第39話 飛竜探索
そうして訪れた飛竜探索初日。
そこに現れたのは『あいつは駄目だ』と立浪に言われていた紫苑だった。
いつものように首元まで覆った藍色の服は防護よりも動きやすさを重視して二の腕が剥き出しになっている。町で普通に歩いているそこらの女性よりも肌理が細かい、そしてその白い腕は腰に差した刀を手持ち無沙汰に弄っていた。
まだ何も起きていないうちから物騒極まりない。
「立浪くんが他にも呼んできて良いと言っていたんだけど、…どうやら僕は人選を誤ってしまったようだね」
紫苑の姿にアヤメと立浪が複雑な表情を浮かべたのを見て棗が申し訳なさそうに眉を下げた。
「タツ…」
「すまん、棗さんが紫苑の義兄だってことを失念していた…」
「なんだお前ら。俺が来ちゃ悪いのかよ」
憮然とする紫苑の機嫌はそれでもまだ良い方らしく台詞とは裏腹に声は明るい。
「飛竜だって?面白そーじゃん」
意気揚々と声を弾ませる。紫苑の気持ちは既に戦闘体制に入っているようだった。
はえーよ、と心の中で突っ込みを入れ、曇りひとつない澄みきった空をため息と共に仰ぐ。目にも心境にも痛々しい蒼さだった。
これは、見るからにやる気満々な紫苑を暴走しないように注意して見ておかねばならない。
同じ気持ちだろう隣の立浪はというと紫苑を視界に入れた瞬間から、もはや諦めていたのかすっかり頭を切り替え何も言わずに今回の資料を確認していた。
ちなみに、二人のあからさまな士気の下がりように当の本人はまったく気にしていない。代わりに棗が困っていた。
「紫苑くん、あんまり二人に迷惑をかけたら駄目だよ」
「何言ってるんですか。やばくなった時になんだかんだ言って真っ先に特攻するのは俺じゃなくてこの二人なんですから、むしろ俺が見張っておかないと」
「ちょっと待て、聞き捨てならない」
「お前は鳥頭か?こないだもそれでアヤメが勝手に飛び出して怪我してたんじゃねーか」
ひどい言われように口を曲げる。
「タツも一線越えたら見境なくなるしな。お前らみたいなのと棗さんを一緒に行動させるほうがよっぽと危ない。くれぐれも迷惑かけんなよ」
「はあ?喧嘩売ってんのか、買うぞ」
「ほら、すぐに頭に血が昇る。ちっと血抜きしてほしいって言うんなら来いよ」
バチバチと見えない火花を飛ばし合う紫苑と立浪はお互い殺気こそ出していないものの、このまま殴り合いの喧嘩に発展するのも時間の問題だった。
少し自分から的が外れ、第三者の視点に立ったアヤメは冷えた頭で二人から速やかに距離を取る。
「ちょ、ちょっと二人とも…」
「棗さん」
慌てて二人の間に割って入ろうとする棗を制止する。焦る棗に首を振り、止めてもどうにもならないことを視線だけで告げた。棗はハラハラとしているようだが、そうしている間にも紫苑の先手が立浪の腹に入ろうとしていた。
アヤメは黙ったままスッと懐から三角錐の形をした白い物を取り出す。そして先が細まっている方を唇にくわえると力一杯息を吹き入れた。
「イッッ」
すぐさまその場から飛び退いた紫苑が自分の両耳を塞ぐ。何かに耐えるように歯をきつく食い縛り視線を周りに走らせた紫苑はアヤメの姿を捉えるなり罵声を浴びせた。
「こっっのクソアマ!」
「ひどいなー」
あまりの言い様に口にしていた角笛を離し笑ってしまう。立浪も先程まで険悪な雰囲気を出していたのにつられて吹き出している。
「あのね、時間ないんだって」
「うるせえ!俺にそれ使うなって何度も言ってんだろ!」
「いや、こうでもしなきゃあなた止められないんですよ…」
ははは、と苦笑しながらも片手を顔の前に掲げ一応謝罪の姿勢は取る。安易に使ったものの、紫苑の耳が捕らえた音はアヤメの聞いたことのない不快さだろう。
「獣笛…?」
アヤメが再び懐にしまおうとしたものを棗が珍しそうに見た。
「あ、そうです。これ、本当なら動物にしか聞こえない音なんですけど、なんでか紫苑には聞こえるらしくて」
