第96話

 いくら魔法を重ねがけしても、入り組んだ町である以上出せる速度に限界はあるし、体力だってなくならないわけじゃない。私が御神木の近くにある人だまりに着く頃には、私の息は切れ、額には汗が流れていた。

 人をかき分けて入ろうにも、獣人達はぎゅうぎゅうに押し合っていて、とてもじゃないが割り込めそうにない。

冬菜っ、冬菜っ。どこにいるのっ。

 息を整え、念話で冬菜を叫ぶように呼ぶ。

「雪菜っ」

 声は後ろから帰ってきた。念話ではなく、現実の声だ。

「私がきた時にはすでにこの状態で……。何がどうなっているのかすらわからないの」

 冬菜は悔しそうに頭をぐしゃぐしゃとかいている。まるで、掻きむしるように。冬菜の後ろにはエラもフゥもいる。けれど、ゼラ達も木の精霊さんもおらず、状況が全くわからない。

「やめろー」

 一斉に声が湧き上がる。私達は瞬時に理解した。今まさに、御神木が、木の精霊さんの木が切られる瞬間なのだと。

 どうしよう、どうしよう。ああ、もうどうしようもない。多少注目されても、魔法を使って強制的にどうにかするしか。

「何をしている」

 低いその声に振り返ったのは、私たちだけではなかった。大きな声ではないのに、一斉に獣人達が振り返る。そこにいたのは。

「イーサン、様……」

 人魚刻の王子、イーサン様だった。


 イーサン様は擬人化の魔法を使っているようで、下半身は綺麗で長い足に変わっている。陸に上がってこれたのも、魔法を使っているのだろう。便利で不思議な世界だ。馬に乗っているイーサン様は、私たちを見下ろしている。あの時のような不快感は、なぜかなかった。

 私は訳がわからず、焦りや不安と共にそんな事を考えていた。頭が追いついておらず、関係のないことばかり考えてしまう。

「何をしていると聞いているのだ」

 イーサン様は少し恐怖さえ感じる低い声で続けた。けれど、私達はその声に安心感さえ覚える。

 奥の御神木までさっと道が開き、イーサン様は、まさに木を切ろうとしている兵士たちを見下ろした。

「き、木を切るように王命が降りました」

 ぎこちなく答える兵士は、イーサン様のことを知っているのか、深く頭を下げながら答える。それに対してイーサン様は不快そうに少し遠い兵士を見ていた。

「……これを見ろ」

 イーサン様はイーサン様の後ろにいる馬に乗った誰かに合図すると、彼らは一枚の紙を取り出した。紙という言葉で片付けてしまうにはなんだか神々しく感じるその紙を、彼らは掲げてみせた。

「木を切るのを中止せよ。これは王命である」

 大きな声でイーサン様は叫んだ。掲げられた紙には確かに判が押されていて、それが本物である事を告げていた。

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