第35話

 静かな時間が続く。エラは俯いたまま、顔を上げない。やはり理解できなかったのだろうか。

「……った」

 不意にエラが言葉を発した。その声は目の前にいた私にも届かなかったくらい小さかった。けれど、ただ小さいだけではなく、しっかりと芯のこもった声だ。

「もう一度言ってくれるかな。聞き取れなくてごめんね」

 あまり刺激しない様に優しく話しかける。エラは今も苦しみと戦いながら私とお話をしてくれているのだから、無理をさせてはいけない。

「わかった。治療、うけるよ」

 少しぶっきらぼうな言い方だけれど、きちんと考えてくれたのが伝わってくる。愛する母のために、悩んでくれたのだろう。

「うまく割り切れるかは分からない。でも、お姉ちゃんとも、仲良くしたい」

 私だってそうだ。親友の大切な子供なのだから、エラは自分の姪っ子の様に可愛い。いや、それ以上かもしれない。私には子供がいないから、その分余計に守らなければと思ってしまう。だから、仲良くしたい。私のためにも、エラのためにも、冬菜のためにも。

「よろしくね、えっと……」

 先程エラちゃんと呼ぶなと言われてしまったのだけれど、何と呼べばいいのだろうか。

「エラちゃんでも、エラでもいいよ」

 そっぽを向いてエラちゃんが答える。その言い方は、やっぱりどこかぶっきらぼうで。

「よろしくね、エラちゃん」

 私がそう言って握手を求めると、エラちゃんはどこか気まずそうに笑いながら、私の手を握り返してくれた。


 手を離した瞬間に、扉が開く。音を立てて開いた扉の向こう側にいたのは、椅子を持って立つ冬菜だった。

「ごめんね、ダイニングの椅子、使わないから直しちゃったの忘れてて……」

 ダイニングの椅子……。あの椅子は見覚えがある。確か、キッチンの近くにあったテーブルの横に並べられていた椅子だ。それなのに、どうしてこんなに時間がかかったのだろうか。……もしかしたら冬菜は、見守ってくれていたのかもしれない。扉の向こう側で、私達の打ち解ける様を。

「さあ、食べましょう」

 冬菜はエラが私に対して嫌な顔をすることがなくなったことに関しては、何も触れなかった。きっと、そういうことなのだろう。

「美味しい。さすがお母さんとお姉ちゃんだね」

 私の今世での食事はいつもマナーばかりを気にし、会話などほとんどないものばかりだった。こんなふうに誰かと楽しみながらとる美味しい食事はいつぶりだろう。冬菜とエラの思い出話を聞きながら、何度も笑う。ちゃんと心から笑えることが、こんなに幸せだなんて思わなかった。前世の記憶を取り戻すまで、嘘の笑いなんて日常茶飯事だったから。

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