公爵の憂鬱【欲求】


「やばい。どれも可愛い。選べない」


 十五分掛けて店内を一周した彼女。

 ミラー子爵家のアリスもその一言に嬉しさを噛み締めている。

 もし異世界人で公爵夫人の〈天宮千聖あまみやちさと〉がこの店の商品を買ったと知られれば、瞬く間に繁盛するだろう。

 誰も目に付かない裏通りの寂れた店。たいして高級品でもない品を彼女が気に入っているとなると、平民からの支持も上がる。そうやってまた皆に好かれていく。


 帝国と繋がりのある我が国の上位貴族は、己の財力を示すため帝国からの輸入家具で揃えることが多い。新鮮な食品などは現実的に難しいため、そういったところで差をつけたがる。

 逆も然り、帝国では神殿の薬はもちろん我が国の魔物から取れる毛皮などが高級品だ。

 だから自国の特産であろうが、織物なんか誰も目に止めない。何故なら平民が使うからだ。


 どれも可愛くて選べないときたら、ここからが女の買い物だといつも覚悟していたのだが、彼女は「よし! ここは直感を信じます!」と色味だけで選び取った。

 まさかそんな選び方をするとは思いもしなかったので普通に驚いてしまったし、もう少し時間をかけてくれればその分長く時間を過ごせたのになと残念に思う。

 他の女性なら、どれも同じだ早くしろと、苛々していたに違いない。


「すみませんベッド用まで買っちゃって……」

「気にするなと言っただろう」

「ふふ、そうですね。はいっ、気にしません! いい買い物でした! 有難うございます!」


 ああ素直に嬉しかったのだなと判りつい口元が緩んでしまって、長年かけて張り付けた仮面が剥がされていく。

 予定のものは買ったしこれで終わりかと名残惜しさを堪え馬車まで手を引いていると、「クリームチーズ、のせシフォンケーキ!? 食べませんか!?」と瞳を輝かせて聞いてくるから、また口元が緩んでしまう。

 どこを見て発言したのかと指差す方に目線を向ければ、通りのまた奥の方にある小さな看板に反応したようだ。

 チーズが好きだとロイドに語っていたから目に付いたのだろう。


 御者にはまた暫く待機してもらい、その店へ入った。

 先程のアリス嬢と同じく驚いたのか、店主らしき40代の男性は一呼吸おいて「い、いらっしゃいませ……!」と挨拶。

 メニューはシフォンケーキひとつのみといくつかの飲み物、テーブル席も二つしかなく、持ち帰りを基本としているようだ。


 どうやら利用するのは近所の平民なのだろう。

 私達は見ての通りの貴族であるから、居心地が悪そうにしながらも、こちらで召し上がられますかと聞いてくる。

 彼女は生前の“ばいと”とやらで接客業務をしていたらしく、店主よりも自然な笑顔で柔らかに答えて注文した。

 それに安心したのか、すこしばかり緊張が解れたようだ。きっと私ならば怖がらせてしまう。


「お、お口に合うかどうか分かりませんが……」


 手を震わせながら品物を提供する女性。

 店主とお揃いのネックレスにはペアの指輪を其々通している。夫婦で営んでいる店なのか。

 自分ももう少しで薬指に指輪が輝く。何だか感慨深い。出逢ってからあっという間の出来事だった。


 紅茶を運ぶ手も相変わらず震えている。普段から貴族とは関わりが無いのだろう。恐怖からくる手の震えではなく、ただただ緊張しているようだ。

 同じ人間なのだからと思うことは、たとえ本心だとしても立場的に嫌味なだけだろうか。


 クリームチーズをスプーンにのせひとくち食べる度に、「うまー!」なんて言葉遣いがなっていないが、口内に染み込ませ味わって食べる彼女。

 可愛いとしか言いようがないが、それを言葉にするのは恥ずかしい。

 小さな店のわりに人気らしく、店を営む夫婦二人は持ち帰りで来た客対応とキッチンで忙しくしている。


「御馳走様でした、すごく美味しかったです!」

「あ、ありがとうございます……! いつも食べられてる物と比べると劣ると思いますが、」

「そんなこと! むしろ持ち帰りクリームチーズしたいぐらいですよ! クラッカーに乗せたらお酒に合うでしょうし」

「お前は酒ばかりだな」


 褒められるとアリス嬢と同じく恥ずかしそうに、嬉しさを噛み締める夫婦二人。

 また彼女は自分のファンをつくってしまったのか。

 その証拠に、自分たちの気持ちだからもし宜しければ、と容器に詰めたクリームチーズをプレゼントされている。

 容器は捨ててもらって構わないと言っていたが、今度はメグとカレンを連れてきたいと楽しそうに話しているのでメイド達には捨てずに取っておくよう伝えておこう。



 もし──、私が彼女と出逢わず、婚約者候補として上がっていた地味で大人しい伯爵家の長女と本当に婚約していたのなら、平民が営む小さな店など知り得なかった。

 きっと夫人となる部屋も使用人に準備させ、ミラー家とも知り合うことは無かった。

 そもそも結婚相手にこれほど興味を抱いてもない。


 彼女のいったい何に惹かれているのか。波長が合うのか?

 分からないが、いつの間にか、欲している。

 彼女が欲しくて堪らない。

 どこに惹かれているのかも明確に出来ないまま、私は沼に嵌ってしまうのだ。

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