帰ってきた日常

 アイツが学園に来なくなってあれから3日だ。

 あの日、私は自室のベッドの上で目覚めた。聞けば、警察の方が連絡してウチの家の者が私を連れ帰ってくれたらしい。ご丁寧に寝間着まで着せてくれていた。

 一緒に帰っていた継穂のことを聞いても、現場には気絶する私と大量の血液の池しか無かったとの事だった。

 アイツにメッセージを大量に送ったがいつまでたっても返信はこなかった。

 アイツがいなくても日常は変わらず進んでいく。


「樹神、これ答えてみろ」


 急に先生から声がかかる。


「あ、えーっと……わかりません」


「はいそのとお――――え、ああ、じゃあエドいけるか?」


 私の代わりに別の男子生徒が答えている。


「樹神さんどうしちゃったんだろう? いつもなら余裕の表情でなんでも答えちゃうのに」


「なんかウチの学園にいる2年生の幼なじみが神隠しにあったらしいよ」


「あぁ、それでなんか元気がないのね」


 クラスのざわめきを他所に私は思い出す、子供の頃のことを。


 ◇


「僕はみんなを助けるヒーローになる!」


 ……ヒーロー?

 

 かつて病院で精密検査を受けて帰ってきた継穂と遊んだ時の彼の第一声だった。


「どうしたの? 急にヒーローになるなんて」


「僕を助けてくれたレスキュー隊員のお兄ちゃんがね、超かっこよかったの!」


「へーそうなんだ。じゃあ継穂がいつかヒーローになって、私がいつかピンチになった時にも助けてくれる?」


「もちろん!」


「約束だよ?」


「うん! 約束」


 心乃華は右手の、継穂は左手の握り拳と立てた親指を合わせてタッチした。いつもの信頼の表現だった。


 ◇


 アイツを恋愛対象と捉えたことは無い。小さい頃から重圧の中で生きてきた私の心の支えだった親友だ。

 小学校を上がる頃には違う学校に通ったので疎遠になっていってしまったが、同じ学園に入学したと聞いた時は嬉しかった。そんな存在だ。

 その継穂がいなくなった。あの日の光景が目に焼き付いて離れない。確かにアイツは私を庇って切り裂かれたはずだ。どうして自責の念を感じずにいられようか。

 今まで当たり前にいた身近な人が突然いなくなる。それは不安を積み重ねると同時に、もし死んでしまっていたら二度と話すことも、触れ合うことも、笑い合うこともできない。そんな恐怖に苛まれてしまう。


 いけない、その考えに陥るのは。今はただ無事を祈って私は私のやることをやるだけだ。


 そんなことを考えているうちに、気づけば休み時間になっていた。


「そういえば、今も休み時間になっても走らされてるやつがいるらしいよ」


「ああ、いつもの2年男子だろ。あんな形だけの罰則、真面目にやってるやついないのにな」


 ◇


 いつもの陸上トラック。今年に入ってから何度目だ。


「カイトの野郎、休み明けでも容赦ねぇな」


 今日は情に厚い先生に、俺が2日間誰にも連絡せずに姿を消していたことをチクったらしい。そしたら罰則なんてのは非常に理不尽を感じざるを得ない。というか僕以外に罰則受けてるやつを全然見たことないんだが、普通に生活してる僕がこんなに走ってるのにみんなどんな生活してるんだよ。


 昨日、グリモアの本部で目を覚ました時、2日間眠り続けていたことを聞いた。つまり2日間の無断外泊(学園のサボりつき)ということになったわけだ。ちなみに母親は結構な放任主義で、僕がちょっと消えても気にしていなかった。それはそれでドライすぎる気もするが。


「よし! 今日の分、終わり!」


 いつものようにトラックの上に大の字になる。ビルの隙間から見える青空がいつもよりクリアに見える。これが生きているという実感だろうか。



 セレナという女の子が言うには、


「キミはたまたま悪い状況に巻き込まれた無力な一般人。グリモアは公式には認められてない秘密機関。公的にも妖魔による被害は隠蔽されてるの?この意味わかるよね?」


 ――との事だった。つまりはあの時のことは例外なく誰にも秘密ということを意味する。おかげで今日は言い訳を考えるのが大変だった。一部では神隠しにあったとかいう噂で、なんて変な二つ名もついてるらしいが、勝手にみんなが言い訳を考える分には都合がいい。


 ドタドタと地震のような足音が聞こえてきた。こっちに近づいて来ているようだ。身体を起こし校舎の方に向き直ると、鬼のような形相をした女子生徒がこちらに走り迫ってきている。


「コノちゃん⁉」


「継穂ぉぉおおおお‼」


 ヤバい。彼女に連絡するのをてっきり忘れていた。怖い。

 次の瞬間、飛んできたのは左の顔面アッパーだった。


「グハッ……」


 身体が1メートルは浮き、重力に引っ張られて背中から落ちる。


「ちょっ、魔導義手の方で殴っただろ。威力がおかしいわ!」


「私の左手も脚も私の身体の一部だもん。どこでアンタを殴ろうが蹴ろうが私の打撃であることは変わらないの」


 むちゃくちゃだ。魔導義体は通常の人体と比べれば遥かに高出力なのだ。それを普通に打撃として与えるなら岩だって砕くことも容易い。


「なんで連絡よこさなかったの! あんなにメッセージ送ったのに」


「いやいやデバイス壊れちゃってさ」


 嘘は言っていない。魔導工学技術者マギテクノエンジニアの母親がすぐ代わりを用意してくれたから今朝になって僕の魔法は復活したのだ。


「てかアンタ怪我は?」


「なんのこと? というか神隠しにあってたらしくてイマイチ覚えてないんだ」


 これも嘘は言っていない――と思う。実際、大怪我はしてなかったみたいだし、秘密機関に連れていかれてたなんてのは半分神隠しみたいなもんだ。


「諸々悪かったよ。てか泣いてんの?」


「泣いてなんかないわ! 馬鹿ァ!」


 義足による蹴りが飛んできた。

 強烈な痛みを実感し、僕の身体はきりもみ回転で飛んだ。

 僕の日常が戻ってきた。

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