第29話 穢れ
ドンッ
強く体を押される。
思わぬ方向からの衝撃に不意打ちを食らった空木はその場に倒れこんだ。
反射で目をつむる寸前、目映い月色を捉えた。
それは闇の中では似つかわしくない光そのものだった。
「ロー」
静かな、凛とした声。
「ロー、抑えろ」
聞き覚えのある声に目を開く。
眼前に広がった光景に空木の全身が鳥肌立った。
「抑えろ」
異様な光景だった。
肩口を狼の牙に抉られていながら、平然と、まっすぐに伸びる背。
骨まで達していることは確実だろう、しかし深く食い込んでいるその牙に何も感じていないかのような震えのない声であった。
肉を抉る嫌な音をたて狼が牙を引き抜く。
「…アヤメ…貴様…」
空木から見ても狼は動揺しているようであった。
信じられないものを見る目つきで自分を守る眼前の人物を見上げる。
「正気か」
「駄目だ、殺すな」
「何故庇う」
狼の疑問は空木の疑問でもあった。
右手の痛みも忘れて目の前の背中を見入る。
「貴様の後ろで這いつくばっている男は森を汚そうとしたんだぞ」
「…殺された者の死は穢れとして溜まる」
「亡者のことなど知ったことか!」
「それじゃ困るんだよ」
ビクリと空木が肩を震わせる。
空木の背後から姿を現したのは小柄な青年。
「アヤメ様、大丈夫ですか」
その後ろから現れた赤い髪の青年。スッとアヤメの隣に立ち、割いた布で素早く止血を施した。
「ああ」
気丈な返事をしながらも、その肩口からは止めどなく血が流れ出ている。
紫苑は一瞬痛ましそうに傷に目を遣り、すぐに狼へと視線を鋭くさせた。
「何してんだ」
「次から次へと…」
「…おい、何だよこれ…」
辺りを見渡す少年の黒の瞳が鮮やかな虹色へと変わる。虹彩を放つその瞳は辺りに視線をさまよわせた後、眉を深く寄せた。
「…二人…三人か。」
ぼそりと呟かれたその言葉に空木の背中に冷たいものが走った。
(識眼ーーー!?)
精霊の目と称される、思念や気、ありとあらゆるものを見透し、死者の残滓さえも視ることができる目である。
「穢れは森を病ませる。
死者の負の念は水を濁らせ植物を腐らせ生物の成長を滞らせる。ロー、殺すなら余所でやれ」
言い放つと、懐から一本の細い糸を取りだし空木の前に屈み込んだ。口早に何か唱え手早くそれを空木の腕にきつく巻き付け結ぶ。
「何を…」
淡々と作業をする青年を空木がハッと見返す。
何も誤魔化すことができない、すべてを知っているかのようなその瞳に空木は身震いが止まらなかった。
バレてしまう…
すべてが見透かされてしまう…
恐怖が空木の全身を包み、頂点に達した。
恐らく本能的な自己防衛なのだろう、無意識に声をあげていた。
「貴様ら…どうしてわからない…!」
自分でも何を喋っているのかわからなかった。痛みと恐怖、両方が空木を襲い、恐慌状態に陥らせていた。
「私は国のためを思ってやっているんだ!なのに何故邪魔をする!?」
そうだ…、と自分自身に暗示をかけるように思い込ませる。
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