第13話 予感

 結局アヤメと月が昼食を取れたのは日がかなり傾いた後だった。

 菫と別れた後、学院で保有している馬が突如逃げ出し、厩舎に戻す手伝いをしているうちにすっかり夕方になってしまったのだ。


「お腹減った…」


 ふらふらと席につき、机に顔を突っ伏すアヤメを、メニューを確認する横目でちらりと見る。


「燃費悪いですよね」


「そうだねぇ」


 自覚があるので素直に頷く。


「あとよく食べますよね…細いのに」


「…痛いところを突くのはやめて」


 アヤメが気にしていることを悪びれなく指摘してくる月に渋い顔を向けた。


 部下の体つきは傍から見ていて憎たらしくなるほどしっかりと鍛え上げられていた。服の上からでも厚い筋肉で覆われていることがはっきりとわかる。


 …自分と見比べ少々悲しくなってきた。


 何気なく眼鏡を押し上げる手つきの繊細さに何とも色気がある。自分の貧相な体を自覚しているが故、この男の隣に立つのは居心地が悪かった。


「着痩せするタチなんだ」


「はあ」


 適当に話しているうちに給仕が注文を取りに来た。適当に何品か注文し、また行儀悪く寝そべる。


 窓の外を見ると、ちょうど日が落ちていくところで、建物の照り返しの眩しさは目が痛くなるほどだった。


 石畳にところどころ嵌め込まれた赤や黄色の鉱石、道の脇から覗くふくよかな緑の葉、茶色い三角屋根を頭に乗せたこぢんまりとした建物の群れ、それらが陽に照り返され、夕暮れ時特有の少し切なくなる情緒を感じた。

 もっと奥に目を凝らせば、白杏を守るように佇む大きな森が広がっているのが見える。


 アヤメは美しい風景に目を細めた。


 白杏は共存の村だ。

 互いに護り、護られている。

 自然の加護により白杏は生きている。


「…逃げ出した馬」


 片腕を枕に、ぼうっと遠くを見つめていたアヤメはぼんやりとした口調で言った。


「今日逃げ出した馬は何か嗅ぎとってるのかもしれない。…良くないことが起こるって」


「空木のことですか?」


「そう。動物のほうが鋭い」


「思い過ごしでは」


 眠そうな目を一度擦り、月に向き直る。


「どうして」


 意外な返答であった。

 この男の性格的に、用心深く空木を注意しているだろうと思っていたからだ。


「まず、白杏は治安が良いでしょう。奥まったところにあるおかげですかね、野党の類を見たことありません。

 あとは、民間の自衛団を持っていますし、きちんと機能もしています。

 何より、東と西の国境付近には王立軍の駐屯地があります。下手に刺激して睨まれるようなことは空木もしたくないと思いますが」


 軍と言っても、様々な規模のものがある。

 白杏にもあるような、居住している民が団結して作る自衛団。国が町や村から人員を募り作る国軍。そして王直属の部隊から編成される王立軍。


 王立軍は主にそれぞれの部隊に不正がないか、また軍同士で争いがないか、反王武力の危険性はないかなど、中立の立場で見張り、王国全土に危険をもたらすと判断した場合は政治的圧力、また武力によって介入する。


 王立軍に所属する者は当然だが腕の立つこと以外にも、礼儀作法から教養、道徳心などあらゆることが求められており、限られた者しか入隊できないため、ほとんどの民から絶対の信頼を得ていた。


 その王立軍の駐屯地が白杏にもある。


「白杏以外にも視察は回ってるんでしょう。やっぱり考えすぎだと思うのですが」


 月の言っていることは勿論、アヤメも考えたことだ。

 空木が白杏に来たからといって、イコール白杏に何かをするということではないのだから、特別構えたり大騒ぎする必要はない。


 しかし、つらつらと並べられた言葉はまるで周到に用意されていたかのようだ。

 この男の真意であるとは思えなかった。


「どうも引っ掛かるんだ。わざわざ局長自ら来る必要あるのかな。本命でないならば、部下に任せておけば良いのに…」


 空木がこんな辺境の村にまで訪れたことが気になる。白杏にいくら広大な森があるからといって、軍事施設を建てるにはデメリットのほうが多い。そんなことは訪れる前からわかっていることだろう。

 アヤメの指摘に、月は腕を組んで黙り込む。しかし特に反論する言葉がなかったのか、すぐに顔をあげ素直に同意した。


「まあ、確かにそうですね。本来の仕事をほったらかして来てるわけですから」


 どうやら試験は合格か。 

 アヤメは笑って軽口を返す。


「物見遊山」


「だとしたら局長って役職は相当暇なんですね」


 アヤメは自分で言いながらも観光目的で空木が視察に来ているなどとは露程も思っていなかった。軍人らしい気質を持つ空木がそんなことに時間を割くとは思えない。

 考えがまとまらず、グラスに入った水を一口飲んだ。


 下唇を指で擦り、じっと黙り込む。




 一人耽るアヤメの様子を月は思考の邪魔にならないように黙って様子を見ていた。


 若き上司を間近で観察してみる。

 白金の髪と金の瞳、といった目立つ風体であるにも関わらずアヤメの顔立ちは決して派手ではない。美醜でいえば美の方に入るにも関わらず、兄の藤馬や紫苑のような人目をひくものではなかった。それでも気になって常に目で追ってしまう。


 ーー掴めない


 それが月のアヤメに対する印象であった。

 掬っても手から溢れ落ちる、水面に浮かぶ月のようだと思う。実体はあるのに決して本質を見せることはない。

 単純かと思えば複雑で、思慮深さはあるようだが、唐突に仕事を放り出して結局は後に自分の首を絞めるという思い付きの行動も起こす。


 伏せられた瞼が時折、思い出したように瞬きをする。

 考え込むと周囲を気にしなくなるのはアヤメの兄に似ている。その無防備とも言える姿に少しは自分を信頼してくれているのだろうか、と何となく思った。

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