悲壮の天使たち

SHIRO

第一章 拘束されている少女


ここは兵庫県警察本部の留置所。そこに一人の少女が拘束されている。


「番号〇二九。本部長がお呼びだ、出ろ!」


 鉄格子の向こうから男性警察官が見下すように少女を見て、そう言い付ける。壁にもたれていた少女は、重たそうに体を起こし立ち上がると、ゆっくりと歩きながら鉄格子を潜り、外へと出た。


「さっさとしろ!」


 鈍重に動く少女の行動に苛立ちを見せ怒号を放つ警察官。しかし少女はそんな怒り交じりの言葉にも微動だにせず、慌てる様子もない。警察官は、そんな少女を「ちっ」っと、舌打ちをしながら睨み付けた。


 この留置所に拘束されている少女、花村瑞希、十五歳の高校一年生。拘束番号は〇二九。身長は一六〇センチくらいで、髪は肩より少し長いセミロングの黒髪。見ればごく普通の可愛らしい女子高生だ。しかし着ている服はというと上下ボロボロのグレーのスウェットで、袖は糸が解れ、ところどころ穴も開いている。見るからにみすぼらしい姿だ。疲れ果てたその表情からは哀愁が漂い、とても現役女子高生とは思えない。

 瑞希は犯罪者、または被疑者ではない。じゃあ何故、この留置場に拘束されているのか。その理由は瑞希が抱えている多額の借金にあった。正確に言えば父親の借金だ。瑞希の父親は事業に失敗し、多額の借金を残して自殺した。一人娘だった瑞希は、その借金を背負うことになり、今ここにいる。


 こんな未成年の少女が、しかも借金を抱えているだけで何故、警察に拘束されているのか。その理由は、この兵庫県警察本部が極秘裏に行っている捜査にあった。


 二〇一二年、今から約十年前。兵庫県は犯罪件数が全国の3位に入るという不名誉な結果を残してしまった。その中でも群を抜いて多かったのが暴力団の抗争と麻薬絡みの事件だ。兵庫県、特に、この瑞希たちが住む神戸市では麻薬の取引が多く行われていて、麻薬中毒者の事件が後を絶たなかった。県警本部はこの状況を重く捉え、対策として警備を増加し、麻薬の密売、またはそれが基で起こる事件を未然に防ぐために取締りを強化、犯罪防止に取り組んできた。しかし警察官の人数にも限りがある、とてもすべての任務を賄いきれない。密売犯たちはその隙を上手く掻い潜って密売を続けた。警察の頑張りも虚しく、麻薬絡みの犯罪は一向に減らなかったのだ。

そんな事態に県警本部が考え、作り出したのが、未成年を極秘で捜査に加えるということだった。素人、しかも未成年に警察の捜査をさせるなんて、そんなこと許されるわけがない。そんなことが世間にばれたら、警察は蜂の巣を突くようなバッシングを受けるだろう。じゃあ何故、このようなリスクを背負ってまで極秘捜査をする部署が作られたのか、それはごく一部の未成年の、世の中における環境にあった。

何らかの事情で生活に苦しむ少年少女がいる、明日さえ生きて行けるかわからない少年少女がいる。そんな子供たちを何とかしようと、兵庫県警の上層部が考えだしたのが、この極秘任務だったのだ。


 両親を亡くしてしまった、または病気の家族を抱えている、多額の借金がある。他にもいろんな理由で普通の生活を送れない子供たちがいる。行き場を失くし、明日さえどう生きて行けばいいかわからない子供たちがいる、そんな少年少女たちが生きる希望が持てるようにと作り出されたのがこの任務だ。では、この任務がどう子供たちに希望を与えるのか、それはこのような内容だ。


 まず、この任務を行えば子供たちにはお金が支払われる。よって生活費を稼げ、借金も返済できるというシステムだ。その額は未成年、いや成人になっても、そうたやすく稼げる額ではない。よって数年経てば、皆と同じ、普通の生活を手に入れることができるかもしれないのだ。これは子供たちにとって、まさに夢のような話。 

