丸形蛍光灯の天使

新溶解性B錠剤

シールの輪 1 

 クラス替えが行われ、教室には新しい社会が形成されかけている時期に訪れる一週間の休み。僕は毎年なぜこの時期にゴールデンウィークが来るのか不思議に思う。僕ら学生から言わせれば、この時期に少しでもクラスの人間に会わない期間があると困るのだ。もちろん休みがあるのはうれしい。けれど五月のはじめじゃなくていいと思う。一か月かけて作り上げた絶妙に取れた関係性は、たった一週間の休みにより少しずれる。それによりまた一から関係性を築き上げなければいけないということも起きる。

 例にもれずうちのクラスにも微妙な空気が流れている。もちろん僕も微妙な雰囲気をまとい自分の席に座っている。しかし、僕が微妙なのにはほかに理由がある。きっとほかの人に言ったところで誰も信じないだろうが、天使が見えるようになったのだ。天使といっても僕が勝手につけた仮称だ。いうなれば、天使(仮)だ。


 天使が見えるようになったのはゴールデンウィークの初日だった。買い物に出かけているときに頭上に何かを浮かべている人がいるのに気が付いた。この時見えた天使は数人だったが、日を追うごとに見える天使の数は増えてきた。今では街行く人の3分の1が天使に見えるようになった。そしてもちろんクラスメイトも同じくらいの割合で天使に見えるようになった。けれど何となく全員に天使の輪が付かないと思っている。そんな予感がするのだ。


 天使と言うとおそらく多くの人が背中に羽の生えた、頭に黄色に発光する輪を浮かばせているのを想像するだろう。だが、僕が見えるようになった天使と言うのは、この天使とは少し違う。それには羽は生えていないし、頭に浮かべている輪には色々な色が存在する。もうお気付きの人もいるかもしれないが、その輪を浮かべているのは普通の人間なのだ。天使に見える方が表現としては正しい。

 ゴールデンウィーク中に天使についてわかったことがいくつかある。まず一つ目に、天使の輪は僕が直接見た人にしか現れないと言うこと。例えば、写真に写っている人やテレビに映っている人には天使の輪は現れないし、ビデオ通話などカメラ越しに見ても天使の輪は出てこなかった。つまり天使の輪というのは僕の目が直接見たものにしか出てこないのだ。しかし、この直接というのは少し曖昧だなと僕は感じる。僕は視力が良くない。普段は眼鏡、もしくはコンタクトレンズをつけている。けれど天使の輪は見えるのだ。一つの例外をのぞき、鏡越しでも天使の輪は見える。機械を通して見えるものには天使の輪が見えないのだ。

 二つ目は天使の輪の発光色には意味があると言うこと。例えば気分のいい人の輪の色は黄色、逆に怒っている人は赤色、落ち込みや悲しい気分の人は青色など。まるで絵文字のようにその人の心の内を教えてくれる。そして寝ている人の輪はまるでスイッチを切ったかのように暗くなる。

 そして三つ目。これはあまり重要ではないが、自分の天使の輪は見えないと言うことだ。自分の顔を鏡で見てもそこには何も浮かんでいない。一度服屋で着丈を確認するために鏡越しで自分を見た。そのときにやっと気がついた。僕の後ろにいる人たちには天使の輪が浮かんでいるのに、僕には浮かんでいない。自分の天使の輪は見られないのがルールなのだろう。

 僕はこの天使の輪が見える現象に「天使の輪システム」と名前をつけた。最初は「不思議の国のアリス症候群」や「ピーターパンシンドローム」になぞらえて「天使症候群」とつけようかなと思ったが、病気でもないのに症候群だなんてつけるのはおかしい。機能という意味も込めて「天使の輪システム」にしたのだ。

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