物語の基盤


 何故、私はこんなにも冷静なのか。悟りを開いたからなのか。

 大学4年生。もう直ぐ卒業だった。志半ば、いや、まだ始まってもいない。社会に出て挫折もしていない。けど死んだ。人生最大の人助けをして、死んだ。


 今年は悪いことばかり起こる。

 この前の夏休みには大切な家族のゴンが死んだ。元野良犬。学校は違うけど同い年の小学生男子に虐められていたところを助けて、それからずっと家族。この・・公園はゴンと出逢った場所。


 ゴンとは、酒を飲むと暴力的になる父に愛想を尽かして家を出て行った母と、入れ替わるようにして出逢った。まるで心の隙間を埋めるみたいなタイミング。

 本当に本当に大好きだった。ぶちゃいくで、毛が伸びると熊みたいで。友達には名前も含めてあんまり可愛くないって言われたけど。そりゃあどこぞのチワワなんかと一緒にしないでほしい。


 父の印象は、幼い頃から『お酒を飲むと変わる人』だったな。けどゴンには暴力は振るわなかった。

 父の感情が収まり、痛みや怒りを耐えていると、ゴンが寄り添ってくれたっけ。

 その姿を父は罪悪感いっぱいの瞳で視界の端に映して、言わなきゃいけない言葉を喉の奥底に仕舞い込んで部屋へと戻る。父にもトラウマがあるのは知っている。だからずっとこうして我慢している。


 ゴンが居るから、生きられた。どんなに辛くても大切なものがあると人は強くなるんだと実感した。

 ゴンが死んで泣き喚く私に、父は、ただ黙って見ているだけだった。その日から一週間は酒も飲まず、ただ静かに優しい父だった。


 貧乏には程遠い家庭だったが、父に頼るのが嫌でバイトを掛け持ちしていた。大学の友達に頼まれて一回だけのつもりで働いたガールズバーが結構稼げて。何だかんだずっと働いていた。

 奨学金だけだと今後の事を考えれば一人暮らしをしたときに生活が厳しいだろう。都会の家賃は馬鹿にならない。ある程度貯めておかないと卒業すれば奨学金の返済が待っているし、出し惜しみして変なところに住みたくない。


 バイト先のガールズバーに偶然大学の先生が来たことがある。何でも知り合いの先生仲間で飲み歩いてたら辿り着いたらしい。本当かどうかは分からない。

 それで、もうすぐ卒業なのをいい事に、セクハラばかりしてくるようになった。いや、たぶん元々私の顔が好みなのだ。似たような雰囲気の子にもセクハラしているみたいだし。


 その先生は大企業の内定を取り付けてきて、私を逃げられないようにした。卒業まであと少し。

 まぁ元は真面目に勉強していた私の実力なのだけど。それでも一部の同級生には距離を置かれた。自分たちの内定が決まらないのはそうやって影で悪口を言って真面目に授業を受けないからだ。