『苦しむ未成年たちを救済する』

兵庫県警はこんな素晴らしい名目を掲げ、この任務を作り出したのだ。


 しかしこれは、表向きの聞こえの良い名目に過ぎなかった。その実態はそんなに甘くはない。一般人が社会で働くのとは訳が違う。相手は暴力団、または麻薬密売を行っている犯罪組織のプロ、そんなところへ捜査に向かうのだから普通の世界ではない、常に死と隣り合わせの世界だ。正直、いつ死んでもおかしくない。


 この十年、この任務に参加した少年少女は約二十九人、そのうち生存しているのは、たった十人、そして行方不明者が六人。残りの子供たちはすべて、任務の最中、命を落としている。それほど過酷な任務なのだ。


 死んでしまっては元も子もない、未来など意味がない。

 ではどうして、子供たちはこんな過酷な死ととなり合せの任務に命を懸けて行くのか、それはお金を貰えるからだけではなかった。もし任務中に死んでしまったら、生命保険が入るようになっている。この任務に参加する子供たちにはすべて、生命保険が掛けられているのだ。だからもし、不運に命を落としても借金は返済され、しかも親や兄弟、家族にはお金が残せる仕組みになっているのだ。だから自分が死んでしまっても、家族は守られる。だから子供たちは必至に命を懸けて、この任務を行うのだ。

『苦しむ未成年たちを救済する』

 素晴らしい名目で作り出されたこの任務。聞こえはとてもいいが、やっていることは滅茶苦茶、決して世間には公表できない最低な任務だ。あくまで警察上層部、一部だけに都合のいい任務なのだ。


そして本音のところ、県警の上層部はただ使い捨ての駒が欲しかっただけなのだ。闇で動かすには最適な人材、余計な知恵を持たない幼い人材、もし死んだとしても何とでも理由が付けられる環境にある人材、県警が好きなように扱える人材を。

 県警はこんな人材を探し出し、任務を与えていたのだ。警察官の代わりに、犠牲になってくれる人材を。

 そんな最低な任務だとわかっていても、お金に困っている子供たちには、ここに、この任務に縋るしかなかった。家族を守るため、そして生きて行くためには。

そして借金を抱えた瑞希も、その捜査員の一人として選ばれた。

 県警本部に来るまでは、街の小さな定食屋で住み込みをして働いていた。父親が作った多額の借金を返済するため学校にも行かず、毎日毎日、朝から晩まで寝る間もなく働いた。

 そんな日々を二年ほど過ごしたある日、働いても一向に減らない借金に、「このまま大人になるまで働いても、きっと借金は返済できないんだろうな・・・」そんなことを考え、未来の見えない現実を前に、途方に暮れそうになっていた瑞希。そんな時だ、瑞希が県警本部に声を掛けられ、拾われたのは。

犯罪と死と隣り合わせで生きるこの場所。それでも瑞希にとっては今までの暮らしよりかは随分ましに思えた。働いても、働いても借金は減らない。どれだけ身を削って働いても、きっとこの借金は一生返せない。そんな毎日なら、リスクを背負ってでも返済できるこの道を選ぶ。それに任務を遂行し、借金を返済できれば、いつかは普通の暮らしに戻れるかもしれない、母親とまた暮らせるかもしれない。そんな可能性があるなら迷わずこの道を選ぶ。瑞希はそう自分で決めてここへ来たのだ。

 瑞希には母親がいる。母親は借金に追われ続け、父親も自殺したことで精神的な病に陥ってしまった。今は警察病院に入院している。この入院費を稼いでいるのも瑞希だ。だから瑞希は、ここで任務を遂行し、お金を稼ぐ必要があったのだ。


「さっさと歩け!」


 焦りもしない、動じもしない、そんな瑞希の態度が気に入らないのか、男性警察官は瑞希の頭をバシッと大きな音を立てるほどに強く叩いた。

男の名は金井猛。兵庫県警察本部、捜査一課の刑事で、瑞希の監視役を命じられている。

 頭を強く叩かれた瑞希は、金井を見上げながら睥睨する。


「なんや、その目つきは?」


 その瑞希の態度が更に金井の苛立ちに拍車を掛ける。金井は右足を振り上げると、躊躇うことなく瑞希の華奢な体に蹴りを入れた。その衝撃は半端なく、瑞希の体は二メートル離れた扉まで吹き飛ばされた。


