現出と衝突 その2

「クッソオオオオッ!!」


 気がつけば僕の身体は動いていた。叫ぶことで恐怖を紛らわせ己を鼓舞する。

 先程までの弱気な考えは、であるという条件下の話だ。つまり自分を度外視すれば、あの子を助けられる可能性は残っていることを示している。


 僕がえさになってその間に逃げてもらう。


 全速力で加速し、その勢いのまま妖魔の横っ面に飛び膝蹴りをかました。

 物理学では運動エネルギーは質量×速度の2乗×1/2で求められる。つまり、速ければ速いほど指数関数的に威力は上がるのだ。

 僕の身体が妖魔よりもはるかに小さかろうと、加速するために邪魔な要素を全て無視した全力のスピードならば多少ふっ飛ばすことくらいできる。

 妖魔の進路が強引にねじ曲げられ壁にぶつかった。コンクリート製の壁にヒビが入る。

 女の子の前に着地し、しゃがんでなるべく優しく声をかける。


「ここは危ないから早く逃げるんだ。お兄さんが化け物を何とか抑えておいてあげるからね。ほら、あっち向いて」


 妖魔とは反対方向に身体を向けてやり、背中を押してあげる。女の子は首を回して心配そうな顔でこちらを見た。


「気にしないで早くお行き」


 僕がそう言うと、一目散に走っていった。

 さて、問題はここからだ。同じ手は使えない。まず助走距離が足りない。もうさっきのように隙を見せて僕から離れてくれることは無いだろう。

 それに反作用で僕の体にも衝撃が伝わっているのか、ダメージを受けているのは妖魔だけでは無い。


「もうちょっと動いてくれよ、僕の身体」


 身軽さに自身はあるが、一撃くらったら致命的な攻撃を避け続けなければならないという緊張感の中で、しかも身体にダメージがある今の状態で避け続けられるかどうかはわからない。


「キッつい第2ラウンドだな!」


 おそらくあの妖魔は僕にしか今は目が向いていない。食事の邪魔をされれば怒りの感情が湧くのは当たり前だ。

 その予想が当たったか、体勢を立て直した妖魔の周りの黒い霧が激しく脈動しているかのように動く。そしてその霧がまるで生きているような蛇の形をいくつも作った。黒い蛇逹は僕の身体を噛み切ろうと飛びかかる。

 不意に行われた攻撃に反応することができず、左の下腕の肉が食いちぎられ持っていかれた。傷口の周りの布が真っ赤に染まっていく。おそらく骨も露出しているだろう。


「ぐうぅっ!」


 激しい痛みが襲いかかるが、この間に比べればまだ意識が保ってられる。止血するために服を破り、左腕をキツく縛る。再び痛みがくる。

 妖魔は僕をいたぶるつもりなのか、攻撃は必殺の威力ではなかった。

 ここであっさりとくたばるわけにはいかない。なぜならここで僕が死ねば、妖魔は先程の少女を追い、喰らい尽くすだろう。それでは僕が死力を尽くす意味が無い。せめてセレナが到着するまでは死ねない。


「かかってこいよ! お望み通り遊んでやる!」


 ◇


 セレナは焦っていた。自分が討伐した妖魔は既に分裂しているとわかったためだ。


「最初は双頭オルトロス型かと思ったけど、1頭寝てたからね。多分、三頭ケルベロス型から1頭分かれてるはず。早く見つけなきゃ」


 彼女は夕暮れ時の住宅街を飛び回る。そして轟音が響いたのに気づいた。

 ……今のは継穂君のいる方向。まさか……!

 空高く飛び上がり、音がした方向を見るとボロボロの継穂と獣の妖魔を発見した。


「逃げ足には自信があるんじゃなかったの……? もうっ!」


 急速に降下し、最後の1頭を祓うべく、祝詞を唱える。


「神火清明、祓え給い清め給え【白炎:略式】!」


 セレナは上空から偃月刀を振りかぶり、炎の刃で妖魔の頭を切り落とした。ごとんと音を立てて地面に獣の頭が落ち、巨大な体躯は塵と消えていく。

 ……私がついていなかったばっかりに。

 彼女は意識が失われている継穂に寄り添う。彼女が見れば、継穂の体は思った以上に致命傷だらけで出血が酷い。自分程度の治癒術じゃ助けることはできないとセレナは悟った。


「ごめん。私がもっと警戒していればよかった。せめてやすらかに……」


「――勝手に人を殺すな。ぐふっ」


 継穂が血を吐き意識を取り戻した。内臓もズタボロなのだろう。


「無理にしゃべらないで、苦しいだけだよ!」


「泣くほど後悔するくらいなら、もっと早く来てくれよな……」


 気づけばセレナは大粒の涙を流していた。誰かを守れなかったのはこれが初めてという訳ではない。しかし自分の軽率さが招いた事態であり、彼に大丈夫と言われても離れるべきではなかったと彼女は後悔していた。


「もうキミが助かる可能性はほとんどない……と思う」


「そうか。周りに怪我人とかはいない?」


 セレナは周りを見渡すも人影は見えない。継穂は自分のことより他人ことを気にして、立ち回っていた事を彼女は理解した。


「大丈夫、誰にも被害はないと思うよ」


「良かった。無駄死にではなさそうで」


「よく頑張ったよキミは」


 セレナは最後になるだろう労いの言葉をかける。彼女は自分の力のなさを強く実感した。

 ……私がもっと強ければ。そうすれば誰も傷つけさせることは無い。理不尽に脅かされる人を救うことが出来るのに。

 彼女はそれとは別の感情、別離の悲しみを会って間もない継穂に感じていた。

 だからこそ自分の手の中の継穂から力が失われていくのを彼女は感じ、より自責の念を強めていった。

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