【第3話:かしわとおはぎ】
「ぶぇぇぇ!」
涙目で抗議の声をあげるカシワ。
「泣きたいのはこっちよ! カシワ、食べられちゃうわよ!?」
「ぶぇぇ?」
危ない世界なのだから、少しは本能を思い出しなさい。
「まだ遠くにいるみたいだけど、怖そうな魔物が出たから早く厩舎に避難するわよ!」
牧羊杖でお尻をぐいぐいと押しながらそう言うと、カシワはようやく動き出してくれました。
厩舎に戻ったからと言って全然安全だとは言えないけど、一応、祖父が言うには、厩舎の柵は魔物除けの効果のある木で作られているって言っていたので、もうそれを信じるしかありません。
「ぶぇぇぇ」
「もう! 急いでよ!」
カシワが何故か急に立ち止まったので、そう言って怒ったのだけど、何だか様子がおかしい。
「ぶぇぇぇ……」
よく見るとカシワがぶるぶると震えています……。
えっと……なんだかものすご~く嫌な予感がするのだけれど……。
私が、ぎぎぎと音がしそうなぎこちなさで振り向いた直後、
「グォォォォォ!!」
先ほど聞こえた獣の咆哮が、さっきよりもずっと近くから聞こえてきました。
「あ~ん!! 完全にロックオンされちゃってるじゃない!?」
まだ距離はあるけど、明らかにこちらに向けて走ってきています。
そして、近づいてきたことで、ようやく魔物の正体がわかりました。
「え? え? 頭が二つある魔物って!? け、ケルベロス!?」
前世では『地獄の番犬』とか言われていた架空の魔物だけど、こちらの世界では現実に存在する凶悪な魔物です!
ちなみにこの世界のケルベロスは、何故か三つ頭ではなく二つ頭です。
って、そうじゃなくて!? 現実に存在する脅威なのよ!
「に、逃げるわよ! カシワ!!」
でも、カシワは完全に委縮してしまって立ち止まってしまっています。
仕方ないですね。緊急事態です。
私は牧羊杖を大きく振りかぶると、水平にぶんと振り抜きました。
カシワのお尻に向けて。
「ぶぇぇぇ!?」
抗議の声をあげながらも、ようやく走り出してくれたカシワ。
だけど、私もゆっくりしていられない。
「私も逃げなきゃ!」
あれ? でも、見つかってしまったのに、厩舎に逃げ込んで大丈夫なのかしら?
咄嗟の事だったので思わず飛び出してカシワを助けちゃったけど、このままだとカシワだけじゃなくて、厩舎にいるみんなも危ないんじゃ……。
その事に気付いた瞬間、血の気が引いていくのがわかりました。
「あれ……? これ、つんでない?」
ぶぇぶぇ言いながら逃げるカシワのお尻を見て走りながら、何か方法はないかと必死に考えるけれど、そんなに都合よく良い案なんて浮かんできません。
それに、さっきから息を切らしながら必死に走っているので、酸素も不足しているのか思考も定まらなくなってきました。
「はぁ、はぁ、はぁ、ど、どうしよ……きゃっ!?」
こんな極限の状態で考え事しながら走っていたのが悪かったのでしょう。
ようやく丘に差し掛かったあたりで、私は思いっきり転んでしまいました。
「いった~い……はっ!? い、急がなきゃ! きゃ!? い、痛い!? あ、足を……」
慌てて立ち上がろうとしたのですが、右足首に激痛が走り、立ち上がる事が出来ませんでした。
どうやら足首を捻ってしまったようです。
「え……これって本気でやばいんじゃ……」
恐る恐る振り返ると、ケルベロスが凄い勢いでこちらに迫ってきている姿が、目に飛び込んできました。
「ひっ!?」
やだ……このままじゃ、食べられちゃう……。
ここまで私は、カシワを助けたい一心で必死で行動していました。
だから、そのお陰で恐怖心も麻痺していたのでしょう。
それが……今ごろになって、私を捉えて放してくれなくなっていました。
「こ、怖い……に、逃げなきゃいけないのに……ひぐっ……」
私はいつのまにか泣いてしまっていたようで、視界がぼやけてきました。
「うぅ……やだよ……」
泣きながらも足の痛みに耐えて立ち上がり、一歩ずつ前へと歩みを進めますが、ケルベロスの足音が段々と迫ってきているのがわかります。
「あ~ぁ……せっかく前世の記憶を取り戻したのに、一日と経たずにこんな事になるなんて、ね……」
もしかしたら、こういう運命だったから、最期に神様が前世の記憶を取り戻すってサービスをしてくれたのかな?
もし本当にそうだったら、ちゃんと神様に感謝しないとだ。
私……ぎりぎりまで諦めずに頑張ったよね。
こんな足で逃げられるわけないし、痛いだけだから、もう覚悟を決めよう。
足を止めて振り返ると、ケルベロスはもう丘の麓まで迫っていました。
「ひぐっ!?」
覚悟は決めたつもりでしたが、あまりの大きさと獰猛なその姿に、思わず声が漏れちゃいました。
でも……私が死んじゃったら、厩舎に残した子たちはどうなるんだろう……。
神様~、そっちも最後のサービスで何とかなりませんか~?
私がそんな馬鹿な事を考えた時でした。
「ぶぇぇぇ!!」
聞きなれた声と共に、私とケルベロスの間に、白い影が滑り込むように飛び出してきました。
「……え? か、カシワ!? あなた何やってるのよ!?」
その白い影は、さっき私にお尻を叩かれて必死に前を走っていたはずの白山羊、カシワでした。
だけど、私が次の言葉を発する前に、続けざまに黒い影が飛び出てきて、カシワの横に並び立ちます。
「ど、どうして!? オハギまで!?」
「ぶぇぇぇ!!」
でも、今の私は無力で……二匹の山羊の行動に驚き、私は呆然とその背を見つめる事しか出来ませんでした。
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