「痛っ・・・」


 高校生の少女が大人の男、しかも刑事の蹴りを食らって平気なわけがない。瑞希は痛みに顔を歪ませながら蹴られた脇腹を押さえ蹲る。


「おらっ、立て! 本部長室の前やぞ!」


 蹴られてぶつかった扉の先は、本部長室の前だった。


「早く立てって言ってるやろうが!」


金井は瑞希の髪の毛を引っ張りながら強引に立ち上がらせると、コンコンと扉をノックし、「〇二九を連れてまいりました」と声を掛けた。


「入りたまえ」


部屋の中から本部長の返答があり、金井はゆっくりと扉を開ける。するとそこには大きく立派なデスクの前で凛と立つ、兵庫県警察本部、本部長の梅沢静夫の姿があった。


「何かすごい物音がしたが、何かね?」


 梅沢はすぐさま、部屋の扉に起こった衝撃音について尋ねた。


「ああ、すいません。こいつが足をもつれさせてこけたんです」


 金井はそう言いながら瑞希の髪の毛を引っ張りながら、自分の前へと押し出す。


「そうなのか?」と、梅沢。


「はい、まったくドジな奴ですわ」


 金井は瑞希を蹴飛ばしたことなど一言も言わない。

そんなわけないやろ。そう言いたそうに金井を睨み付ける瑞希。金井のニヤリと嘲笑する表情に梅沢はだいたいの検討はついたのか、「そうか、気を付けたまえよ」と言っただけで、その話を終わらせた。

 そうだ、この反応がここでは普通だ。ここでは瑞希たちを気遣う者、ましてや助けようと思う人間などは誰もいない。借金をし、多くの人たちに迷惑を掛けている瑞希は犯罪者と同様の扱いなのだ。例えそれが瑞希自身のせいではなく、父親のせいだとしても。


