自身の要領の良さもあって、あっという間に近習、つまり主君である一豊の側仕えを任されるまでになれた。

 もう楽しかった。励めば励んだだけ評価される。とんとん拍子に駒が進む。

 やっぱり村を出てよかった。そう満足して働いていたある日のことだった。


 主君の一豊から、酒に誘われたのは。


 日頃の労をねぎらわれ、気が利くと褒められ、悪い気はせず酒杯を頂戴した。

 一豊は褒め上手らしい。するすると佐助の気持ちを良くしてくれた。

 そうして佐助が認められる心地よさに酔い、勧められるまま酒を楽しんでいる最中。

 いつもと変わらずおっとり笑んだまま、突然一豊が言った。



「其の方、本当は田中姓ではなく三雲姓だな」


 

 心地良い酔いが、瞬きの間に醒めた。



「甲賀者なのであろう」



 隠さずともよいよ、と一豊が穏やかに言う。

 ゾッとした。まるでいつもと同じ温厚な主人であるのに、まったくの別人にしか見えない。

 思わず後ろへいざりかける佐助の膝を、厚みのある手が抑える。



「案ずるな、案ずるな。うちから追い出そうとか、間者を疑うているとかではないよ」


「あの、殿、なぜ俺が、甲賀者に……忍びに見えたのですか……?」



 どうして、一豊は佐助の身元を知ったのだろう。

 甲賀者ゆえに妙な疑いを持たれぬよう、親戚と相談して母方の田中の姓で仕官した。

 真実を混ぜた偽の経歴も仕立ててあったし、立ち振舞いにもしっかり気を付けていた。

 佐助も忍びの技術は一通り身に付けている。しかも人間に紛れ込む術は得手中の得手だ。

 叔父の指示で何度か情報収集に従事したことがあるが、身元が割れたことは一度もなかった。

 だから、こんなのんびりした御仁に正体を見抜かれるなど、夢にも思わなかった。

 困惑する純朴な青年を装った表情の下で、佐助は静かに焦った。

 隠し通すべきか、明かすべきか。

 考えあぐねていると、にこにこと一豊は目を細めて口を開いた。



「佐助、其の方がうちへ来た時に、施薬院全宗殿の紹介状を持っていたではないか」


「はっ?」


「かの御仁はそも近江国は甲賀の出であろう? 少々調べたが、ご養子も甲賀三雲家の出だとか。

 そしてその母御の姓が田中姓。其の方も同姓となれば、もしや同族ではあるまいか、と思っただけさ」



 どうやら当たりだったようだな、と一豊がからから楽しげに笑う。

 しまった、カマをかけられた。そう思った時には遅かった。

 まあまあと酒杯を勧められ、半ば強引に飲ませられながら、素性の洗いざらいをすっかり吐かされた。



「なるほどなあ、山内家とほとんど同じか。其の方も苦労したのだな」


「は、はぁ……」



 話を終えた佐助を前に、一豊が眉を下げた。心底佐助の境遇に同情しているらしい。

 聞けば一豊もかつて、佐助と似たような経験しているそうだ。

 元々仕えていた家が先の右府様に敵対して滅ぼされ、落城と同時に父親と兄が自刃。身一つで放り出された一豊は、関白殿下の元に辿り着くまでエライ目を見たのだという。

 これには少し佐助も驚いた。自分と一豊にそういう共通点があるとは思いもしなかった。



「このままうちに仕えていなさい。悪いようにはせんから」


「いいのですか?」


「もちろんだとも。儂の同類であれば信用ができる」



 そう言う一豊の口調には、先ほどよりも親しみがこもっている。

 この御仁は鋭いわりに人が信用しすぎはしないか。覚えた不安が、意地の悪い言葉に変わって佐助の口から出た。



「俺、殿を騙しているのかもしれませんよ。敵方より調略に来た者だったらどうしますか」


「ははは、そしたら其の方の頭に風穴を開けるだけだなあ」



 言ってのけると同時に、一豊は後ろに立て掛けてあった槍を掴んだ。

 瞬きの間もなく、穂先が突きつけられる。

 早い上に隙のない動きだった。眼前数寸の白刃が、ぎらりと灯明を弾く。

 その向こうで、一豊がにっこりと笑っていた。



 あ、死んだな。頭をぶち抜かれる。



 平然と差し出された殺気が、佐助の身動きを完全に封じた。

 


