クロ

@me262

第1話

 またクロが警官に射殺される事件が起きた。

 薬物の不法所持で職質中に抵抗したので鎮圧のために発砲したというが、メディアの調べではただの鎮痛剤だったという。

 最近似たような事件が多発している。クロ達や支援団体は例によって抗議のデモを頻繁に行っているが、それで何かが変わるとは到底思えない。

 こんなことは今までに何回もあった。差別的な理由でクロが殺される度に世界中で抗議運動が起きて、一時的に良くはなるが、しばらくすると記憶喪失にでもなったかのように同じ事件が起こる。私の若い頃、いや生まれる前からの繰り返しだ。

 デモや暴動では何も変わらない。そのことに気づいたのは散々デモをやり尽くして若者とは言えない歳になってからだ。それからは役所で黙々と仕事をこなす日々だ。世の中は変わらない。私のようなマイノリティには居心地の悪い場所だ。

 だが、息子はそうは思っていない。今回の射殺事件に怒り、若い頃の私と同じことをしている。毎日徒党を組み、大通りでデモを繰り返している。カウンターデモをやっている差別主義者、いわゆるネオナチと乱闘もしているらしく、警察署から引き取りの連絡が来たが、釈放された途端に行方をくらましてしまう。仲間の所に入り浸っているのだろう、もう何日も家に帰っていない。今年度で大学を卒業するのに、就職活動はやっていないようだ。私にはそれが気がかりでならない。

 今日、久しぶりに息子が帰ってきた。着替えを取りに来ただけらしく、すぐに出ていこうとしたが、私は引き止めた。話をしなければならないからだ。

「もういい加減に抗議運動は止めろ。お前は卒業するんだぞ、就職の準備をしろ」

「そんなの無駄さ。大学を出たって俺みたいなクロにはろくな就職先がない。父さんは知らないだろうけど、俺だって夏休みの間に何社も応募したんだ。だけど大手はみんな不採用だ。俺がクロだからだ。一緒に受けたクロじゃない友達は受かっていたのに。世の中からクロへの差別をなくさなきゃ駄目なんだ。そのための運動なんだ」

「私の若い頃も同じことがあった。名だたるセレブ達やアスリートが抗議を表明して運動は世界中に広がったが結局何も変わらなかった」

「俺たちの仲間は多い。クロじゃないやつも大勢いる。そいつらは将来エリートになる優秀な学生だ。そいつらが世界を変えてくれる」

「そういう連中は自分たちの正義に酔っているか、お前を憐れんでいるだけだ。憐れみを受けて嬉しいか?若い頃の酔いはいずれ覚める。そいつらは二十年後には大企業の重役になるだろうが、お前のことなど忘れているよ。現実を見ろ。そんなことよりも自分が価値のある人間であることを証明するんだ。本当に努力すれば道は開ける。総統府にだって私達のような者は何人もいるじゃないか。もしも役所に勤める気があるなら、私が紹介……」

「そりゃあ、政府が差別をするわけにはいかないからな!アリバイ作りのために何人かクロを雇っているだけで、大企業に本格的な行政指導をしていないじゃないか。父さんこそ現実を見ろよ!自分はいつまでも下っ端なのに、クロじゃない同期はとっくに出世して部長や局長になっているじゃないか!」

「……お前の言う通り、確かに差別はある。だが、私は今の生活に満足している。クロには貧困層が多いのに、少なくとも人並みに暮らすことはできるんだから」

「嘘だ!だったらどうして母さんは死んだんだ!病院に運ばれたときには助かる見込みがあったのに、お偉方の手術を優先したせいで母さんは死んだんだ!これが人並みって言えるのかよ!」

 私は絶句してしまった。息子はため息を一つ吐いて家を飛び出していった。その時息子が履いていた派手な色合いのスニーカーが私の目に入った。

 妻とは同じ職場で知り合った。私と同じような境遇で互いへの同情がいつしかそれ以上の気持ちを持つようになって結婚した。しかし三年前、脳梗塞で倒れた。すぐに入院したが、直後に過激な差別撤廃論者によってテロに遭った大物の政治家が同じ病院に運ばれた。病院側は政治家の手術を優先し、結果として妻は助からなかった。後に病院長と政治家から謝罪の言葉と目にしたことのない大金を渡された。当然病院長も政治家もクロではなかった。

 息子の言葉は私を動揺させたが、それよりも重要なことがあった。息子が履いていたスニーカーが気になってネットで調べてみたが、思った通りプレミア物の高額な品だった。私は息子に与えてはいない。息子のバイトで買える額でもない。もしや……。

 殆どの抗議デモは真面目に問題意識を持っている者が行っているが、中にはわざと騒ぎを起こして混乱に乗じて略奪を企んでいるごろつきも少なくない。息子がそういう連中と同じことをしている?私は不安を覚えた。数日後、悲報を受け取った。


 息子が、ハンスが死んだ!

 略奪で襲撃された宝石店に直行した警察が犯人達を取り押さえる最中、武器を持って抵抗したので射殺した。その中にハンスがいた!私の不安は的中してしまった!私は妻に続いてかけがえのない息子まで失ってしまったのだ!

 くそったれ、何がクロだ!我々はれっきとした白人だ!世界最優秀民族であるアーリア人の一員だ!

 どうしてこうなった?

 先の大戦で我々は勝利した。連合軍に勝った後、劣等民族のユダヤ人を滅ぼし、スラブ人や共産主義者を滅ぼし、黒人もアジア人も滅ぼし、遂には共に戦った仲間である日本人すらも滅ぼして、世界は我々アーリア人だけのものになった。

 だが、数十年もすると今度は同じアーリア人同士で差別が始まった。黒や栗色の髪の毛や瞳を持つ者が差別の対象になり、スラングとしてクロと呼ばれるようになった。

 髪や瞳の色が違っても我々は同じアーリア人だと総統府は懸命に差別を否定するが、世間の偏見は一向に消えない。ほんの僅かな遺伝子の違いを理由に、我々は劣等種扱いされている!

 開祖アドルフ、あなたに聞きたい!あなたの目指した理想郷はこんなものだったのか?髪の毛や瞳の色の違いなんて些細なものじゃないか?みんな同じ人間じゃないか?

 ソファーに泣き崩れる私の傍らでテレビがニュースを流している。世界首都ゲルマニアの国民会議場前で、最大規模の差別抗議デモが行われ、差別主義者と衝突して大乱闘が起こっているという。

 開祖は黒髪だったとして正統なナチズムの元、アーリア人はひとつだと主張するトラディショナルナチと、金髪碧眼のアーリア人こそが真の最優秀民族だと標榜する差別主義者、所謂ネオナチが、我こそが正義だと言わんばかりに互いにシュプレヒコールを上げている……。

ジークハイル!

ジークハイル!

ジークハイル!

ジークハイル!

ジークハイル!

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