「〇二九、調子はどうかね?」


 梅沢の問いに、敵意に満ちた目で睨み付ける瑞希。


 もう一度言っておくが、ここで瑞希たちを気遣う者はいない。これは任務に支障なく動けるのかという問いだ。


「相変わらず無愛想だね・・・」


 梅沢はそう言って、フッと笑みを浮かべると、「君に次の任務がある」と、そう言って言葉を続けた。


「次の?」


 瑞希は梅沢の言葉に左眉をピクリと動かし、眉間に皺を寄せた。


「そうです」と、梅沢。


「どういうこと? まだ琴美たちは見つかってないんでしょ?」


「そうですね、見つかってはいません」


「じゃあ次って何? 今は琴美たちを探すのが先でしょ?」


「ふぅ・・・ 〇二九、君は何か勘違いをしていませんか?」


「えっ?」


「我々は道具を三つ、失くしてしまっただけなんですよ? なのに何故、そんなことに時間を割かないといけないんです? 我々はそんなに暇じゃないんですよ」


 まるで瑞希の意見を嘲笑うように、梅沢は口角を上げニヤリとした。


「なっ・・・ ふざけんなっ!」


そんな梅沢の態度に瑞希はカッとなり、すごい剣幕で梅沢に向かって身を乗り出した。しかし「おいっ!」と、金井に左腕を掴まれ引き止められる。


「離せ!」と、暴れる瑞希。


「大人しくしろ!」


 金井は暴れる瑞希の両手を後ろで抑えると、体をうつ伏せ状態で床に押し倒した。


「おまえ、立場をわきまえろよ? このゴミクズが!」と、金井。


 瑞希はガッチリと金井に取り押さえられ身動きできない。


 すると梅沢は、取り押さえられた瑞希の前にしゃがみ込み、「あらあら、可哀相に・・・」と、同情するような表情で瑞希の顔を覗き込んだ。


「貴様・・・」


 瑞希はそんな梅沢を憎悪に満ちた目で睨みつける。


「いい目です。それくらい元気があれば任務も大丈夫ですね」


 瑞希は取り押さえられても尚、まだ梅沢に向かって行こうともがく。


「まあ、そんなに怒らないでください。探さないって言うのは冗談ですから。ちゃんと探しますよ」


「えっ? 本当に?」


 金井は瑞希の言葉使いが気に入らないのか、「本当ですか? やろ」と、瑞希の頭を床に押し付けた。


「まあまあ、金井くん」


 そんな金井の行動を梅沢は宥めると、「本当ですよ」と、笑みを浮かべる。「だって帰って来てもらわないと困りますからね。生きていても、死んでいても」と、言葉を続けた。


「死んでいても・・・?」


梅沢の言葉が引っ掛かる瑞希。


「まあ、今回の任務も麻薬絡みです。ひょっとしたら他の子たちの行方もわかるかもしれませんよ?」と、梅沢は言う。


「えっ!? そうなん?」と、瑞希が梅沢に尋ねると、「そうなんですか? やろ!」と金井は更に瑞希の頭を床に強く押し付ける。顔が歪むほどの強い力に、瑞希は「ううっ・・・」と、痛みで声を漏らす。


「はい。だから頑張って任務を遂行してくださいね」


梅沢はそう言うと立ち上がり、窓の方へと歩き始めた。すると何かを思い出したかのように立ち止まり、瑞希の方を振り返る。


「ああ、それと、琴美って誰のことですか? 番号で言ってくれないとわからないので、ちゃんと拘束番号で言ってくださいね?」


 そう言って瑞希を見下ろした梅沢の目はとても冷たく、人を人とも思わない、まるで奴隷を見るような目。

梅沢は瑞希たちを人としては見ていない。まるで使い捨ての奴隷のような感覚なのだ。琴美を探すのもきっと心配だからとかではない、使える駒として探すだけだ。「琴美を探す」と言う言葉に、少しでもやさしさを感じた自分が情けない。所詮、自分たちは梅沢たちの駒なのだ。瑞希は改めてそのことを思い知った。


「ヘマすんなよ」


 金井はそう言って瑞希の頭を床に投げ捨てるように放すと、見下ろしながらニヤリと笑った。


 こんな仕打ちや扱いを受けても、瑞希は何も逆らうことができない。こいつらに逆らったところで、前の生活に逆戻りするだけだ。いや、前の生活すら戻れないだろう。極秘の内情を知ってしまったからには殺されてしまうかもしれない。瑞希にはここ以外、行くところなんてなかったのだ。

わかっていた、ちゃんと理解していたはずなのに・・・と、瑞希は自分の状況を上手く受け入れることができず、悔しさを噛み殺しながら拳を強く握りしめた。


「じゃあ明日から早速、任務に取り掛かったくださいね」


 そんな瑞希に気付いていないのか、それとも気付いていてもあえて反応を見せないのか、梅沢は淡々と任務内容を話すだけだった。


 瑞希に与えられた新しい任務。それは三宮のビル街の一角にある高級中華店『梅香菜』に、アルバイトとして潜入すること。最近、その店に麻薬密売人らしき人物が出入りしているという情報が入ったのだ。しかし詳細は不確定、何の証拠もない。そこで瑞希がアルバイトとして梅香菜に潜入し、麻薬密売人と思われる怪しき人物の会話をICレコーダーに録音する、または決定的な証拠を掴む、これが瑞希に命じられた新しい任務だ。かなり難易度の高い、しかも持久戦になるかもしれない任務を瑞希は与えられた。

瑞希たち未成年に命じられる任務は、だいたいが潜入捜査だ。警戒の薄い未成年という立場を利用して相手の懐へと潜り込んでいく。そして内情を暴いたり、証拠を掴んだりするのが瑞希たちの仕事だ。そのためかなりの危険が伴う、下手をすれば命だって失いかねない。そんな環境の中で瑞希たちは生きていた。


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