㉑ 『勝負開始』
忙しい。
本当に忙しい。
けれど、それは自分でもバルネアさんの役に立てている証だ。
メルエーナは、パン屋さんが配達してくれたバゲットにオリーブオイルを塗って、次々と焼いていく。
パン屋さんにカットもお願いしておいて本当によかった。正直、今はカットする時間など取れないくらいに慌ただしいのだから。
「メルちゃん、容器の準備は大丈夫?」
「はい。容器は三等分に分けて用意しています。それに、ジェノさんがいない時に助けに入って下さっている皆さんも、まもなく到着する予定です」
メルエーナは作業を続けながら答える。
あと一時間後に迫ったバルネアとルーシアの真剣勝負。
失敗は許されない。
「うんうん。我ながら美味しいわ。そして、メルちゃんの焼いてくれたバゲットとの相性もバッチリね」
バルネアは料理の味見をし、満足げに微笑む。
普段とは異なる調理場であっても、バルネアさんほどの腕があれば、さしたる問題はないようだ。
「メルちゃん、心配しなくても大丈夫よ」
パンを焼きながらも、不安げな気持ちが顔に出てしまっていたのだろう。メルエーナに、バルネアが安心するように言葉をかけてくれる。
「……はい。でも、やはり心配です。いえ、もちろんバルネアさんの料理の素晴らしさも、ルーシアさんの調理の素晴らしさも分かってはいるのですが……」
バルネアがルーシアに渡した手紙の内容を、メルエーナも聞かせてもらったので知っている。だが、そんなに上手くいくのかどうか不安で仕方がない。
だって、二人が望む結末にするためには……。
「大丈夫よ。ルーシアは素晴らしい料理人だもの。それに、私の一番の大親友なんだから」
心配するメルエーナとは対象的に、バルネアはそんな呑気なことを言って微笑む。
「ですが、万全を期すのであれば、お互いの……」
「う~ん。確かにそれが一番安全な方法なんだけれど、それじゃあルーシアが納得しないわ。それに、私もルーシアと本気で料理勝負をしたいの。
前回来てくれた時は、料理勝負なんて出来なかっただけじゃあなくて、ものすごく迷惑を掛けてしまったからね。そして、お互いがその後の年月でどのくらい腕を上げたのかを競ってみたいのよ」
バルネアは少し憂鬱そうに顔を俯けた。けれど、すぐに笑顔を浮かべる。
「真剣勝負をする中でルーシアに報告したいの。貴女に救ってもらった私は、貴女の大親友でありライバルは、もうすっかり大丈夫だって。今までと変わらず、貴女と肩を並べて競い合う存在なんだって!」
「バルネアさん……」
メルエーナは、過去にバルネアとルーシアの二人の間で何があったのかを知らない。けれど、バルネアの表情から、彼女の強い意志を感じ取ることが出来た。
そして、すべての準備が整ってまもなく、料理勝負が開催される事となったのだった。
◇
天候に恵まれてよかったとジェノは思う。
会場が屋外であるため、それだけが心配だったのだが、杞憂に終わってくれて何よりだ。
ナイムの街の中央公園の広場が、今回の料理対決の会場だ。突貫で作った割には、随分と立派に見える。
すでに五人の審査員が横一列に並び、その対面に二箇所、鍋等を置く簡易調理台が置かれている。そして、その会場を囲む観客がもう数を数えるのが馬鹿らしいほど集結していた。
ジェノはルーシアと一緒に、向かって右の簡易調理台に足を運ぶ。
「ジェノ。きっとこの観客の殆どがバルネアの応援よ。大丈夫? 気後れしたりしないかしら?」
前を歩くルーシアが、振り返って笑顔で尋ねてくる。
「気後れをする理由がありません。ルーシアさんの料理が負けるとは思えませんので」
ジェノがそう答えると、ルーシアは「うん、良い返事よ」と力強く微笑む。
簡易調理台に、丁寧に運んできた鍋を置き、ジェノは更に食器などを用意し始める。
すると、ジェノ達に少し遅れて、バルネアとメルエーナの二人が会場に入ってきた。
バルネアはいつもと変わらずに、のほほんとした笑顔だが、メルエーナは明らかに緊張した表情を浮かべている。
「今は、自分の仕事を完遂する事が肝要だ」
ジェノはそう自分に言い聞かせ、作業に戻る。
だが、そこに、
「ルーシア、ジェノちゃん。お互い頑張りましょうね~」
少し離れた横の調理台から、バルネアが大きく手を振りながら声をかけてきた。
そのあまりにも緊張感のない声に、観客の一部から笑いが起こる。
「……ジェノ。無視よ。あいつのペースに流されては駄目よ」
本当は文句の一つも言いたいであろうルーシアは、怒りに震える手を握りしめてジェノに忍耐を求めてきた。
ジェノは頷き、準備を再開する。
それからしばらくして、いよいよ料理対決が始まった。
「皆様、大変長らくお待たせ致しました。これより、<パニヨン>の料理長バルネア氏と<銀の旋律>の料理長ルーシア氏の料理対決を始めます!」
司会の男性がそう宣言すると、数多くの観客から歓声が上がる。
「あのバルネアさんの料理が負けるとは思えないな」
「でも、あのルーシアって人、バルネアさんのライバルなんでしょう?」
「おいおい、<銀の旋律>の名前を聞いたことがないのか? 世界でも五本の指に入る名店だぞ」
「はっ? そんなにすごい店……」
そんな無責任な勝敗予想が聞こえたかと思うと、バルネアを応援する声も多数聞こえる。
けれど、ルーシアは余裕のある笑みを崩さない。それは、自分の料理に絶対の自信があるからだ。
「まず、料理人のご紹介を。皆さんもその名を聞いたことはあるでしょう。国王様から『我が国の誉れである』と評された料理人。バルネア=ローフィスさん。彼女は……」
バルネアの紹介の後に、ルーシアの紹介が続く。更に今回の五名の審査員が紹介された。
審査員は誰もが食通として有名な人間らしいのだが、ジェノはあまり彼らのことを知らない。
バルネアの料理人としての考えが、『一般常識とマナーを守って下さるのであれば、誰もが同じお客様。食通だとか高名な評論家とかは一切関係なく、皆様に同じ料理をお出しする』というものであり、ジェノもそれを踏襲しているためだ。
「それでは、早速料理を出して頂きましょう」
一通りの紹介が終わり、いよいよ料理の給仕が始まる。
ジェノは適度な緊張感を持ち、作業の行程をもう一度脳内でシミュレーションするのだった。
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