第3話 師と弟子、そして新たなる出逢い
深い皺の刻まれた穏やかな顔。短く整えられている白髪は丁寧に左右へ撫でつけられている。
白杏の長であった男は、久しぶりに見る弟子の姿を――ボロボロの姿を可笑しそうに眺めた。
「悪かったね。無理矢理呼び出してしまって」
ゆったりと手を組み微笑む姿は優雅であり、とてもでないが彼を師として仰ぐ者が目の前にいるくたびれて覇気のない少女だとは思えない。
立浪から引っ捕らえられるようにして宿へと押し込まれたアヤメは、ぐしゃぐしゃによれたシャツを申し訳程度に整えたあと、自分の醜態を特に気にした風もなく笑顔を浮かべて首を振った。
「いえ…。久々の再会がこのような形となってしまってすみません…。
先生こそお忙しかったのではないですか?
…私の補佐をまさか先生が連れてきて下さるとは思いませんでした」
「逆に暇だったくらいだよ。
でも、そうだね、私も藤馬くんからこのような頼みごとをされるとは思わなかった」
師から出た意外な人物の名にアヤメの眼が僅かに見開く。そして同時にそうか、と納得した。銀葉(ぎんよう)は今、藤馬の治める陣に属している。
立浪の赴任は銀葉の元へと、ということだったのだ。薬学の知識と癒術に長けている立浪は度々藤馬から駆り出される。
しかし、『頼みごと』とは。
「兄が先生に?」
「精霊に関する調査で、ちょっとね」
含みのある言葉にアヤメは小首を傾げ視線を投げるが、銀葉は笑ったまま詳しく喋る気はないようだった。
――…相変わらず謎の多い人だ。
銀葉の黒黒とした瞳の中で夜空に輝く星のように虹彩が妖しく光った。覗き込むと、その星空に引きずり込まれてしまう気がして、アヤメは頬をかきながら壁側へと視線を外す。
銀葉はアヤメと藤馬の育ての親のようなものだった。そして同時に体術や剣術、魔術を教えてくれた先生でもある。残念ながら、才がないのか、アヤメは魔術が空きしだったが。
顔を綻ばせながら銀葉はゆったりと言った。
「成長したね」
数年ぶりに会う弟子を一瞬ですべてを見通したかのように見えた。
師からの手放しの賛辞に気恥ずかしさと嬉しさを滲ませ、同じように視線を真っ直ぐ合わせた。
「そうでしょうか」
「うん、見ればわかるよ。欠かさず鍛練していたようだ」
「体術のほうは、ローが付き合ってくれましたから」
「ああ…。それは良い鍛錬になりそうだ。
彼とも久しく会っていないな」
「あいつは変わらずですよ。森から出ようとしない」
困った風に笑うアヤメを見て銀葉も苦笑した。
「好きにさせておきなさい。彼は主君の命を果たしたいだけだよ」
「私には縛りつけられているように見えます」
友である狼を思い、アヤメがそっと目を伏せる。そんな弟子の姿に銀葉は優しく語りかけた。
「あの森が今のように何事もなく維持できているのはローが守ってくれているからだ。他人が何を言っても耳を貸すまい」
「確かにそうですが…」
「彼はそれで満足してるんだろう?」
「…はい」
「なら好きなようにさせておきなさい。君も兄と同じく相変わらず、過保護だね」
「…?」
「藤馬くんのことだよ。家族を思いやることは素晴らしいことだが、そろそろ妹離れしないと」
急な話題の変化に戸惑っていると、銀葉はおかしそうに笑った。
「はあ…。
兄がそこまで私を気にかけているとも思えませんが」
「ふふ、大切なものは自分の宝箱の中に閉じ込めておきたい種類の人間だよ、藤馬くんは」
「先生からはそんなに保守的に見えますか?」
「見えるよ。アヤメくんも気を付けなさい。彼が行き過ぎないように」
肯定も否定もできずアヤメが黙りこむ。すると、不意に銀葉は軽く扉の方を見た。
「さてさて本題だが、
…君は自分の補佐官がどんな人物か、気になるかい?」
…あ…
悪戯を企んでいる目だ、と思う。
銀葉はこういった目をよくアヤメに見せた。
一見温和そうに見えるこの人物は、案外茶目っ気が強い。そしてその茶目は、茶目と称するにはかわいらしくないものが多かった。
「彼は非常に面白い男だよ」
「えっと、先生…、何か企んでます?」
「私は何も?」
「………」
「ははは、本当だよ」
すっ、と目の前に人差し指が伸ばされる。
「君はもっと人付き合いの仕方を覚えるべきだ」
さらに一本、指が立てられる。
「きっと彼を気に入るよ、アヤメくん」
「どういう…」
コンコン
ノックの音が会話を遮った。
言葉を最後まで言う前に思わず、アヤメの意識がドアに逸らされた。
「入りなさい」
ドアの向こうに、変わらぬ声音で銀葉が告げる。
「失礼致します」
低い声が響き、ドアが開かれる。
二人の視線を受けながら、その人物は堂々たる姿勢で部屋へと入ってきた。
(うわ…)
通常の人間にはない佇まいにアヤメは目を逸らすことができなくなり、釘付けとなった。
(なに…)
自然の少ない土地では滅多に現れない精霊が、この男の周りに集まってきている。
アヤメは思わず立つことも忘れ、じっと見入った。
もはや、動揺するアヤメを面白がる銀葉を気にする余裕もなかった。
動かないアヤメに向かって、美しい所作で膝を下り、立てた片ひざに両腕を置き、深く頭を垂れる。
「お待たせして申し訳ございません。此度、銀葉様の命にて参上仕りました。
名は月(げつ)と申します」
「アヤメ、今日から君の補佐をする者だ」
アヤメは生まれて初めて、誰かに『見惚れる』という行為をした。
胸の奥が暴風雨でも吹き荒れているかのようにざわめく。
強く、惹きつけられる。
「あなたに光と水の祝福を」
眼鏡の奥の紅が鋭く光った。
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