俺より役作りを徹底している俳優っているの?

ちびまるフォイ

台本はよく読んで学びましょう

ついに、ついにこのときがやってきた。


俳優学校を卒業して舞台のちょい役をするだけの日々。

親からは「いい加減まともな職につけ」と言われ、

友達からは夢追いニートなどと言われ続けてきた苦難の日々。


そんな人生負け組の自分にもついに神が与えたチャンスが!


「俺が……映画の主役だなんて!!」


受け取った台本はあまりの嬉しさに観賞用と保存用と読み合わせ用と墓場用でコピーを取った。

この作品が人気が出ようが出まいが、今後の俳優人生を決める分岐点であるのは明白。


「やってやるぞ……!」


映画は裏社会のドンにスポットを当てたサスペンスものだった。

自分が演じるドンは非常に完璧主義かつ、性格は癖だらけ。


自分が統括する"ファミリー"と呼ばれる組織も一癖も二癖もある人間ばかりで、

それらをまとめ上げる人物となると常人ではいられないのだろう。


「もしもし? 独房ホテルですか? ええ、3ヶ月ほど部屋を借りたいんです。

 はい……ただ部屋には誰も入れないようにしてほしくって……はい、お願いします」


撮影開始までの3ヶ月。

俺はこの時期に完璧なる「ドン」の役作りを決めた。


予約したホテルの一室に入ると、台本をすべて読んでドンの部屋を完全再現した。

あまりに簡素で事務的な部屋は役作りでもなければ1秒たりとも長居したくない。


「俺は裏社会のドン……そうだ。そうだろう」


ハサミを手に取ると、自分の髪をばっさり切り落とした。

裏社会のドンのキャラに近づけるため、毛根を痛めつけてうすらハゲを作り上げた。


体はキャラに合わせて激ヤセする必要がある。

完璧主義の男は食事にもとくに気を使っている。


毎日の食事はりんご1個とコーヒー1杯のみ。

空腹は水だけで抑え込むしかない。


裏社会のドンは苛烈な仕事とストレスで慢性的に睡眠不足。

しかし今の自分は睡眠たっぷりの健康優良児。

この溝を埋めるには同じ生活をするしかない。


徹夜を何度も繰り返し、現実と夢の境界線があいまいになるほど体を追い込んだ。


血色の良かった顔には青白くなり、目の下には深いクマが刻まれた。

台本によればドンはおじさん設定なので、頬を垂らすために口の中に脱脂綿を突っ込んだ。


鏡にうつる自分はもはや誰だかわからない。


「俺はドンだ」


鏡に向かって呪文のように毎日唱え続ける。

しだいにこの習慣もばからしくなっていった。


3ヶ月も続けていると自分がドンであることなんて当たり前のこと。

「私は人間です」と言っているようなものだ。


ドンが俺なのだから。


撮影開始日、ホテルのチェックアウトをしようと向かったとき1通の連絡が届いた。


『申し訳ございません。今このご時世で収録ができなくなっています。

 もう3ヶ月ほど収録開始が後ろ倒しになります』


「……え」


チェックアウトするどころか、再度ホテルの缶詰地獄が延長戦となった。

役作りに打ち込める期間が伸びたのはよかったが、元の自分がドンドン失われていく恐怖があった。


けれど、今後のキャリアを考えたのならどちらを選ぶかは明白。

俺は裏社会のドンなんだ。


あるとき、てっきり撮影開始していると思いこんでいる親が連絡をよこした。


「もしもしタカシ? あんた主役の映画は収録はじまってるのかい?」


「タカシ?」


一瞬、誰かと思った。そうだ、タカシという息子だったのを思い出した。


「ああ、そうだ。撮影開始が延期されている」


「……あんた本当にタカシかい? 声も何もまるでちがうじゃないか」


「役作りをもっとやらなくちゃな……」


タカシ役になりきれていないのは自分の実力不足からだろう。

裏社会のドンたるもの、様々な人間を演じ分けられなければやっていけない。


もう3ヶ月経ったとき、次の連絡は再延長の通達だった。


『大変申し訳ございません! まだこのご時世ですので収録ができません!

 もうちょっと! もうちょっとお待ち下さい!!』


今度は期間が書かれていなかった。

撮影がなんだったのかわからなくなったが、思い出した。


「俺は……裏社会のドン……」


台本には自分の役名と、本名が連なって書いてある。

もはや自分の名前を見てもピンとこない。

どちらが役名でどちらが本名なのか……。


りんご1個とコーヒー1杯。

あばらが浮き出るほど痩せこけた体。


睡眠不足でくぼみギラついた目。

ほっぺは加齢を思わせるほど垂れさせた。


体も心もすでに最高の状態に仕上がっている。

この限界生活をいつまで続ければいいのか。



「お客様!? お客様!?」


ドアをドンドンと叩く音で目が覚めた。

汗びっしょりの布団から這い出して部屋のドアを開けた。


「お客様、大丈夫ですか!? 部屋の外からも聞こえるほどうなされてましたよ」


「うなされてた?」


「はやく撮影はじまってくれ、と何度も何度も叫んでいました」


ホテルのスタッフは証拠とばかりにスマホで録音された音声を流した。

獣のようなうめき声で何度も何度も「はやく撮影してくれ!!」と叫ぶのが聞こえる。


「俺がこんな声を……」


「お客様がこのホテルに来た頃には、むしろこの声でしたよ。

 今は……その、だいぶ最初の頃とは違っていますが……」


「俺は裏社会のドンで、このホテルを一時的な根城に……いやちがう。

 俺はタカシとしてこのホテルを予約した? あっちが現実か?」


頭が混乱してくる。

どこまでが役でどこまでが自分なのかわからない。


「お客様、落ち着いてください! あなたは山田タカシ様ですよ!」


「ちがう!! 俺はドンだ!! 裏社会を牛耳るドンなんだ!!」


言い聞かせるように叫んだとき、1通の連絡が届いた。


『おまたせしました! 収録再開のめどがたちました!

 これより映画の収録をおこないます!』


見た瞬間にふっと体が軽くなったのを感じた。

もうあんな限界生活をしなくてすむという安心感が体をつつむ。


「やっと解放される……!」


撮影開始までの数日は仕上げの日々だった。


歯をけずり、顔に入れ墨を入れて貫禄を出す。

台本のキャラより近づけるため顔の内部に針金を入れて顔の形状すら近づける。

病的な見た目にするため太陽を遮り、暗がりで過ごし続けた。


もはや誰がどう見ても裏社会のドンの生き写しになった。


「行くか……!」


ついにホテルをチェックアウトし、撮影現場に向かう。

その風体に誰もが面くらって言葉をつまらせる。


他の共演者はプロの意識が低いのか普段着だったり、

役とは程遠い顔や体付きで現場に入っている。


ここまでやった自分の役作りは後世にも語り継がれるであろう。

ついにスタッフの声とともに映画の収録がはじまった。




「それでは! アニメ映画"裏社会のドン"のボイス収録をはじめます!!」

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