「アヤメ…お前にはわかんねえだろうけど、それ鳴らされたら悪寒がするんだよマジでヤメロ」
「そういうこともあるんだ…、紫苑くん、きみ相当耳が良いんだね」
精霊と意思疏通ができ、通常の人には見えないものが見え、そして極めつけは動物にしか聞こえない音が聞こえる。
アヤメも立浪も多少人よりも五感に優れていると自負しているが、紫苑は段違いに鋭かった。鋭すぎて敏感と言っても良い。本人はそれに苦労することもあるようだが。
「普通ですよ。姉上だって聞こえるって言ってましたし」
「君たち姉弟は普通の括りに入らないと思うんだが…」
呟く棗の顔は若干引いている。棗の妻で紫苑の姉である菫は、紫苑のよう精霊使いではないものの同じように感覚が鋭い。衰えることを知らず、年々鋭敏になっていくそれらは、確かに『普通』とは異なっていた。
その菫はというと、只今絶賛育児中により今回の探索には参加していない。そのため代わりとなって魔獣に詳しい棗が参加したのだった。ちなみに村の自衛団にも呼び掛けてみたが、色んな意味で寿命を縮めたくないとの理由で誰も誘いに乗らなかった。
「それより、いい加減そろそろ行きましょう。アヤメ、タツ、案内任せた」
さも自分が今の今まで喧嘩を始めようとしていたこともなかったかのような態度である。三人のうち一人は顔をしかめ、一人は困り顔をし、一人は本日何度目かの苦笑を溢した。
紫苑は行き先もわからないのにこの場からさっさと移動している。アヤメは二人に肩を竦めてみせ、今にも真逆の方向に進んでいきそうな紫苑の背を追っていった。
まだ太陽は昇ったばかりで、日が低く、森の中は薄暗い。四人の間を風が通り抜け心地好かったが、今しがた風が吹き込んできた目の前は鬱蒼としており、注意しなければ足元を見失ってしまいそうな場所であった。
先頭を行くアヤメは慣れたものですいすいと木々の隙間を縫って進んでいく。その歩みに迷いはない。
棗は時おり木の根に自生している苔に足を捕られながらついていった。
しばらく進んでいくと、やがて地面を覆う草がある一定の幅で剥げている道が見えてきた。
ちょうど人の足ほどの幅のそれは、何度もここに人が通っただろう証だ。
その先は多少視界が開けており、一軒のこぢんまりとした小屋が佇んでいた。
小屋の前に男が一人立っている。
濃紺の詰め襟に腰まで隠した長い羽織、王立軍の隊服を着たその男にアヤメは覚えがあった。
「八手(やつで)」
名前を呼べば、気づいた男がこちらに軽く手を振って応えた。
「アヤメ!」
アヤメが小走りで八手の正面まで来るとニッと笑顔を見せた。
50代中頃であるという八手はを全くそのようには見えない逞しさである。八手はここ、白杏と西との国境の守り番をしていた。
守り番といっても、少し前に東西の国交は復交しており人々は自由に行き来できるため、現在では旅のものの休憩所や、王立軍の中継地点の役目となっているが。
「久しぶり」
「おう、本当にな。後ろにいるのは紫苑に立浪か、…っともう一人は?」
「棗と申します」
「棗か。俺は八手だ。ここで交代で守り番をしている」
がははと快活に笑って己の拳同士を付き合わせた。八手も控えめに笑って礼を返す。研究者らしい棗は八手が苦手なタイプかとも思えたが、様子を見ているとそうでもないらしく朗らかな雰囲気だった。
「立浪!お前随分背が伸びたなぁ、俺よりでかいんじゃないか?紫苑は…まあ少しは伸びたか」
「少しはってなんだよ」
長年国境の守り番をしている八手は紫苑と立浪とも面識がある。久方ぶりの対面にそれぞれ軽口を叩き合う。
「もうこっちは全員揃ってるぜ」
一旦全員と話したところで八手はくいっと親指で小屋を指した。
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