第120話

 冬菜は目を大きく見開いて、私からエラへと視線を移した。エラは怯えたように冬菜を見ている。少し震えているようにも見えるその体は、いつもよりも小さく感じられた。

「そう、ね。そうよね」

 確認するように何度も繰り返す。冬菜なりに落ち着こうとしているのだろう。深く項垂れ、何かをぶつぶつと呟いている。大丈夫、大丈夫。そんな小さな声が聞こえてくる。

「大丈夫、もう大丈夫よ。続けて」

 冬菜は手を左右に振って、自分の心理状況が正常であることを示している。冬菜の表情に安心した私は、泣き続ける夫婦に向き直った。2人は悲しむでも驚くでもなく、ただ安心した何かに包まれているようだ。

「この子があなた達の娘とは、どういうことですか」

 どんな質問の仕方をすればいいのかもわからないまま、私は尋ねる。奥さんは溢れ出る涙を拭いながら、希望の光を見るようにエラを見ている。半分操られているようなものなのに、まるでこちらに関心がない。問いかけて反応が返ってくるのに、10秒ほどかかったのではないだろうか。

「ええ、そうね。……あなたが生まれたのは、遠い昔の夏の日なのよ」

 感動する話を聞かせるように、マリア様の母親は語る。その正面で、まるで他人の怖い話を聞くような顔で、エラは彼女をみていた。必死に縋るように冬菜の手を掴むその姿は、神に縋り付く信者とは異なる。

「もう、10年にもなるのね……」

 年月を感じさせるその話し方。森で拾われたというエラ。この様子を見るに、冬菜は両親がエラにかけられた呪いに勘付き、捨てたのではないかと言っていたが、この両親が捨てたとは考えにくい。むしろ、これではまるで……。

「生まれてからしばらくしたあの日。あなたはいなくなってしまった。ちゃんとみていなかった私が悪いのだけれど」

 やっぱり、捨てたのではなかったのだ。私は安心するような、そうあってほしくなかったような、不思議な落胆に心を落とした。

 けれど、捨てたのではないのなら、なぜエラはあの森にいたのだろうか。生まれてすぐの赤ん坊だ。自分で移動できるわけがない。だとしたらやっぱり、誰かが連れ出したのだ。生まれて1年にも満たない、エラを。そうなのだとしたら、いったいそれは誰。誰が、何のためにエラを連れ出し、あの森に置き去りにしたの……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る