 更に大学の入学当初から働いていた漫画喫茶では新任の店長にクレーマーの生贄にされる始末。

 自分で言うのも何だけど、よく気が付く方だし頼りにされるのは嬉しいが、押し付けるのは違うでしょう。そもそも店のおさなのだからしっかりしてくれと単純に思う。



 ──そんな日々の中。都会の狭い空を見上げたとき。クラスメイトとキャンプ場でBBQをしたとき。ふと、思うことがある。

 こんな小さな社会コミュニティの中で私達は一体何をやっているのだろう、って。

 意味のない悪口を延々と続け、フラストレーションを溜めるだけ溜めて、それを全く関係の無い人にぶつける。


 どうしてだろう。空はこんなにも青いのに。

 人間は、目の前の出来事しか見えていない。

 映画を見て、漫画を読んで、音楽を聴いて、どんなに感動しても、そこから学んだ気になっているだけ。

 そんな私もただの人間なのだけど。


 漫画喫茶の先輩が言っていたな。

 所詮人生はゲームだから、って。クレームもゲームのクエストだと思えば良いんだよって。

 確かに。クエストを達成すれば経験値が貰える。スキルポイントが自由に振れないだけ。人間ってのは各々が主人公の振りしたNPCなんだ。


 日々に疲れたバイトの先輩は、こうも様々な人間を見ているといつか悟りを開けるとも言った。ある時からどうでも良くなると。

 そして「俺が神だ。崇めとけ」って言ってた。神じゃなくて仏じゃないんですかって突っ込んだら疲れてるせいにされたのを覚えている。


 なんだか私も最近はどうでも良くなってきちゃったから、ついに悟りを開いたのかもしれない。

 全く。散々な一年だった。

 それはもう悟りを開けるぐらいに。

 あとは卒業するだけ。もっと平和に生きたい。稼いで稼いで、自由に暮らしたい。目標はそれだけだった。

 ゴンみたいな犬と、煩わしい社会から抜けて、田舎でゆったり空を眺め自由に暮らす。

 そんな僅かな幸せしか望んでいなかったのに、また・・この公園だ。


 昔は綺麗だったが、時が経つにつれ子供達は遊ばなくなりすたれていった。ライトも無いし夜は怖い。だから変な奴ばかり集まる。


 今まさにあの暗闇の中で行われているのは強姦だった。

 制服を着た女子高生一人と、三人の男。

 ──怖い。

 誰もが目を逸らすだろう。見るからに怖そうな男三人。現に私の目の前を歩いていたサラリーマンは見てみぬふりをした。

(警察を呼んで、じっと待てばいい。警察が来てくれたら、きっと大丈夫……)


 そう思っていたけど、どれくらい時間が経てば来るだろう。あんなに抵抗している女の子を、じっと、黙って、待っていられるだろうか。

 ゴンを見過ごせなかった私は、また、同じように、乗り込んだ。ただのNPCの筈なのに。くだらない社会なのに。


 今思い返せば、待てば良かったんだ。

 心の傷はもうどうにも出来ない。少しばかり、身体に傷を残しても、待てばよかった。


「何やってるんですか……!?」

「……あ?」

「んだテメー」

「や……た、たすけ……!」

「あ゙? なに? お前もヤられてーの??」


 助けを呼ぶ声が、眼差しが、恐怖で染められていた。私より、未来がある女の子。夢も希望もあるに違いない。私なんかより、悟りを開いてしまった私なんかより。

 そう思ったら、勝手に動き出していた。

 大学の教科書が入った重い鞄を振り下ろして。


「早く逃げて! 警察呼んでるから! 早く……!!」


 女子高生が必死に逃げるのを確認しながら、私も必死に持っていた傘を振り回した。男三人相手にしては中々頑張ったと思う。ちゃんと急所も狙ったし。


 でも、ナイフには勝てなかった。

 暗くて見えないけれど生暖かいのは自分の血液だろう。

 視界が煌めく泡で包まれているけど、未来ある女子高生を救えたに違いない。

 前もって呼んでいた警察は早々に駆けつけてくれて、霞む視界の中、男一人は直に捕まったっぽくて。

 だから、これで安心して──。




 ──そして現在に至る。

 見事に異世界転移。万歳。天晴あっぱれ

 そういえば漫画喫茶の疲れた先輩も異世界好きだったなぁ。とすると私はチート能力でも備わっていて魔王でも倒すのか。ダンジョンで魔物を殺生するなんて私には出来ない。ステータスって言えばウィンドウ出るのかな。

 はたまた聖女か。いや、流行りは悪役令嬢だったっけ。乙女ゲーム的な何かだったら面倒だな。

 あ、異世界なら獣人とか居るのかな。一度は耳の付け根見てみたいと思ってたんだよね。エルフもきっと居るに違いない。

 でも私が望むのは異世界スローライフだなぁ。

〈もふもふ達と、異世界スローライフ〉

 うん、タイトルはこれにしよう。あれ、でもそんなタイトル見たことあるぞ。現代人は疲れてるから最近はもふもふも流行りだもんな。


 ああ、でも本当にそう。

 私はゴンが居たから生きてこれた。

 フェンリルとか、居ないかなぁ。


 私も含め、結局は皆、此処では無い何処かへ行きたいんだ。冷静に状況を考えていれば、目の前には見目麗しい〈団長〉と呼ばれた人物。


「ハント公爵様……! あのっ、どうすれば……!」

「ここでは公爵ではない、団長だ」

「も! 申し訳御座いません!」

「いい加減慣れろ。……しかし、面倒だな」


 目付きの鋭い深い青の瞳。実際見るとこんな感じなんだと感心する銀の髪。さらさら柔らかな風に靡く前髪は、七三に分けられ、襟足は綺麗に刈り上げられている。

 背も高いし、目鼻立ちが整いすぎたその人物を見て、私は思った。

 あ、これがいっとき流行りだった乙女ゲームの聖女召喚とかいうやつね、と。さてはお前が攻略対象者だな? と。

(いやということは私が聖女ってやつ?? んな馬鹿な話があるか! やったことも無きゃ興味もねーよ!)

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