「……申し訳、ありませんでした」



 からからの喉から、掠れきった謝罪を絞り出す。

 それでやっと、室内の空気の強ばりが解けた。

 一豊が槍を下ろす。丁寧に背後へ掛け直してから、ゆったりと酒杯に手を戻した。

 ごくごくと酒を飲み干してから、一豊はあきれ顔で佐助をたしなめた。



「其の方な、軽々しく大人を挑発するものではないぞ」


「はい、今しがたじゅっっっぶんに思い知りました」


「わかればよろしい。以後気を付けなさい」



 当たり前のことを忘れかけていた自分が恥ずかしい。

 一豊は実力主義の傾向が強い関白秀吉の麾下で、城持ちにのしあがった人間である。

 しかも任されているのは、よりにもよって秀吉にもっともゆかりが深い長浜の地と城だ。

 ただ者のはずがないのは自明の理だった。

 元から佐助のごとき若造が勝てる相手ではなかったのだ。



「さてと、まずはそうだな。其の方、名乗りを三雲姓へ元に戻すがいいよ」


「いいのですか? 無用の疑いなどを持たれるかも」


「家老の五藤たちには上手く儂から言っておくから気にせんでよい。

 それからきちんと実家に連絡を取るように。繋がりを切らないようにせよ」


「甲賀者がご入り用ですか」


「さよう。実はな、そろそろ裏方を任せる人材がほしかったところなのさ」



 大名になったからな、と一豊が朗らかに言う。



「実家とまた繋がったら、信用できる者を少数でもいいから当家に呼びなさい。

 呼んだ者どものまとめ役は、其の方が近習の役目とともに兼任せよ」


「我らに何をさせるおつもりですか」


「主に情報の扱いだな。世間の金、人、物の流れを逐一集めよ。逆に他家に流れる当家の情報の手綱も握れ。

 戦場での乱波の働きは特にせんでもいい」



 なるほど、と佐助は感心した。

 甲賀者の得手の一つは、間諜(うかみ)だ。

 商業や製薬業に携わる者が多いという土地柄、甲賀の者は行商として日ノ本の各地へ赴くことが多かった。

 ゆえに各地において現地の人間と世間話を交わす機会が多く、知った情報を元に商売先を選ぶ術を身に付ける者が現れるのは必然だった。

 こうした必然が発展して、甲賀において情報の収集や操作といった技術が磨かれる結果になったのだ。

 一豊はそうした甲賀者の強みを、正しく運用する気でいるらしい。

 


「でしたら情報を流せる者も要りますね」


「其の方、わかっておるな」



 一豊が機嫌よく頬をゆるめる。



「平時は目立たず、出すぎず、しかしここぞという時には抜け目なく。

 それが当家の方針でな。家が大きくなった今、儂には佐助の力が必要なのだよ」



 よろしく頼むぞ、と肩を思いきり叩かれる。

 痛いけれども佐助は、一豊の温い手の感触が嫌ではなかった。

 だから返事の代わりに、頭を垂れた。いくぶんか、深めに。

 期待されるということの味を、はじめてしっかりと自覚した瞬間だった。




◇◇◇◇◇◇




 それからまもなく大きな地震があって、山内家の城と領地がぐちゃぐちゃになったり。

 奥方と姫君が瓦礫に埋まったという知らせを受けて、発狂寸前の一豊を必死で抑えたり。

 無事だった奥方と姫君に紹介され、彼女らの一豊とは違った頭の良い変人っぷりに困惑したりして、今に至るわけである。



(まあ、不満はないんだけれどな)



 だって山内家は、面白いし。

 

 やけに大人びているくせに変に物知らずという妙な姫君。

 

 頭の回転が早くて立ち回りも上手いどこか少女めいた奥方。


 妻子をひたすら溺愛する、おっとりしたふりをして底知れない主君。


 側にいて飽きない、妙だけれど仕えごたえのある人たちだ。

 彼らに仕えていれば、きっと退屈とは無縁に暮らせるだろう。

 少なくとも、小さな村で庄屋もどき兼墓守なんかしているよりは。

 なんとなく、そんな予感が佐助にはある。



「佐助、変な顔してどうしたのよ?」



 姫君の声で、ふいに思考が遮られる。

 きらめく湖面を背景にした彼女を、佐助は眩しげに見返した。

 


「なんでもありませんよ」


「変なのー」


「はいはい、そろそろ港に着きますよ。お方様の元へお行きください」



 小さな背中をそっと押して、奥方の元へ送り出す。

 危なげなく早足で行ってしまう姫君の背中を、ゆっくりと追いかける。




 そして、今日もまた、佐助の充実した一日が過ぎていくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る